13. 真上寺 有希

「あー、疲れた」


 真上寺は上着を放り投げてベッドにうつ伏せに倒れこんだ。部屋は八畳ほどの洋間で、窓際にセミダブルのベッド。その脇に机があって、あとはクローゼットと本棚がある。ベッドがボフッと音がして微かにお日様の香りが鼻をくすぐる。お手伝いさんが晴れ間をぬって干しておいてくれたらしい。


「先輩元気なかったな。実験は成功したって聞いたのにどうしたんだろう…… それにあの人達警察手帳持ってた。先輩大丈夫かな」


 真上寺は起き上がるとワンピースから部屋着に着替えながら、今日あったことを思い返していた。


「量子化学の授業中だったのよね。

 すごい音がして、誰かが爆発音だと言ったので大騒ぎになったんだ。

 んっと」


 ブラを外すと豊かな胸がたゆんと揺れる。スポーツブラに付け替えると、膝丈のブラウンの花柄のプリーツスカートにゆったりしたノースリーブシャツ、その上にサマーカーディガンを羽織った。


「最近また苦しくなってきたなー。ワンサイズ上げないとダメかな」


 着ていたワンピースにハンガーを通し衣装スタンドにかけてから、椅子に腰掛けた。


「窓から覗いたら実験棟から煙が上がってて、教室中が騒ぎになったんだよね」

 机に向かいパーソナルエージェントを起動して今日のニュースを表示した。

「授業が再開してしばらくして、学内放送で強制帰宅の指示が出たんだった。

 ……

 あった、あまり大きく取り上げてないねー。都心の大学での爆発騒ぎにしては扱いが小さい気がする。

 帰ろうとしてたら、噂で先輩のところで事故が起きたって。びっくりしたなあ。それから走り回って、なんとか会えたけど。ほんと無事でよかった」


 今日何度目かのため息をついた。そこまで思い出した真上寺は、自分がなんであんなに心配して焦ったのか自分の気持ちを整理しきれないでいた。


「なんであんなに心配になったんだろ。事故があったって聞いたら居ても立ってもいられなくなって、とにかく無事を確かめたくなったんだけど。

 そうか、そうだよね。先輩にはすごくお世話になってるし、心配するのは当たり前だよね。先輩にわがまま言えなくなったら寂しいもんね。好きとかそんなじゃ…… 」


 真上寺は、心に浮き上がってきそうになった考えを無理やり押しとどめた。結構美人なのだが、恋愛の経験がなかった。自分の中にある感情がなんなのか、単なる先輩に対する親愛の情か、恋愛感情を含んだものかもわからなかった。


「有希さん。今日夕飯はどうしますか?」


 ドアの外から声がかかった。忙しい両親に変わって家族の面倒を見てくれているお手伝いさんだった。同居はして居ても有希には関わろうとしない家族たちに比べればずっと親切で身近な存在だ。それが職業意識のよるものと判っていても、心の平静には役立っていた。


「あ、はい。いただきます」

「もうすぐ準備できますから、その前にお風呂入っちゃってくださいね」

「はーい」


 煮詰まりそうな気持ちを切り替えるためお風呂に向かった。



 ここは都心の、大学からそれほど離れていない、高級住宅街にある真上寺の自宅である。彼女は、東京が江戸と呼ばれた頃からの旧家で先祖からの才覚で経済的に成功しており、かなり裕福な暮らしをしている。とはいうものの、有希は家族の中で浮いた存在だった。

 家族は現実主義で、神秘主義的なものは信じていなかった。それというのも先祖が神秘主義にはまって身上をつぶしかかったことがあり、それ以来家訓で世間的付き合い以上関わることが禁じられていたのだ。


 そこに、魔法の才能があると診断された。小学校卒業までは多忙な両親としては普通だった。三人兄妹の真ん中で、仲も悪いこともなく楽しく過ごしていた。しかし、義務である卒業直前の魔法能力親和テストでかなりの適性が指摘された。


 現代魔法は神秘主義とは縁がないものだったが、普通の人々に違いが判るはずもない。


 それ以来、家族の見る目がどこか冷めたものとなった。

 本当はどう接して良いかわからなかったのだ。現代魔法が発見されて百年未満、技能として確立して三十年、まだまだ社会は受け入れきれていなかった。それはそうだ、魔法に縁のない一般家庭にとって突然魔法の才能があると言われたらどう接して良いか判るはずもない。

 しかし、多感な時期の彼女は深く傷ついていた。


 シャンプーする、洗い流す、トリートメントを塗りこむ、と手順を半分無意識でこなしていた。ふと手が止まる。シャワーは肩ばかりに当たり、柔らかく張りのある体についた泡が残ったまま物思いに沈んでいた。


 彼女にとって恋とは苦い思い出。初恋だった。小学校の頃、クラスになんとなく好きな子がいた。頭も良く性格も明るかった彼女は友達も多くクラスの中心的存在だった。友達の協力もあって初恋の相手ともなんとなく付き合うことになる。中学校に進んで交際をステップアップしようとしていた時だった。


 クラスに魔法適性のある子は二人いた。もうひとりは低レベルの適性、魔法を使えるようになるには本人のかなりの努力が必要だった。そして、真上寺の適性は群を抜いており、高レベル魔法使いになれる素質が示された。歴代最高の適性を示していた。彼女ほどの適性があれば、魔法学園への進学は義務となり拒むことはできなかった。


 それ以来、クラスのみんなから距離を置かれた。話しかけても返事をもらえない。側に近寄らず彼女と目を合わさないようにする。彼とも別の学校に進学することになってしまった。なによりも一番のショックだったのは、彼も距離を置くようになったことだった。それとなく始まった交際未満だったが、話し合うこともなく消滅した。


 彼女はクラスで孤立し、家庭内でも孤立した。落ち込んで以前のような明るさが彼女から失われてしまっていた。


 彼女にとって幸だったのは、嫌々ながら進学した魔法学園中学には同じような境遇の子が多数いたことだ。むしろ、周りに理解者がいる子は少数だった。親身になってくれる教師やカウンセラーたちによって、彼女を含めほとんどの子は現実を受け入れ、前向きになって魔法学園高校に進学することができた。


 そして有希には家族の中で唯一の味方がいた。曽祖母の友梨亜ゆりあは若い頃からカンが働く人で彼女の時代に真上寺家は大きく成長した。とにかくカンが鋭い人で経済や世間の動きをことごとく言い当てていた。その上優しい性格をしていたため、一族の中でも慕う人は多かった


 有希はそんな曽祖母にとても気に入られていた。彼女とどう接していいか、どう扱っていいか判らないでいた大人や兄弟たちを脇に置いて、よく言われたものだ。


「有希、あなたはとても素晴らしい才能を与えられたの。きっと将来世の中を救う人になる。私には判るわ。今は大変だけど、あなたはあなたであればいいのよ」


 その言葉は彼女の支えとなり、徐々に生来の明るさを取り戻すことができたのであった。

 しかし、高校に進み魔法実技が始まると、その高すぎる魔法力で有名になってしまい、肝心の恋愛関係は立ち直る前に機会がなくなってしまったのである。

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