第6話 動揺

 翌日。

 昼休みになるや否や、私は一課のオフィスに飛び込み、まっすぐに門倉の席へ向かった。そして長身の門倉のサイズにピッタリな長いネクタイを思いきり引っ張った。

 一課のみんなは驚いた顔をして呆然と私を眺めた。


「アンタ、私に恨みでもあるの?」


 門倉は驚いた様子で目を丸くした後、私の額をボールペンでピシッと叩いた。


「落ち着けよ。みんなビックリしてる」

「ビックリしたのは私よ!なんであんな……!!」


 興奮して目を血走らせている私を抱えるようにして、門倉はオフィスの外へと私を連れ出した。会社の敷地内の花壇の前に備えられたベンチに私を座らせ、門倉もその隣に座った。


「昨日何があった?」


 涼しい顔しやがって、ホントムカつく。あまりにも腹が立って門倉の襟首を掴んだ。


「何があった?じゃないよ!なんで勝手に光と引き合わせたりするの?!私の気も知らないで……!!」

「知ってるよ。お前の元旦那に対する気持ちならきっと俺が一番よく知ってる」

「だったらなんで……!!」


 更に力を込めて掴みかかる私を、門倉はギュッと抱きしめた。


「だから落ち着けって……。ちゃんと聞くから、何があったか最初から話してみろ」


 ……なんだこれ。なに?この状況。

 いくら私が頭に血が昇って吠えてたって、門倉にこんな風にされる覚えはない。

 こんな風に男の人に抱きしめられたのは、光以外ではこれが初めてだ。

 スーツからは仄かに門倉がいつも吸っているタバコの香りがした。門倉のことなんか男として意識したことは一度もないのに、胸の広さとか腕のたくましさとか、ちょっとしたことにドキドキしてしまう。

 ないない、門倉にドキドキするなんて有り得ない。急に照れくさくなって、一気に頭から血の気が引いた。


「……話すから一刻も早くその手を離せ」

「お?ああ、これか」


 門倉は何食わぬ顔をして私から手を離した。

 ムカつく……。

 想定外の門倉の行動に、不覚にも高鳴ってしまった鼓動がまだ治まらない。不可解な胸の高鳴りを気のせいにしてしまおうと、私は門倉のネクタイを思いきり引っ張った。


「ホントにムカつくよね、門倉って」

「ん?そうか?」

「自覚ないのが更にムカつく……」


 歯を食いしばって更に強くネクタイを引っ張った。その拍子に気を抜いていた門倉の顔が引き寄せられ私の顔に近付いた。

 えっ、まさか……?!

 次の瞬間、ガツンと鈍い音をたてて門倉の額が私の額にぶつかった。


「いってぇ……」


 門倉は痛そうに声をあげて額をさすった。私はあまりの痛さに声も出せず両手で額を押さえた。

 痛いよ!この石頭!!

 あんな至近距離で門倉の顔見たのは初めてだ。

 門倉の顔が近付いてきた時、ありもしないことをほんの一瞬でも想像してしまったことは恥ずかしいしカッコ悪いから黙っておこう。


「おまえね……そんなイライラしてたら話にならん。社食行くぞ」


 門倉はベンチから立ち上がり、まだ痛む額を押さえている私の腕を引っ張って立ち上がらせた。


「腹減ってるから余計にイライラしてんだろ?昼飯おごってやるから機嫌直せ。話はそれからだ」



 それから社食で一番高い和風ステーキランチをコーヒー付きでおごってもらった。

 門倉はすごい勢いでステーキを頬張る私を眺めながら、少し呆れた顔をして日替わりランチを食べていた。


「それで、昨日何があった?」


 食後のコーヒーを飲みながら門倉が尋ねた。

 何があった?って……光と会わせたのは門倉なのに。

 突然光がやって来て謝られて……あの人の話を聞かされて……それから?


「……頭下げられたよ、ごめんって」

「それだけか?」

「あの時の女の人のこと聞いた」

「それで?」

「……ずっと後悔してた、って……」


 門倉は顔をしかめてコーヒーを飲み干した。


「それでおまえはなんて言ったの?」

「逃げた……。それ以上何も聞きたくなかったから」

「逃げたのかよ……。それじゃ意味ねぇじゃん」


 意味がないなんて言われても、私にとってはあれが精一杯だったんだ。

 もう会わないつもりだった。本当に好きだったから、光との間にこれ以上イヤな思い出は増やしたくなかったのに。


「知らなくて済むことまで知って傷付くのは私だよ?今更あんなこと言われたって……」

「……あんなこと?」


 門倉が険しい顔をして少し身を乗り出した。面白い話でもないのに、そんなに期待されても困る。


「何言われた?もしかして復縁か?」


 なんでそうなるかな。

 もしかして門倉が私に光と会うことをしきりにすすめていたのは復縁させるため?私が今もまだ光を好きであきらめられないとでも思ってるとか?

