短編集

神泉せい

1. 暴 記憶を失くした男

 気が付いたら、この村の入り口付近で倒れていたらしい。


 目が覚めた時、男性から色々と聞かれたが、俺は過去の事は何一つ覚えていなかった。名前すらも解らない。村の誰かが、仮の名としてオレクと名付けてくれた。

 しばらくの間、夜はこの運び込まれた部屋に外から鍵をかけて閉じ込められていた。血がついた剣を持って気を失っていたので、犯罪者かと疑われたようだ。しかし記憶が一つもないので、否定も肯定もできない。

 血が付いていた、という事実だけで不審に思うには充分だろう。


 食事などは分けてもらえる。質素ではあるが、小さな窓から見える景色から察するに人口の少ない山村だろう。もらえるだけで有り難い。

 自分の事は何一つ説明できず、証明できるような持ち物もない。なぜこの村に来たんだと、数人が部屋の外で話しているのが聞こえた。


 夜、夢を見た。俺は荷物を背負って山に訓練に入る。軍人らしく、重い軍靴が坂道で足を上げる事を妨げる。必死に前に食らいついて歩いていた。


 夢を見るたびに、その内容を出来る限り話すようにした。記憶喪失も真実ではと、徐々に警戒が溶けたように思われる。数日後に食事を女性が持って来てくれたのは、危害を加えないと判断されたからだろう。

 男性達は畑仕事が忙しい時期で、出来る限り俺の見張りを減らしたいようだった。既に怪我も治っていたし、お礼に手伝わせてくれと申し出た。


 どうやら俺は農作業は初の経験らしい。鎌も鍬もうまく使えない。植物の区別もつかない。なんせまだ小さな芽なのだ、完成品を見るわけではない。

 弁当を持ったサーラがやって来て、慣れない仕事に四苦八苦している俺を笑った。サーラは、女性で最初に食事係になった人だ。


 この村は家族単位でなく、色々な人が集まってできたらしい。大工、狩人、陶芸家、農民、料理人。様々な職種だった人達だ。養蜂家までいるから蜂蜜がとれる。

 村の成り立ちを聞くのはやめた。軍人だった時に、戦争で壊滅された村の人達が集まって出来た村があると、聞いたことがあったからだ。もしそれがここだったら、辛いだけだ。

 仕事の記憶は大分戻ったが、肝心の家族や自分についてはあまり思い出せていない。


 村人達は、それでもいいだろう、と言ってくれる。畑仕事を手伝っていると、空き家になっている一軒の家を使っていいと言われた。

 いつまでも世話になるのも悪いし、折角の申し出だ。早速移る。サーラも掃除なんかを手伝ってくれて、徐々に好意を抱くようになっていた。


 ある時、村でケンカが起きた。若い男性同士が飲んで揉めたようだ。みんなさぞ困っているだろうと思ったが、意外と盛り上がっている。娯楽が少ないんだな。

 サーラに聞くと、この村は兵隊なんていないから、ケンカになってもあまり止めないらしい。怪我をしても死んでも、お互い様なら罪にはしないんだとか。ただし、二人目を殺したら重い罰が待っている。聞いたことがないルールだ。

 かなり辺鄙な、隔絶された村なんだろう。

 半年は経つと思うのだが、未だに村人以外、隊商すら見ていない。


 収まったと思ったケンカだが、一人が笑ってるのかと別の男性に絡み始めた。

 サーラと同じ年頃に見え、俺より十歳は若そうな男性だ。俺は、三十は超えてそうだ。

「兄さん、そのくらいにしなよ。良くない酒だぜ」

「……うるせえ!」

 突然右手で殴りかかってきたのを、まず右手を握って小指側で肘の内側辺りを打ち、すかさず左手で手首を制した。一緒に右足を前に進め、右手を握ったまま、相手の顔に裏拳を入れる。


 後ろに倒れそうになる相手の手首を制していた左手で持ち、グイッと持ち上げて転ばないようにした。

 よく解らないが、体が勝手に動いた。

 わああ、と声援を貰ってしまった。闘技場のような感覚か。


「強いのね、オレクさん!」

「いや……、体が勝手に動いた。夢で見た通り、軍人だったのかな」

 サーラにも好感触だ。

 それからしばらくして付き合う事になり、結婚の話までするようになった。


 だが、俺は自分の事は何も解らないのだ。

 待っている家族がいるのか?恋人はいなかったのか?

 考えても答えは出なかった。


 これを機に村人達と一気に打ち解けられた。オレク、軍人兄ちゃんなどと呼ばれるようになり、子供までそう声をかけてくる。

 ……子供。考えてみれば、女性や子供が少ない村だ。

 もしかして、サーラを逃がしたら、俺はこの村では相手が見つからないのでは?子供の少ない村に、子供が生まれたら喜ばれるのでは?

 色々と考えるようになった。


 村の用心棒もやりつつ、二年が過ぎた。

 サーラとは結婚し、彼女は妊娠した。幸せだと思っていた時。


 突如村に襲撃者がやって来た。三人だ。アドルフという男性を出せ、と言っている。五十近い彼が出て行こうとしたが、俺が止めた。三人はかなり興奮している。

「おい、やめておけ、三人で一人を襲おうなんて。わざわざこんな所まで来て」

「黙れ!お前は関係ないだろう、あの男を出せ!」


 素人が集まろうが、なんてことはない。適当に打撃を与え、追い返した。

 しかし帰り際の彼らの言葉は衝撃的だった。

「俺の娘を殺した男が、まだのうのうと生きているなんて……!」


 アドルフは人殺しだった……!?

 人殺し、人殺し……

 誰かが、頭の中で叫んだ気がした。


 サーラにも、誰にもこの話は出来ない。憂鬱な気分で眠りにつく。

 夢の中で、俺は誰かの血に濡れた剣を持っていた。あれは……。


 眠れなくなり、朝を待つ。そして目覚めたサーラに、俺は記憶が戻った事を告げた。

「驚くだろうが、聞いてくれ。俺は……恋人を殺したんだ。彼女は俺を騙していた。何人もの男から金を巻き上げていたんだ。俺は逆上して……」

 離婚されるだろう。そう思った俺に、サーラは笑いかけた。


「なんだ、やっぱりこの村の人間になる人だったのね。私は彼を奪った親友を殺したわ。アドルフは振り向かない女性を殺した短気さんだけど」

「……どういう事だ……?」

「ここは流刑村。殺人犯が送られ、森の出口は封鎖されてるの。迷い込むなんておかしいと思った。仇討ちは通してもらえるの」


 最初に疑われたのは、流刑か仇討ちか、だったのだ。

 彼女の笑顔に、出口のない迷宮に入り込んだような眩暈がした。



 ★★★★★★★★


これは男性が執筆したと誤解れるんじゃないかな?と、ワクワクしながら経過を見てました。むふふ。

予想以上の高評価を頂き、恐縮です。そしてデウスエクスマキナも調べましたよ(笑)。小説の技法には詳しくないので…。うん、騙せてる!齟齬がないように、でも種を明かしたら解るように、丁寧に描写しました。


奥さんがあっけらかんとして殺人の話をするのは、殺人犯だけが集まって倫理観が失われているからです。

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