黒い風④

自由な時間は1分もなく、ただ勉強することだけに特化した部屋。


「はい。じゃあ、この問題分かる人っ!」


僕以外の塾生が、手を挙げている。

最近、塾をサボっていたせいか、全く塾の勉強についていけなくなっていた。

分からない所が分からない悪夢。


先生を含め、周りの人間が僕を見下している。……そんな気がして、ひどく落ち着かない2時間だった。


孤立。


塾からの帰り道。憂鬱と焦りしかなかった。



「ねぇ、生田?」


声の主は、同じクラスで僕が苦手としている前園だった。

はぁ~、憂鬱が倍々に膨れ上がる。


「一緒に帰ろうよ。今日は、パパの迎えがないからさ。女の子の独り歩きは、危ないでしょ? 生田、一応男だし。一人より、二人の方が安全だからさ」


「あぁ、うん。まぁ、別にいいけど……」


前園と二人、特に会話という会話もなく、夜道を歩く。

前園は、チラチラとこっちを見てくるが、必要以上に話しかけてくることはなかった。

いつも教室で僕を説教する人物とは、別人のように静か。


お月様が、雲に隠れた。周りの星たちが光を放ち、主を探している。




突然ーーー



「生田も新人類なの?」


も?


あっ、そうか。前園も新人類だった。


「うん。どうして分かった?」


「お昼の時、カプセル飲んでいたから……」


あぁ、なるほど。見てないようで、周りを見ているんだなぁ。気軽に鼻とかほじれない。


「やっぱり、怖い?」


「怖い。……でも少しずつ慣れてきた。最初は、自分の体なのに自分じゃないようでさ。狂った自分が、誰かを傷つけるんじゃないか、殺すんじゃないかって、心配だったんだ。まぁ、だけど今はだいぶ落ち着いたよ」


「そっか。わたしもね、こわいよ……。でも生きたいって気持ちは、それ以上に強いから。だから、頑張る。状況が、良くなるまで」


そう呟き、前を向いた前園は見たことのない笑顔だった。


数分後。

二人の分かれ道。


僕は前園にサヨナラを言い、歩き出した。


「ねぇ、生田。ナナと仲良しだよね。えっと……、付き合ってるの?」


前園は、ずっと僕を見つめていた。


「付き合ってはいないよ」


僕は、ナナがいないことを確認した。もしこの場にいたら、ギャーギャー騒ぐだろうから。それは、すごく厄介。


「そっか。そうなんだ。良っ……。あっ! あのさ。ナナには、気を付けた方がいいよ?

かなりヤバいことしているみたいだから」


「ヤバいこと?」


何のことだ。


「忠告したから! じゃあね、生田。また、今度一緒に帰ろ」


言い終わるより先に、前園は走って僕の前から消えた。


「速いな、足……」


僕は、ナナを信じてるよ。だから、心配いらない。雲の隙間からお月様が、やっと顔を出した。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




私は、いつものようにナオの家経由で帰宅するとすぐにパジャマに着替え、ベッドに飛び込んだ。チンタラしていると寝る時間が、なくなっちゃう。


「……う~ん………………う~。はぁ…………………」


寝る時が、一番怖い。

夜が…この広い部屋が……一人が……怖い。怖くて怖くて、私はいつものように涙を流した。


世界に一人、取り残されたような気分。


このまま眠り続けて、夢から覚めなかったら?


そんなくだらないことを真剣に考えてしまう。さっき、ナオにくっついて一緒に寝た時は、不安など一切感じなかった。むしろ、安心していたし。


やっぱり、私はナオのことが好きなんだ。改めて、そう思う。


ナオは。


私のこと好きでは…ないよね?


それは、分かってるよ。私だけの片想いだってことは。でも、いつか。私に振り向かせてみせる。


絶対にっ!!

覚悟しとけよ、ナオ。


「……………」


やっと眠くなってきた……。

闇が、クスクス笑ってる……。


………………。

…………。

………。


声。


これは、ママの声だ。


私は、眠い目をどうにかこじ開けた。

目を開けたのに、この部屋は暗くて。

とても寒かった。



『ナナちゃん……。お願いだから。お薬飲んでちょうだい』


『ヤダッ!! 苦いもん』


『お薬飲まないと、この部屋から出れないのよ。それでもいいの?』


『いいもん。ずっとこの部屋にいる!』


ママは、悲しそうにうつむくと部屋を出ていった。


ねぇ、ママ。

どうして、私はこの部屋から出ちゃダメなの?

どうして、私は鎖で繋がれているの?


どうして……。どうして……。


私は、一人なの?



う~ん。……体が、重い。それに臭いなぁ。伸びた髪の毛で、前が見えない。


「……ぐギィ………」


あれれ?

