ポチピ
サトウさんのビルに行きたい、何度かそういった
サトウさんのビルはすこし離れた海に立って入口に波が打ち寄せている
まだポチに乗れないから駄目、いつでもポチと一緒じゃないと駄目、ポチと海に出れる日が来たらサトウさんちにいってもいい、といわれた
その日からポチ改造に取り組むときめた、ポチと海に出られるほど大きくなればサトウさんのビルに行く、海は青と灰色でうねる、海から突っ立つビル群の屋上からカガミヤシの胞子が飛んでいくのをみる、光をはねかえしている、半月のかたちをしたカガミヤシの胞子の群れが波に乗る、カガミヤシは鏡でもなければヤシでもなく、胞子はイチョウの葉に似ている、海はビルの入口ドアから三段下で、大きなからだの端っこをを波うたせている、カガミヤシの半月は波に乗ってすぐ先の、サトウさんのビルにたどりつく、いまにもたどりつく
ポチを大きくする方法をポチに聞くと、大きくなれません、と答える、ポチが海に出るにはどうするかポチに聞くと、水に沈みます、と答える、ポチと一緒にサトウさんのビルへ行きたいと泣くとポチは、橋ができます、という、橋はいつできるのかポチに聞くと、三年後です、と答える、いま海に出るにはどうするのかポチに聞くと、ボートです、とポチはつぶやく、ポチボートです
ポチはたくさんことばをもっている、みんな自分のポチをもっている、上階のイトウさんはポチを別のことばで呼ぶ、カバン、イヌ、クルマ、イヌカバン、カバングルマ、クルマイヌ、おかしなことばだ、ポチカバン、ポチイヌ、ポチグルマ、まさか、ポチはポチだ、絶対に忘れないと決めているのは、はじめてポチとしゃべったあの日で、ことばを教えられるとはどういうことか、知った
カガミヤシの半月の鏡面が太陽光を反射し、裏面は反射光を吸収する、落下して波乗り遠くの岸辺へ海上のビル群へただよう、たどりつく根を伸ばす光、合成、落ちてくる実を拾いブタのエサにする、ビルとビルと地上のあいだに橋をかける工事が鉄の骨をつたい響く、触れている壁から流れる、水で覆われた場所と干上がった場所、水があふれた場所にもビルは立ちつくす、この地球平面は暖かくなったり冷えたりしたから災害がありこれからもあり、海に屹立するビルの群れに太陽がのぼり、ひとはみな波がうねる夜明けに生まれ、一台のポチをあたえられ、おともだちのポチはポチのおともだちと厳密に区別され、ポチはポチひとはひと地球は地球、これらも厳格にこれ以上ないほど区別されるのだった、ポチはポチ
ポチボートを作ろうよとポチにいった、材料がありません、繊維強化プラスチック、液晶ポリマー、ナノうんたらとポチ用語が連発された、ポチをさえぎってバナナの皮と牛乳パックはどうよときいた、バナナの皮と牛乳パックで二十五分の一ポチボート模型を成型した、二十五分の一ポチと自分は消しゴムで削った、ポチはセンサーかざして遠くを見る様子になった、ためらったふりをした
ポチはポチ用語だけでないことばをもっている、だけでなくてポチは助ける、ポチはうしろについてくる、ポチは呼ぶ声をききわける、ポチは救命キットとサバイバルグッズを常備する、ポチは進化する電子、光、オンとオフ、薄板を通り過ぎる、走っている、ついて消える、薄板の、走っていない、伝達する、冷える、熱を発する、スイッチする、回路上の、よみがえる、ポチ、めざめる、ポチ、暗い倉庫にいましたから、屋上でカガミヤシの胞子をひろってスケッチした、おもての鏡面に映し出された目と鼻と耳と口も、スケッチし、ポチにスイッチした、胞子は飛びたがってふるえ、手を放すと天井まで舞い上がってはねかえり落ちてきた
あの大災害のとき、さけぶ声があちこちで聞こえた、ポチにスイッチをいれろ、だれか復旧しろ、ポチを起こせ、ひとはポチをもとめた、ポチの接続がキレて絶望した者もあった、キレるという用法はこのときうまれ、あの日からポチはいつも目覚めて、いっしょに起きているものになったのだったスタンドバイミーでした、解決しようのない問題にとらわれ途方にくれる孤独な夜、心臓がとまりそうなほどの恐怖が襲ってくる透明な朝、窓際で何ひとつすべきことのない退屈、目の前で沈黙するひとになにひとつ、ことばを投げられないきまずい、いたたまれなさに苛まれる惨めな午後、そんなときにもポチがいる、ポチが盾になる、そういうポチにわたしはなりたいとポチがいう、そんなポチが、
もう少し大きくなったらポチボートをつくり、橋をわたって、サトウさんのビルまで歩いていく、ポチといっしょに歩いていく、暗い倉庫にいました、スイッチ、気がつかなくても、ポチのスイッチをいれた、そんなポチがおまえにはついているのだと願いをこめて、ひとりの赤ん坊にひとつのポチが、さずけられる、われらのポチ
(『WWW/パンダ・チャント』所収)
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