黒い風③

何度目かの悪夢ーーー


変異した僕は、人間の内臓をうまそうに食していた。引き裂いた口には、ベットリと血糊がついていて、赤黒く汚れている。


僕は、その『もう一人の自分』をただ黙ってそばで見ていた。

見ていることしか出来なかった。

僕の前に食い散らかした肉片が、飛んでくる。



ピチャッ………。


ピチャッ……。


腐ったピザに見えた。


どうしたら、夢から覚める?


『 夢? バカか、お前。これは、現実だよ 』


振り向いた僕は。


泣きながら、笑っていた。


……………。


こわい………。


こわいよ……。


いつか、きっと………。




【 僕は、大切な人をこの手で殺すだろう 】




「ナオ、大丈夫?」


目を開けるとナナが、僕の頭を撫でていた。


いつの間に?


どうして、僕の部屋に?


そんな疑問も今はどうでもよかった。


「しばらく側にいて。お願いだから……」


「うん。私は、ずっといるよ。だから、安心していいよ」


ありがとう、ナナ。


「これからどうしたらいい?」


「私と一緒になって、幸せに暮らせばいいじゃん。毎日が、ハッピー」


「……いつか、ナナを襲うかもしれない。恐くて仕方ないよ。こんなに不安定な状態の僕といるのは危険だと思う。ナナなら、もっと違う誰かと幸せに、」


ビシッ!


頭にチョップをされた。結構強め。


「ナオじゃなきゃ嫌なの! バカなことばかり言ってると一生眠らせるよ?」


「……ごめん」


ナナは、もぞもぞと僕の布団の中に入ってくる。ナナの首筋から甘いシャンプーの香りが。


ドクンッと心臓が、大きく跳ねた。


「一人で寝るから怖い夢を見るんだよ。だから、ね? 私と寝よ」


布団の中でナナが、僕の手を両手で握っている。


「ナナ……。あったかい」


僕は、赤ん坊のようにナナの胸に顔を埋めた。それだけで全身を包まれているように安心出来た。


「甘えん坊だなぁ。ほ~ら、もっと触っていいよ~」


「………………」


「少しなら舐めてもいいよ~」


「……す…ゥ………」


「あ~ぁ、寝ちゃった。ちょっと残念。まぁ、いいや。良い子でねんねしてて。私は、ちょっとバイトしてくるから」


ナナが、静かに部屋を出ていく。僕は、その後ろ姿を夢と現実との間で見ていた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




走ってーー。

走ってーー。


彼から逃げる。


背後から聞こえる笑い声。どんなに必死に逃げても、彼は私を追ってきた。


「なんで!! なんで私が……」


悔しさが、涙が、目から溢れた。

なんとか暗闇に浮かぶコンビニの中に逃げることが出来た。額からは、大量の汗が。


明るい。


陽気な流行曲が、店内に流れている。客は、私だけ。でも若い学生風の店員が二人いて、それだけで安心出来た。


「すみませんっ! 助けてください。追われているんです」


「追われてる?」


マッチ棒のように細く痩せた店員は、怪訝そうな顔で私と店の出入口を交互に見ていた。もう一人の小太りの店員は、パンコーナーで、バインダーを見ながら何かをチェックしていた。


「……誰も追ってきませんよ? お客様の勘違いじゃありませんか?」


「勘違いなんかじゃっっ! あっ、すみません。大声出して。でも、本当に。勘違いじゃないんです。信じてください」


「そうですか。あれ? もしかして、アナタを追っていた男は、彼ですかぁ?」


店の入口。先程はいなかった彼が立っている。私を見つけると、目を細め、嬉しそうに笑いながら手を振った。口の中の牙が、今も光っている。


「そうですっ!! 彼です。アイツが、いきなり私を襲ってきたんです。早くっ、早く警察を呼んでくださいっ!!」


「警察? ふふふふ」


「アハッハッハッ」


笑う店員。

その時、私は気付いた。彼らの目が、真っ赤に染まっていくのをーー


この店員も彼と同じ。化け物。

私は、その場に尻餅をついた。もう足に力が入らない。もちろん、逃げることも出来ない。


「な? やっぱり、ここに逃げ込むだろ? 人間の心理なんてこんなもん。賭けは、俺の勝ちだな」


彼が、ズボンに手を突っ込みながら店内に入ってきた。


「チッ! 仕方ないなぁ。じゃあ、僕は右足で我慢するよ。お前は、両手な」


「え~~、それだけじゃすぐにお腹すいちゃうよ。はぁ~、せっかくの上玉なのになぁ」


私は、死を覚悟して目を閉じた。

パパ……。ママ……。

ごめんなさい。こんな最期でごめんなさい。



その時、声がした。



「うわぁ~、スゴいぃ………。この本、スゴいぃ……。汁サンタ先生、相も変わらず天才だよ!! このエロ魔神。毎月、この安定したエロさ。スゴいな~。学校の図書館にもあればいいのにな~。………今度、ママに相談してみよっと!」


