空気の日記

四月十四日


※「空気の日記」は、oblaat(オブラート)による詩人の輪番制web日記。2020年4月1日から2021年3月31日までの1年間の企画で、現在もウェブマガジン「SPINNER」に掲載されています。





数字だけを眺めるのが好きだ。積みあがっていく数がいい。日々変化する数。気温、為替、金利、ゴールド、日経平均、原油、大豆、トウモロコシ、コーヒー、放射線量。最近これに感染者数、死亡者数が加わった。毎日眺める数は雄弁で、世界の多くを物語るから、余計なものはいらない、言葉もいらない、数字に語らせていればいい。街を歩く人の数、電車に乗る人の数。いつもの山手線は三〇〇%だがいまの山手線は一〇〇%だと聞けば、三〇〇%の時に窒息しかけていた人について想像する。知りたい数字はたくさんある。調布駅や虎ノ門の交差点でビッグイシューを掲げていたおじさんの現在の販売額はいったいどうなっただろう。


数字にとっては私がどこにいようがたいして関係のないことだ。ストロングゼロのアルコール度数はどう考えても高すぎるし、はたちの頃にストロングゼロが存在しなかったことに私はいま、心の底から感謝している。当時ストロングゼロがあったなら、私の存在はいまごろゼロだ。あのころ酒というのはつつましく、せいぜい形容詞で「大きい」と語るくらいだった、つまり大五郎とかビッグマンとか。しかしおや、大五郎には「五」が入っているではないか! 四リットルのくせに。二四歳の頃は毎晩、ストロングでもゼロでもない四リットル二〇度を、同じ寮の友達と湯のみでお湯割りにして飲んでいた。適切な濃度の液体を多量に摂取した人体は、自分の本やCDを他人の部屋に忘れ、そもそも持ち込んだことすら忘れて翌日笑われることになる。あのころは毎日、タクトタイム六〇秒、または七二秒、または五六秒で複写機を組み立てていた。腰曲げ三秒ルールの世界だった。


三秒以上腰を曲げてはならない。人体は三秒以上の腰曲げに向かない。タクトタイムより二秒早く工程を完了すれば、この二秒は永遠に等しい退屈となる。退屈のあいだに三分の歌をうたう。計算が合わないが、そういうものである。有線のデイリーチャート二〇曲、今はきっとSpotifyにとってかわったことだろう。五本の指はテーピングでかちかちになり、強張った筋肉の痛みをゆるめるために毎晩サロンパスを貼った。うっかり入院でもしようものならその月の収入はゼロになり、その後国民年金保険料に悩むことになるのだった。私は今年48歳で、あれから数えて倍になった。今日、私に一円を給付し、明日二円を給付し、あさって四円を、その次の日は八円を。倍に倍にしていって、私が生きた年数だけくりかえしてもらえないものだろうか。何しろお札というものは物質的には紙であり、言葉と同様、記号としての意味しかないのだと、みんなよく知った方がいい。重要なのはモノだ! 物質だ! しかし、ほんとうに?


一時期、お札がただの紙に見えてしまうときがあった。ある人にその話をすると「脳の機能がおかしくなっているかもしれないから、気をつけた方がいい」といわれ、それ以来私はお札がただの紙ではなくお札と感じられるか、ときどき自分に確認することにしている。しかしお札でもコインでもないマネーというのは、結局ただの数なのだ。お札をつくるにはパルプとインクと深遠な技術が必要だが、マネーにそんなものはいらない。必要なのは流通経路だ。通じさえすればいい。マネーは言葉とよく似ている。交換可能で、変幻自在で、グローバルに世界をかけめぐる――かけめぐる? ウイルスよりも速く? ウイルスは純情報体だ、彼らは複写を続ける情報である、マネーのように。言葉もまたそうである。そしてここに同じような言葉ばかり再生産する私がいる! 私! 私! 私……だが、私は同じような言葉や同じようなモノの再生産を愛している。人類だって結局、同じようなものの再生産だが、私はそこに微小な差異を見出して愛する。同じようなものバンザイ!


悲しいことに、同じようなものは、同じものではない。




東京・つつじが丘

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