復帰を望む声
大路さんを舞台に立たせたい。その思いが強すぎて、今日まで一緒に頑張っていた西本さんのことを全く考えていなかった。
その事を突きつけられた僕と大路さんは、黙ってしまう。
そしてそんな僕達を見ながら、聖子ちゃんは呆れた声を出してくる。
「まさか本当に考えてなかったなんてね。満、やっぱりアンタ普通じゃないよ。いつもだったら、ちゃんと気付いてあげられたでしょ」
「……すまない」
俯いて、申し訳なさそうな声を絞り出す大路さん。
聖子ちゃんはそんな大路さんに近づいて、ポンと肩に手を置くと、諭すように言葉を続ける。
「こんな状態じゃ、舞台に立たせるわけにはいかないよ。予定通り、王子様役は朝美で行く。これは部長命令だから、翔太もいいね?」
これには僕も大路さんも、素直に頷くしかない。
西本さんには、本当に失礼な事をしてしまった。大路さんを舞台に立たせられたらと言う気持ちに変わりはないけど、これはもう……。
すみません大路さん、僕は何もできませんでした。
だけど謝罪の言葉を口にするよりも先に、突如声が部室内に響いた。
「いいんじゃないの、満が出ても」
聞き覚えのある、明るい声。
振り返るとそこには、ドアから顔を覗かせている西本さんと、雪子さんがいた。
「朝美……いつからそこに?」
唖然とした様子で、硬直する大路さん。今の会話を聞かれていたかと思うと無理はない。
だけどそんな大路さんとは裏腹に、西本さん……それに雪子さんも、いつもの調子で答えてくる。
「ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなかったんですけど、なんだか入って行き難い空気だったから、つい」
「怒んないでよね。それより話は聞かせてもらったけど、つまり私に悪いから、満は出せられないって事だよね」
確認するように聖子ちゃんを見て、それから大路さんに視線移す西本さん。
すると目を向けられた大路さんが、申し訳なさそうに頭を下げる。
「朝美……すまない。私は、朝美の気持ちを、全く考えていなかった」
「ああ、そういうのいいから。と言うかこうなったのって、昨日私が変なことを言い出したのが原因だよね。ごめんね、一番辛いのは満なのに、動揺させるようなこと言って」
西本さんはそう答えた後、今度はその眼差しを、聖子ちゃんへと向けた。
「あのさ聖子、気遣ってくれる気持ちはあり難いんだけどさ。別に満でも構わないって、私は思うよ。だって誰がどう考えても、満の方が適任なんだもの」
あっけらかんと言った様子で、そんな事を口にしてくる。だけどこれには、大路さんが慌て出した。
「そんな、それは違う。確かに私はわがままを言ったけれど、それは私の方が優れていると思ったからなんかじゃない」
「あー、うん。満ならそう言ってくれると思ったよ。だけどね、皆の期待ってものが違うのよ。知ってると思うけど、満がケガをして出られないってなってから、皆明らかに空気が盛り下がってるんだよ。聖子だって分かってるでしょ」
「朝美、それは……」
聖子ちゃんは一瞬返事を躊躇したようだったけど、余計な気遣いはしない方がいいと思ったのか、ため息をついて返事をする。
「まあ、そりゃあね。皆、満に期待していたわけだし。でもだからと言って、怪我が治りたての満を出すわけにはいかないでしょ」
「そうかな? 私はいいと思うけど。怪我をして出られないって言われていた満が、本番当日に電撃復帰。きっと大盛り上がりになると思うけど。今からの宣伝でも、十分話は広まるだろうし。皆喜ぶと思うよ」
西本先輩の言葉にふと頭に浮かんだのは、水森先輩の姿。大路さんが出られないと聞いて残念がってたって聞いたけど、やっぱり出るなんてなったら、間違いなく大喜びするに違いない。
きっと同じように、大路さんの復帰を喜んでくれる人は、少なくないはず。
そして更に、雪子先輩も同意してくる。
「確かに大路先輩は本調子じゃないかもしれませんけど、そこはショタくんだけじゃなく、私たち全員でサポートすればいいじゃないですか。私達ならきっと出来ますって。それでも反対って人は、いる?」
そうやって雪子先輩が目を向けたのは、部室の入り口。すると、そこにはこれまたいつの間に来ていたのか、既に登校してきていた演劇部の面々が、堂々と聞き耳を立てていた。
「皆、いったいいつの間に……」
僕も大路さんも、それに聖子ちゃんだって、開いた口が塞がらなかった。
きっと三人とも、話に集中しすぎていたのだろう。こんなにも多くの部員が登校してきていることに、全く気づいていなかっただなんて。
グリ女の生徒も乙木の中等部生も、関係無しに、部屋の入り口からこっちを見ている。
まあ集合場所で隠れもせずにこんな話をしていたんじゃ、気になっちゃうよね。
話を聞いていた皆は部屋の中へと入ってきて、口々に言う。
「まあ、大路さんがやりたいって言ってて、西本さんが承諾してるなら、良いんじゃないの?」
「やっぱり満は、うちの看板役者だからね。いないと締まらないよ」
「何かあったら、皆で解決すればいいだけだしね。いつもと同じじゃん」
突然の復帰にも関わらず、出て来るのは賛成の言葉ばかり。大路さんがいかに皆に信頼されているかがよく分かる。