 いや、逆に光が私と復縁したがってると思ってる?だとしたらそれはとんだ勘違いだ。

 確かに昔は光のことが本当に好きだった。光もきっと同じ気持ちでいてくれたと思う。だけど光は私以外の人を好きになって私と離婚することを決めたんだ。

 会わなかった間に好きなタイプとは真逆に変わった私と、今更復縁なんてしたいと思うわけがないじゃないか。彼女と別れて冷静になったら私に対する罪悪感が生まれて謝りたくなったとか、会いたかった理由はそんなものだろう。

 違うと答えようとした時、門倉のスマホが鳴った。門倉は画面に表示された発信者の名前を確認して、少し眉をひそめて立ち上がった。取引先の責任者からかな。


「話は仕事の後だ。仕事終わったらメールしろよ」


 私には仕事の後のプライベートな予定なんてないって思ってるのか?

 いや、確かにないけど。

 当たり前みたいに私の予定を勝手に埋めないで欲しい。



 定時になって残業前の休憩時間、自販機でコーヒーを買って喫煙室に向かった。

 喫煙室でぼんやりとタバコを吸いながら思い出したのは、光とデートの待ち合わせをした時のことだ。


 付き合い始めて半年ほどが経った頃、前から行こうと言っていたテーマパークに行く約束をした。

 待ち合わせは駅前の時計台で10時半。朝早く起きて慣れない手付きで一生懸命作ったお弁当をトートバッグに詰めて、ウキウキしながら待ち合わせ場所へ足を運んだ。少し早めに着いて待っていたけど、光はなかなか現れなかった。

 待ち合わせ時間から30分が過ぎた頃、心配になって電話をしてみると、光は眠そうな声で電話に出た。寝過ごして約束の時間を過ぎていることに気付いた光は、慌てた様子で『ああっ!!』と大きな声をあげた。

 私は早起きして一生懸命お弁当を作って楽しみに待っていたというのに、光は前の夜に友達と遅くまで飲み過ぎて約束のことをすっかり忘れていたらしい。

『ごめん、すぐ行くから待ってて』と言われても、私は光に忘れられていたことが悲しくて無性に腹が立って、『待たない。もう帰る』と言って電話を切った。

 お弁当の入った重いトートバッグを肩に掛けて家に戻り、ベッドにうつ伏せに寝転んで枕に顔を突っ伏した。

 あんなに楽しみにしていたのにひどい、光のバカ!

 泣きながらそんな風に何度も心の中で光を責めた。

 1時間近く経った頃、誰かが部屋のドアをノックした。嬉しそうに出掛けたはずなのに泣きながら帰ってきた娘を心配して母親が様子を見に来たのかと思い、私は返事をしなかった。

 もう一度ノックする音がしてドアが開いた。部屋に入ってきたのは光だった。


『瑞希、ホントにごめんな』


 光は申し訳なさそうにそう言って、ベッドのそばにしゃがんで私の頭を撫でた。枕に突っ伏してその手を振り払うと、光は『ごめん』と何度も謝った。


『朝早くから一生懸命お弁当作ってくれたんだって、お母さんに聞いた。ホントにごめん』


 その言葉を聞いて、落ち着きかけていたのにまた涙が溢れた。


『光のバカ。楽しみにしてたのに忘れちゃうなんてひどいよ』


 光はベッドの縁に腰掛けて、子どもみたいに泣きじゃくる私を抱きしめながら、また何度も『ごめん』と呟いた。

 光があまりにも申し訳なさそうに何度も謝るので、テーマパークにはまた別の日に行くことにして、その日は家の近くの大きな池のある公園で一緒にお弁当を食べた。手を繋いで池の周りを散歩してボートに乗った。

 本当はどこかへ行っても行かなくても、光と一緒にいられたらそれだけで良かった。ただ忘れられたのが悲しかっただけで、いつも光にとって一番特別な存在でいられたら、それだけで良かったんだ。


