不思議屋マドゥカと常冬の女王

竜堂 嵐

プロローグ

 あれは多分、彼が死んだその夜のことだったと思う。

 父さんが真夜中に突然、ぼくを外に連れ出したことがあった。

 零下三十度以下の白銀の世界。何の備えもなく外にいれば、本当に死の危険がある。そんな夜に、幼いぼくを父さんが連れ出した理由はわからない。

 ぼくが覚えているのは、出ようと言った父さんのやけに緊張した顔と、コートを着せられているときにぼくが言った、『にいさんはいいの?』という言葉だけだ。自分で歩いて外に出たのか、それとも父さんに抱っこされて出たのか、それすら定かではない。とにかく気づいたときには、ぼくは決して乗り心地がいいとは言えない、父さんの細い右肩に乗っていた。

「いいか。ハーディ」

 父さんはぼくではなく、空に浮かぶオーロラを見ていた。つられてぼくも空を見上げる。

『貴婦人の、翻るスカートの裾』

 この島では、特に見事なオーロラをそう呼ぶ。最大の敬意と、畏怖を払って。

 その呼称にふさわしいオーロラが、その夜のぼくたちの頭上に輝いていた。

 オーロラが明るい夜には死人が出る。

 そんな当たり前の理屈も、この時のぼくは理解していない。

 ぼくはただ、青に、緑に、紫にと次々に姿を変える、ちょっと手を伸ばせば触れられそうなそれに、ひたすら目を奪われていた。

「この世界の全ては、魂と、その魂が紡ぐ色でできている」

 父さんの声が聞こえた。ぼくは父さんを見て、ちょっと不思議な響きのあるその言葉を繰り返す。

「たましいの、いろ?」

「そうだ」

 父さんの指がすっと、オーロラを指した。

「魂の色は、魔力で決まる。父さんと兄さんは水色、母さんは青。そして、お前は黒」

「スカイは、どんないろだったの?」

 父さんは、はっきりと答えた。

「彼は青だ」

 父さんの顔が、ちょっとだけぼくの方を向く。フードを被ったその顔は、口元しか見えない。父さんの唇は、何かに耐えるかのように、真一文字にきゅっと引き締められていた。

「だからな、ハーディ」

 父さんは言った。

「いつか彼と同じように父さんが死んでも、それがどんな死に方でも、悲しむ必要はない。みんな」

父さんが再びオーロラを見上げた。ぼくもつられて上を見た。オーロラは、長い裾を引きずりながら、どこかに行こうとしているみたいだった。みんなの魂を連れて。

「ああやって、一つになるんだ」

 なぜ、父さんが夜中にぼくを連れ出したのか。

 なぜ、そんなことを言ったのか。

 ぼくにはどうしても、その理由が思い出せない。

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