わたしって、こんなに大きかったっけ?

髪の毛だけじゃなくて、全身毛むくじゃらだし。


なんで? なんで?

ねぇ、ママ。


ワタシーーー



『 人間じゃないの? 』



ギィィィィ……。

ガッッ、シャン!!


あっ。ママだ!

やったぁ!! ご飯の時間。

もうお腹ペコペコ。


「ナナちゃん。お腹すいたでしょ? はい、どうぞ。 ゆっくり、食べなさいね。……大事な……命……なんだから」


ママは、私の目の前にご飯を置いた。

鼻を近づける。

はぁ……。はぁ……。ぁあ……美味しそうな匂い。はぁ……。この匂い。好きぃぃ!


「…………ぅ……ぅ……」


あれ? ご飯は、まだ眠っているみたい。


「ぅ……ん?……。っ!? えっ、 何? 何? いぃっ!!」


あっ。目を覚ました。

な~んだ、寝てた方が静かで良かったのに。

私を見て、何かを叫んでる。

あ~、うるさい。

うるさい、ご飯だなぁ。



ゴキュッ。



ふぅ……。やっと静かになった。首を折るのが一番速い食べ方。

ねぇ、あなた。ご飯食べる時は、静かにしなくちゃダメなんだよ?


食事中、珍しくママがずっと私を見ていた。


「ナナちゃん。ママと一緒にパパのところに行かない? こんな生活……そろそろ限界だし。ママも疲れちゃったな」


ママ……泣いてるの?


パパは、天国にいるんでしょ?


目の前のママの影が、大きく、大きくなっていく。ママだけど、今はもうママじゃない。

私の前に立つ。

立つのは、……巨大なバケモノ。


私を殺す気なんだ。


ねぇ、ママ。

まだ、わたし。死にたくない。

生きてちゃダメなの?


鎖を食いちぎる。


だから……。わたしね。


ママを殺すことにしたよ。



ーーーーーーーーーー。

ーーーーーーーー。

ーーーーー。


ぁ……。


はぁ………。


身体中が、痛い。


はぁ………。はぁ………。


血だらけになったけど、ママを気絶させることが出来た。私は、久しぶりに鉄の部屋を出た。

良い匂いがする玄関。その扉を壊して、外に出る。


「ギ………ギィ………」


わぁ、キレイな空。

やっぱり、お外サイコー。

本当に久しぶりの外の世界。

お月さまが、私を照らしている。小さな星の一つ一つが、私に笑いかけているよう。

私は、傷だらけの足を引きずりながら、一歩一歩前に進んだ。


どこが痛いのか、もうわからない。

私が歩くと、体のどこかで血が流れた。


はぁ……。はぁ………。


夜中のせいか、誰も歩いていない。

良かった。こんなバケモノの姿、誰にも見せられない。


はぁ……。はぁ………。


息が、うまく出来ない。もうすぐ、死ぬのかな。

イヤだな。死ぬの。

ねぇ……。誰か、助けて。



公園?


ブランコに滑り台。昔は、ママと二人で良く遊んだなぁ。

あれ?

昔っていつだっけ?


小さな男の子が砂場で遊んでいた。こんな夜中に。一人で。

小さな街灯があるだけで、あとは真っ暗。

それなのに、この子は楽しそうに遊んでいた。


「………ギ………ギ……」


本当に楽しそう。私も遊びたいなぁ。


あっ。私を見てる。


男の子は、しばらく私の姿を見ていた。でも、走ってどこかに行ってしまった。

逃げたのかな。そうだよね。こんなバケモノの姿見たら、誰だって逃げる。


私は、公園の砂場に倒れた。

もう一歩も動けない。

私の目の前に、さっきの男の子が作った砂のトンネルがあった。




はぁ………。

ぁ………。

……………。


このトンネルの先は、どこに続いているのかなぁ。

……………。

………。


まだ意識がある。

なかなか死ねない。


そんな私の体に触れている何か。

カラスかな。それともママに頼まれた死体処理班?


まぁ、どっちでもいいや。


ママは、あぁ言ってたけど……。天国に行けないよね。たぶん無理。たくさんの人を殺したから。だから、パパにも会えない。


「あれ? おかしいなぁ。やり方は、ここを………こうで。こうして……。はぁ~、 わけ分からなくなってきた」


私は赤い目を半分だけ開けた。


「あっ! そっか。ここの結びかたは、こうだっけ。………よしっ! 出来た。 は~、やっと終わったぁ」


私の前に、さっき逃げた男の子がいた。


逃げたんじゃなかったの?


どうして戻ってきたの?