 そういえば喧嘩をしてもいつも先に謝るのは光だった。謝らなきゃいけないのは私だったとしても、なかなか素直に謝れない私の性格をわかっているからか、光が先に謝ってくれた。


『ホントにごめん。好きだよ、瑞希』


 喧嘩をしても最後にはその一言で仲直り。

 離婚する時、光は一度も謝らなかった。もう好きじゃない私とは仲直りする必要がなかったからなのかも知れない。



 7時半過ぎ。

 ようやく仕事を終えてメールを送ろうとしていると門倉がやって来た。


「そろそろ終われるか?」

「あ、うん。ちょうどメールしようとしてた」

「そんじゃ行くか」


 一緒に会社を出ていつもの居酒屋へ向かった。


「わざわざ迎えに来たの?」

「別にそういうわけじゃないけどな。そろそろ終わったかなーと思って覗いてみただけ。メールするより早いし」

「ふーん……」


 居酒屋に着く少し前、会社の受付嬢と会った。

 若くてかわいいと評判の彼女は私に軽く会釈をした後、親しげな様子で門倉に話し掛けて、今度食事に誘ってくださいとか猫撫で声で言っていた。きっと門倉のことが好きなんだろう。

 これまであまり気にしたことはなかったけれど、門倉ってモテるのかな?

 彼女の私を見る目には少なからず敵意を感じた。

 私はただの同期だし敵意を向けられる覚えもない。だからというわけでもないけれど、私がすぐ隣で待っているというのに話がなかなか終わらないので少しイラッとした。


「門倉課長、お邪魔なようでしたら私は先に失礼しますけど。私の話は特に急ぎませんので」


 わざとらしくそう言うと、門倉は不気味なものでも見た時のように眉をひそめた。

 受付嬢は嬉しそうに門倉に笑い掛けた。


「でしたらこれから私と一緒にお食事でも……」

「いや、悪いけど今日はこの後、篠宮課長と大事な話があるから。じゃあまた」


 あっさりとその場を去ろうとする門倉と私を見る彼女の視線の鋭さには身震いがした。

 大事な話ってほどでもないのに。若くてかわいい女子と食事する方が門倉の将来にとっては大事なんじゃない?


「彼女の誘いに乗ってあげたら良かったのに」

「何言ってんだ。あんな小娘にはなんの興味もねぇよ」

「あっそう……」


 当たり前かも知れないけど、門倉にも好みのタイプとかあるんだな。若くてかわいい女子に興味がないとすれば、実は歳上熟女が好きとか?

 まぁ、私には関係ないけど。


 居酒屋に入り席に着くとまずはビールと適当な料理を注文した。今日はあの女子大生風の店員はいないらしい。

 門倉はビールを飲みながら私にお通しの小鉢を差し出した。イカとトマトのマリネだ。私は黙ってそれを受け取った。


「それで昨日何があった?」

「それ、2回目だよね?」

「あれじゃわからん。もっと詳しく話せ」


 詳しく話して聞かせるような内容でもなかったんだけど、仕方がないので昨日のことを話した。


「俺が悪かったって……ホントにごめんって頭下げて謝られた。うまくいかないのを全部私のせいにしてたとか、自分からは何も話さなかったのに、どうして俺の気持ちをわかってくれないんだって思ってたって。瑞希は俺より仕事が大事なんだって拗ねてたらしい」


 門倉は運ばれてきた枝豆に手を伸ばしながら少し首をかしげた。


「元旦那が会社に行けなくなった本当の理由はなんだ?」

「本人からは聞いてないけど……友達の話では同じチームの上司と先輩から嫌がらせっていうか、イジメみたいなことされてたって」

「その原因は聞いてないのか?」

「新卒で結婚してたから新人の頃から目立ったみたいだけど……4年目に配属された営業部で、なかなか婚活がうまくいかない上司とか、結婚間近だった彼女と別れて間もない先輩から目の敵にされたって」


 門倉は心底呆れたと言いたそうな顔をして枝豆の殻を殻入れに放り込んだ。


「嫉妬かよ……。後輩相手に大人げないやつらだな」

「仕事のミスをなすりつけられたりしたことも何度かあって、極めつけは大きな取引先との契約の手続きの日に手直しの済んだ書類を手直し前のものと差し替えられて、先方を怒らせたらしいのね。それで契約自体が流れちゃったとかで、職場の人たちの目の前で上司に罵倒されて全員から白い目で見られたらしい」


 いわゆるパワハラってやつだ。

 光がどんなに頑張っても認められず、覚えのないミスを大勢の人の前で罵られたのだから本当につらかったと思う。


「それにしても変な話だな。入社して1年とか2年とか、早くに結婚するやつなんてうちの会社にだっているだろう?そんな目の敵にされるようなことか?」

「うん……それもそうだね。少なくとも営業職に就くまでは普通に会社に行って仕事してたはずだから、会社に行けなくなったのは営業部の上司と先輩にされたことが原因なんだと思う」


 もし結婚していなければ上司や先輩に虐められることもなく、そんな事態は避けられただろうか?

