世界の分水嶺
第1話金、金!、金!!
「どいつもこいつも!金、金!!金!!!、お金のことしか頭に無いのーっ」
手にしていた付けペンを乱暴にインク瓶に戻して、銀糸のように繊細な髪の毛を両手で掻きむしり、鳥の巣のような髪型にしているのは、この物語の主人公であるジュリア・デクルー侯爵令嬢だ。
銀糸のような髪は豊かで、緩やかな巻き毛である。本人は、癖のあるこの髪質を気にしているようであるが、侍女たちによって丁寧に整えられている。少しつり目がちで猫の瞳のような印象を受ける。瞳の色は薄い空の色をしていた。唇は桜色で、ぷっくりとしていて可愛いさよりも美人という印象を人に与える。
着ている服は、出身国であるランカスター王国の貴族女性が着る一般的なドレスだが、色のトーンが控えめである。ナジュム王国では、色彩が控えめの服装が流行中だからだ。
彼女の品の良いデザインの机の上には、羊皮紙が散らばっていて、どれも金銭の収支に関する書類だった。
ため息をついて、立ち上がりナジュム王国特有の色とりどりで、エキゾチックな調度品に囲まれた部屋の中を歩き回る。ジュリアは、ナジュム王国で錬金術を学ぶために、留学しているはずなのだが、余暇はすべてナジュム王国の当代の王、シャールーズに巻き上げられていた。
シャールーズと出会ったのは、ほんの些細な出来事。そこから芋づるのように縁がつながり、いまではシャールーズ王から「お願い」として様々な課題を与えられ、解決を求められていた。
要はまた、ジュリアはシャールーズから無理難題を押しつけられたのである。
「一ヶ月で金貨百枚用意せよ、とか、バカじゃ無いの!錬金術師は、金貨を作り出す術者じゃ無いのよ」
「そんなことは知っている、疾く手立てを考えよ。それが、そなたの役割だ」
いつの間に部屋に入ってきていたのか、ソファに優雅に腰掛け、珍獣でも見るかのような目でジュリアを見るシャールーズ。
浅黒い肌に、漆黒の闇を切り取ったかのような髪の毛は癖毛で少し収まりが悪い。紅水晶のような瞳が、力強く輝いていた。
騎士よりは細身だが、ナジュム王国の伝統衣装を着ていても、筋肉のついた体つきであることがうかがえる。
彼はソファに腰掛けているだけなのだが、玉座に座っているかのように見えた。
「早くしないと、金糸雀に逃げられるぞ」
「ここはもう、王様の権力使って全員逮捕すればいいのでは?」
「我が国は法治国家だ。野蛮人。証拠をそろえよ。そのために、金糸雀倶楽部に潜入するのだろうが」
シャールーズから依頼されたのは、最近ナジュム王国の王都パルヴァーネフで見目の美しい女性が誘拐される事件が相次いでいるので、解決してほしいというものであった。
貴賤を問わず拐かされるので、金銭目的では無く見目美しい女性が目的なのだ、とすぐに調べがついた。攫った女性達を、ジュリアの出身国であるランカスター王国の王都ロンドニウムの金糸雀倶楽部という、「高級紳士のための社交場」と銘打った「高級娼婦宿」で娼婦として売り出していたのだ。
国をまたぐ犯罪に、自国であれば強気に出られるシャールーズもそうはいかない。なにしろ、罪に問えるだけの証拠が無い。
金糸雀倶楽部に潜入するための資金として、金貨百枚を用立てるのが、侯爵令嬢にして、ランカスター王国からの留学生であるジュリアに課せられたのであった。
「お金は沸いてこないんですよ?分かっておいでですか、王様!」
ジュリアは腕を組み、ソファに腰掛けるシャールーズの前で睨み付けながら、仁王立ちをした。
シャールーズは、整った顔にゆっくりと笑みを浮かべて、ジュリアの手を取り勢いよく引き寄せ自分の隣に座らせる。
勢いのままジュリアは、シャールーズに振り向き口をぽかんと開いたまま赤面した。
至近距離にシャールーズの整った顔があり、肩は抱き寄せられ、反対の手で頬をなでられる。シャールーズとジュリアの足先は触れあっていて、とてもじゃないが主従や、友人といった距離感ではない。シャールーズに覗き込まれた瞳の奥に、優しい熱があるのに気がついたのはいつだったか。
これでは、恋人同士のようではないか。
さらにジュリアは頬を赤く染める。
シャールーズの体から香る優しくて甘い匂いが強くなった気がした。
「そなたの手腕に期待している」
ジュリアは、縦に何度も首を振り頷くと、シャールーズは満足したように、ジュリアの頬を撫で上げ、「また来る」と言って部屋を退出した。
ジュリアは、毎回、今のような「お願い」でシャールーズに良いように使われているのであった。
「あの顔に逆らえないと思って……!悔しい!格好いい!イケメン!!」
悪口になっていない事をぐちぐちと言いながら、ジュリアは、良い手立ては無いか考えていた。
普通の貴族の令嬢であれば、金儲けは下々の者が行う下品な行為であると判断し、お金の話すらしないのが普通である。
普通では無いのが、ジュリアだからこそ、シャールーズに気に入られ、良いように使われているのだがそれにはまだ、気がついていない。
「金貨百枚……今月の売り上げの配当分を全部あわせれば金貨百枚にはなるけど……潜入捜査ということは討ち入りも計画のうちだろうし。そうすると、資金捻出をしてこいと言われそうだし。……いや、犯罪行為を取り締まるなら、国庫からだしてくれるはずなんだけど……」
ジュリアは、部屋の中を歩き回るのを止め立ち止まると、顔色をぱっと明るくして従僕に出かける支度の準備をするように命じる。
「お金が無いなら、あるところから貰えばいいのよ」
足りない調味料を隣の家に借りに行くような気楽さで、ジュリアは言い放つと外出するための身だしなみを整え始めた。
数時間後、ジュリアはシャールーズ王の私室のうちの一つでシャールーズに対して拝跪していた。彼女の前には、シャールーズに捧げるように、中身がぱんぱんに詰まった革袋が置かれている。
「して、火急の用途はなんだ。このような時間に訪れるとは、俺のモノになる気になったか?」
「ご要望の金貨百枚にございます」
シャールーズの軽口を、ジュリアは聞かなかったことにして用件だけを告げた。
シャールーズの側仕えが、ジュリアの捧げる革袋の中身を見聞する。なかには、ぎっちりと詰まったナジュム王国の金貨が入っていた。金貨一枚で、平民の四人家族が一ヶ月食べていける価値がある。
「短期間によくこれだけ用意した。褒めて使わす。褒美に、潜入捜査に連れて行ってやろう」
「承知つかまつりました」
ジュリアはさらに頭を垂れた。これが、世界の分水嶺になるとは知らずに。
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