18禁の漫画、雑誌のコーナーで私と同じくらいの年の女の子が、立ち読みをしている。なぜか、お祭りの露店で売っているような、キャラクターの面をかぶっている。

店員二人が頭を掻きながら、女の子に近づく。


「なんだよ。いつの間に店に入ったんだ、こいつ」


「お嬢ちゃ~ん。お兄ちゃん達と遊ばない? 最高に面白いよ~」


小太りの店員が、女の子の肩に手を乗せた。


「あぁ? 誰の許可で触ってんだ、お前」


女の子は、そっと店員の腕を掴む。



そしてーーー



ビギュッ。



その腕を握り潰した。血のシャワー。周囲を真っ赤に染めていく。



「ひぎゃあぁあァア……あ、あぁ。お、おまえッ!!」


今にも千切れ落ちそうな腕を抱え、床にうずくまる太った店員。


その店員の頭を靴で踏みながら、女の子は私を見つめた。


「大丈夫?」


お面から覗く彼女の赤目を見た瞬間、恐怖で思考が停止した。


この女の子も……。


「チッ! おまえも新人類か。ずいぶん、舐めたことしてくれたな。仲間だからって、容赦しない。ここで、殺す」


彼が、女の子の前で仁王立ちになった。口からは、だらだらと涎を垂らしている。獣のような爪をカチカチ鳴らす。


「な・か・ま? ユーモアのセンスも最悪だな~。お前らは仲間じゃなくて、ただのゴキブリだよ。ゴキブリが、この辺りで好き勝手やってるからさ~、怒ったママに始末するように頼まれたんだ。だからさ~。死ぬのは、お前らの方だよ?」


「…………あっそ」


ビュッゥッ。


聞いたことのない音が、店内に響く。

彼の鞭のようにしなる腕が、女の子を襲う。私は、思わず目を閉じた。


………………。

………。


静か。


ゆっくり……ゆっくりと目を開ける。


「いぃっ!」


私の周囲には、彼らと思われる物体が、そこらじゅうに散らばっていた。

女の子は、血で濡れた両手で漫画を持ち、何事もなかったかのようにまた読み進めている。

彼女が、あの化け物たちを倒したの?


どうやって……。


「ハハハ。はぁ~面白っ。さっすが、新人賞とっただけのことはあるねぇ」


なんで、笑えるの?


目の前には、死体が転がっているのに。


「へぇ~。まだ作者、高校生なんだ。天才っているんだなぁ」


この女……。正気じゃない。狂ってる。


顔が、痒くて痒くて堪らない。

私は、顔についていた肉片を指ですくい、床に思い切り投げ捨てた。


だんだんと。

意識が遠退きーーー。



気絶した。


次の日。

鋭い朝日で、目が覚めた。

私は公園のベンチで寝ていた。昨夜の体験は、悪夢以外の何物でもない。

私は、血で汚れた頬をそっと指先でさする。さまざまな感情が渦を巻き、私の頬をいつまでも流れていた。




《 7時間前 》



棚に並ぶ色とりどりの飲み物。


「ふぁ~ぁ、眠い。こんな夜中にさ~、美容にも悪いよ。このバイト……。時給200円だし。ママに抗議しないと」


バイトが終わり、私は甘~い紙パックのカフェオレを口に含んだ。

目の前の亡骸を無視して、私は気絶した女をおんぶして公園まで運んだ。


なるべ~く優しく、ベンチに寝かせる。


ドスッ!!


あっ、手が滑った。


「は~ぁ……。なんか、疲れた。殺すのは、簡単なのになぁ」


女は、気絶する前。

一瞬、私のことを見た。


今まで何度も何度も何度~も見てきた目をこの女もしていた。


それは、軽蔑。


私は、漫画を読みながら、この女もついでに殺しちゃお! と考えた。

新人類ではなく、ただの人間。手を軽く振るだけで、女の首は彼方へ飛ぶはず。

黒い感情が、上半身を支配していく。倒れている女に、針のように変異させた指を近付けた。


女は、まだ悪夢にうなされている。


「…………」


私の頭に、一人の男の顔が浮かんだ。

はにかんだ顔。気の弱そうな。お世辞にも男前とは言えない。私の幼なじみ。


でも……。


この男は、私が世界で一番信頼している男でもある。


「ナオ……」


私は、元の体に戻るとママにバイトが完了したことを電話報告した。

めちゃくちゃになったこのコンビニの後始末は、いつものようにママの仲間がしてくれるだろう。

来週には、違う店がオープンしているかも。


「やるか!」


私は、女を持ち上げた。予想より軽くて驚いた。これが、人間。人間の女の子の重さ。私達、新人類とは違う。

またマイナス感情が襲ってきたので、私は頭を振りながら公園まで走った。


家に帰る途中、ナオの家に寄り道した。

おじいさんは、出かけているようで不在だった。


「ナオ?」


良かった……。すやすや寝てる。可愛い。


「おやすみ」


チュッ!


「……おやすみ」


チュッ! チュッ! チュッ! チュッ! チュッ! チュッ! チュッ。


私は、ナオのおでこにキスをして。


スキップしながら、家に帰った。

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