『うまくいかないのを全部瑞希のせいにしてた』と光は言っていたから、もしかしたら私との結婚を後悔していたのかも知れない。


「なんか話がそれたけど……それから他に何言われたんだっけ?女のことだったか?」


 運ばれてきた焼そばを取り皿に取って差し出すと、門倉はそれを受け取り口に運びながら話の続きを促した。


「あんまり話したくないんだけど」

「黙って飲み込んだって篠宮がしんどくなるだけだろ。だったら愚痴でもなんでも聞いてやるから、洗いざらい全部話せ」


 門倉は私の頭をポンポン叩きながら真剣な顔をしてそう言った。

 言われたこともされたことも想定外だった上に、その手があまりに優しかったから無性に照れくさくなって、私は慌てて門倉の大きな手を払い除けた。


「やめてよもう……子どもじゃないんだからね」

「俺はこんな素直じゃない子どもは要らん。だけど今おまえの気持ちを一番わかってやれんのは俺だからな」


 もしかして門倉って天然タラシ?それとも計算して言ってる?

 無意識なのかわざとなのか、もしかするとその言葉に全然意味なんかないのかも知れないけれど、門倉もこういうこと言えるんだ。

 どうせならさっきの受付嬢みたいな若くて可愛い女子をたらし込めばいいのに。


「また勝手に決めつけて……。門倉よりもっとわかってくれる人がいるかも知れないのに」


 私が照れているのを面白がっているのか、門倉は更にワシャワシャと私の頭を撫で回した。


「それはないな。もしそんな稀有なやつがいるなら連れて来いっての。昔はともかく、この2年間一番近くで篠宮を見てきたのは俺だろ?」


 悪かったな、どうせ私は仕事が恋人の32歳バツイチ独身女だよ!


「たいした自信ですこと」

「まぁな。俺が篠宮を一番近くで見てたってことは、俺を一番近くで見てたのも篠宮ってことだ」


 確かにそうだけど……そんなこと言われると丸裸にされたみたいで恥ずかしいわ!!それに今、『門倉を一番知ってるのも私』みたいなことをさらっと言ったよね?いやいや……そんな風に言えるほどは知らないよ、門倉のことなんて。

 しれっとした顔でそんな恥ずかしいことが言えるってことは、門倉ってやっぱり天然タラシなのかも知れない。


「それはともかく。篠宮のこんな話聞いてやれんの、俺しかいないだろ?」

「なんかムカつくんだけど……」

「いいからほら、話してみ」


 ちょっとムカつくけど、私は光が付き合っていた女の人の話や、光に言われたことと私が言ったことを事細かに話した。

 光があの人と付き合い始めた経緯や、浮気のつもりが本気になってしまったことと別れに至った理由。

 お互いに向き合おうとしなかったことや相手に寄り添う気持ちを持てなかったことを、光も私と同じようにずっと後悔していたこと。


『ずっと一緒にいようって約束したのに、俺は……!』


 光のその言葉の先は聞くのが怖くて逃げてしまったと言うと、門倉は顎に手を当てて何かを考えるそぶりを見せて、ライターの蓋をカチャカチャと開け閉めし始めた。しばらく黙ってその金属音を聞いていたけれど門倉は何も言わないし、だんだんそれが耳障りになってイラッとしてきた。

 いい加減カチャカチャうるさい。


「あのさ……それ、やめてくれる?うるさいんだけど」

「あ……悪い」


 門倉はライターの蓋を閉めてテーブルの上に置いた。

 やっと静かになった。

 私はため息をついてジョッキのビールを飲み干した。門倉は険しい顔をしてジョッキを傾ける。


「篠宮、やっぱ元旦那ともう一度ちゃんと会った方がいいんじゃないか?」

「……なんで?私はもう会いたくないよ。今更どうしようもないことばっかり聞きたくないもん」

「それだよ。今更聞きたくないって思うのは篠宮が元旦那とのこと吹っ切れてないからだろ?お互いを好きだった頃の昔のままでいて欲しいとか思ってるんじゃないのか?」

「……そうなのかな」


 光とはもうとっくに終わったはずなのに、私は今もまだ光に何かを期待しているって、そういうこと?