「あっ、起きてる。……大丈夫?」


大丈夫なわけない。そんなことより、この男の子は、私のこと恐くないのかな。


このバケモノの体……。


全身、毛むくじゃら。目は、赤くて。狂暴な爪まである。


「包帯で巻いたから、動かないでね。ところで、君は狼?」


どうして。


「熊? 爪も大きいし。もしかして、新種かな」


どうしてーー


「君が、良くなるまで僕がそばにいるからね。だから、大丈夫だよ」


私にくっついて、寝てしまった男の子。

疲れたのかな。

私は、全身を覆う白い包帯を見つめた。


私達を優しく照らす、お月様。


ねぇ、ママ。

こんなに気分がいい夜は、初めてだよ。



「……………」



人の気配。しかも複数。


私を追ってきたママと、その仲間に違いない。闇の中に隠れている。もう私に逃げ場はない。


体を起こした。

まだ痛かったけど、この男の子のおかげで何とか動けるまで回復していた。

私の隣で、すやすや寝ている男の子。


……可愛い寝顔。


理由は、分からないけど。私の体は、いつの間にか元の人間の姿に戻っていた。


私は、見えない闇の主に声をかける。


「ママ……。さっきは、ごめんなさい」


闇の中からママが、姿を現した。さっき、あれだけ痛めつけたのに、もうかすり傷一つない。


やっぱり、ママは強い。


私の何倍も……。


「ナナちゃんは、何も悪くないよ。悪いのは、ぜんぶママなんだから」


ママは、泣いているみたいだった。

強いけど泣き虫。


「ごめんなさい。もうワガママ言わない……。お薬もちゃんと飲むから。だから、許して……」


「ナナちゃん。どうしたの? 別人みたいに素直ね」


ママは、私の横で寝ている小さな男の子をチラッと見た。


「この子のおかげ?」


その時、闇の中から狐のお面を被った数人の男女が姿を現した。


「霊華様。この子供に、お嬢様の変化したお姿を見られました。したがって、この子供を今から消去します。我らの秘密を守るために」


消去?


この男の子は、私の命の恩人なんだよ?


そんな危ない刀や銃なんか持ってさ………。


「ナナちゃん。落ち着きなさいっ!」


それ以上、近づいたら。


近づいたらーーー




【 お前ら、全員喰ってやる 】




頭を噛み砕く。


………………。

…………。ザッ。


逃げるの速っ。まぁ、この方が楽だけど。


まぁるいお月様が、笑っている。

公園には、私とママと男の子だけになった。


「ナナちゃん? 明日は、キレイな姿でこの子に挨拶しないとね。レディとして」


「っ!?」


そういえば何日もお風呂に入っていなかった。だから、髪もボサボサ、ベタベタ。


急に恥ずかしくなって、家まで走って逃げた。


またね。…………ダーリン。


昨日と同じ時間。

昨日と同じ場所。

辺りは真っ暗。


私は、公園に行く。


いたっ!


やっぱり、いた。

今日も一人で、遊んでる。

私は、スキップしたい気持ちを抑えて、彼の元へ。

彼が遊ぶ砂場に、私も入った。

ママの高級シャンプー借りたから、良い匂いしてるでしょ?


この服だって、可愛いでしょ?


ねぇ、ねぇ、ねぇ。


私を見てーーー


あなたが望めば、何だって買ってあげるよ? (ママのカードで)


そんな汚れたスコップで遊ばなくてもいいんだよ?


「……………」


「ねぇ……。私を見て?」


「…………」


あれ? 聞こえなかったのかな。


「ねぇ! ねぇってば!」


「……………うるさい」


「うるさい? この私が? なによ、それ………」


せっかく、私が会いにきてあげたのに。

昨日は、あんなに優しかったのに。


昨日のバケモノは、私なんだよ?

助けてくれたでしょ?

ねぇ……。



私、あなたのことがーー



この子の腕を思いきり掴んだ。


「いっ……て……」


「!!!?」


すぐに腕を離した。離したこの子の腕からは、血が流れている。私の爪が、腕に刺さって傷がついた。


「あっ……あっ……あの…………」


傷つけてしまった。一番大切な人を。


どうしよう。


どうしよう。


どうしよう。


どうしようーーーーーーー



「大丈夫。気にしなくていいよ」



「っ!!!」



男の子は持っていた自分のハンカチで傷口を押さえると、私にそう言った。

心に甘いシロップをかけられているような。そんな、ふわふわした気持ちになった。


やっぱり好き。

死ぬほど、あなたのことが。大好き。


私はしばらく黙って、この男の子の一人遊びを見ていた。



『僕は、ナオ。君の名前は?』


『………ナナ。えっ………と。私…と……友達になって』


『うん。今日から僕たちは、友達だよ』



これは、私の命より大切な記憶です。

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