 期待しているつもりはないけど、もう会うこともないと思っていた光に何度も謝られて、あんな風に必死で引き留められて、昔のことを思い出してしまったのは本当のこと。


「昔ね……喧嘩したらいつも光が先に謝ってくれたんだ。私はなかなか素直に謝れないから、私が謝らなきゃいけない時でも必ず光が先にごめんって言うの。あの頃はそれで仲直りできたんだけどね。離婚する時、光は謝らなかった。それってもう仲直りする必要がなかったからなんだよね」


 門倉は店員を呼び止めビールのおかわりを二つ注文して、運ばれてきたビールのひとつを私に手渡し、タバコに火をつけた。それからタバコの煙を吐き出してビールを少し飲むと、私の顔をじっと見た。


「それがしばらく経って謝らなきゃと思ったってことは……篠宮に許してもらいたい理由があるんだろ」

「許してもらいたい理由?」

「きっと復縁したいんだよ、あいつは」

「復縁……?ないない、あんな最悪の別れ方したんだよ?今更そんなのありえないって」


 門倉はため息混じりにタバコの煙を吐き出して、またライターの蓋を開け閉めしている。


「ずっと一緒にいようって約束やぶったの後悔して、篠宮に会って謝らなきゃって思ったんだもんな。許してもらって仲直りして、復縁したいんじゃないのか?」


 今更そんなことしてどうなるって言うんだろう。お互いに許し合えたら心のわだかまりは取り除けるのかも知れないけれど、だからといって昔のような関係に戻れるわけじゃない。

 門倉はオイルライターの蓋を閉めてテーブルの上に置くと、まっすぐに私の目を見た。


「篠宮はどう思ってるんだ?」

「どうって……」

「もう一度やり直したいとか……」


 いくら光が謝ったとしても、私はこれまでのことをすべて水に流せるだろうか?何もかもなかったことにしてうまく笑えるだろうか。

 どんなに考えてもそれは無理だと思う。あんな強烈で惨めな記憶は私の中から消えることはないと思うから。


「……それはないよ。あんなことがあったのに、うまくいくとは思えないもん。許したつもりでもやっぱり何かの拍子に思い出して許せないと思う」

「……だよな。俺もそう思う。だから、もう一度会ってお互いにそれをハッキリさせた方がいい」


 その気がないなら無理に会わなくてもいいような気がするんだけどな。


「なんで?だったらもうこのままでも……」

「言ったろ?いい加減ここらで禊を終わらせないと先には進めないって。おまえも元旦那も、ついでに俺もな」

「俺も……?門倉は指輪処分して禊はもう済んだんでしょ?」


 門倉は大きなため息をついてタバコの火を灰皿の上でもみ消した。


「全然わかってないね、おまえは」

「……何が?」


 門倉は私の禊に関係なく元妻とのことは吹っ切れているみたいだし、私の禊が終わらないと前に進めない理由なんてどこにも見当たらない。


「俺がなんのためにおまえの禊に付き合ってきたと思ってんの?」

「なんのためって……門倉も元妻とのことを吹っ切るためでしょ?」

「俺はとっくにあいつのことなんかキレイさっぱり吹っ切れてるわ」


 吹っ切れてるのに禊に付き合ってきたって何?門倉の言いたいことがさっぱりわからない。


「同じバツイチの同期を救うためのボランティア的な……?」

「本当のバカだな、篠宮。俺、今軽くショック受けた」

「え、なんで?」

「篠宮の禊が終わらないと、いつまで経っても俺はおまえにとってただの同期のバツイチの禊仲間なんだろ?」


 ……は?

 私たちの間にそれ以外の何があるって言うの?


「ちょっと意味がわからないんだけど。禊が終わったって同期で同じ課長でついでにバツイチの仲間だって言ったのは門倉でしょ?」

「そうか、確かにそう言ったのは俺だな。ああ、そういえば今日な……」


 それから門倉は突然部下たちのことを話し始め、私が禊を終えた後のことに関しては何も言わなかった。

 一体どういうつもりだったのかとモヤッとしたけれど、私はあえてそこには触れなかった。




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