そして最後に西本さんが大路さんの正面に立って、檄を飛ばしてくる。
「満、私は何も、自信が無いとか、アンタに気を使って引くわけじゃないから。私だって、舞台に立つアンタが見たい。だから交代にだって、応じられるんだよ。アンタは、これでもまだ諦める? それとも、舞台に立ちたい?」
迷いも躊躇いも無い声が、大路さんの心を揺らす。
大路さんが怪我をしてから、ずっと頑張ってきた西本さん。そんな彼女を差し置いて劇に出てもいいのかと、やっぱり迷いはあるのだと思う。
だけどそれでも、こんな風にまっすぐに目を向けられて、自分が何を望んでいるかを問われて。
大路さんは皆に向かって大きく頭を下げると、素直な言葉を口にする。
「朝美……ごめん。朝美には、本当に申し訳ないけど。皆には、迷惑をかけっぱなしになってしまうけど。やっぱり私は、舞台に立ちたい。今日の舞台は、私にとって特別なものだから!」
それは大路さんの一世一代のわがまま。そして再び顔を上げると、火の着いた目をしていて。それを見た西本さんは、思わず声を上げる。
「そうこなくっちゃ! で、そう言うわけだけど。部長、これでもまだ、満の復帰は認められない?」
「アンタ達ねえ……」
無理をさせちゃいけないと言う、聖子ちゃんの判断は間違っていなかったけど……。
聖子ちゃんは集まった皆をぐるりと見回した後、笑みを浮かべる。
「ここまでされてダメなんて言ったら、アタシが悪者になっちゃうじゃないの。仕方ない、先生にはアタシから言っておくから、満、しっかりやるのよ!」
瞬間、あちこちから歓喜の声が上がる。
大路さんは胸に手を当てながら喜びを感噛み締めて、聖子ちゃんに何か言おうとしたけれど。その前に聖子ちゃんは、僕に向き直ってきた。
「それから翔太!」
「はい!」
「アンタは舞台の上では、満に一番近い所にいるんだから、しっかりフォローしてあげること。もし何かやらかしでもしたら、今夜から一カ月、毎日プリンを奢ってもらうからね。一個二百円くらいの高いやつを」
「それって、合計六千円ってこと? でも分かった。大路さんの事は任せてよ」
このやり取りに、クスクスと笑いが漏れる。
プリンを要求してくるだなんて、公私混同も甚だしいけど、これが聖子ちゃんなりの背中の押し方なのだろう。
大路さんの復帰は、皆を戸惑わせるのではなく、むしろ団結力が上げた気がする。
「聖子、朝美……それに皆も、私のわがままを聞いてくれて、本当にありがとう」
そんな部員達の一人一人と目を合わせながら、大路さんがお礼の言葉をのべてくる。
そして皆を代表するように、西本さんがポンと、大路さんの背中を叩く。
「いいってことよ。私達は皆満のファンみたいなものなんだからさ。そんな満が、珍しくわがままを言ってるんだから、応えてあげなくちゃ」
急遽王子様の代役になって、だけど土壇場でまた交代することになった西本さん。本当なら怒っても良いはずなのに、そんな素振りは全く見せていない。
本当は、やっぱり自分が出たかったりするのかもしれないけど、それはきっと詮索するべきじゃない。これは西本さんが出した答えなのだから、僕達はその優しさを、ありのまま受け止めよう。
そんな西本さんは大路さんにそっとハグをしながら、激励の言葉を口にする。
「満、王子様役は任せたよ。下手な演技なんてしたら、許さないんだから」
「ああ、約束する。ありがとう朝美……私にとっては、朝美こそが王子様だ」
友情を確かめ合うように、抱き締め会う二人。強い絆を感じて、見ているこっちまで胸が熱くなってくる。それはもう、ちょっと妬けてしまうくらいに。
僕もあんな風に、大路さんを支えられるようになりたい。今は無理でも、いつかきっと……。
「ところで満、今回はやけに舞台に立つことに拘ってるけど、何か理由でもあるの?」
「理由……ああ、うん。理由ね……」
抱き合うのを解いて、何故か途端に歯切れが悪くなってしまう大路さん。
どうしたんだろう? そう不思議に思って様子を見ていると、大路さんは不意に僕の方を見てきて、目が合った。すると……。
「ーーッ」
一瞬だったけど、何故か赤面したような気がして。合わせていた目は、すぐに剃らされてしまう。
どうしたのだろう思ったけど、深く考える前に、大路さんは咳払いをしながら。冷静さを取り戻したような声で、静かに告げる。
「理由は……すまない。こんなわがままを言ったけれど、実はとても個人的で、身勝手なものなんだ」
「へえー、そうなんだ。何だか意外だけど、まあいいか。あんまり気にすること無いよ。誰だってたまには、わがままくらい言うんだから、ちゃんと劇を成功させてくれたら文句はないし、しっかりやるんだよ」
またもポンポンと背中を叩いて、励ます西本さん。
もしかすると、本当は詳しいことを聞きたいのかもしれないけど、今それをほじくるのは野暮だと思ったみたいだ。
そして、そんなやり取りが一通り終わると、聖子ちゃんがパンパンと手を叩いてくる。
「さあ、満の件はこれでいいとして、ミーティング始めるよ。誰か休んでいる人はいないよねー?」
ふわふわとしていた気持ちを引き締めて、放課後に控えた本番に備えて、最後の打ち合わせが始まる。
大路さんと一緒に、舞台に立てる。一度は諦めたけど、皆の後押しのおかげで再び実現できることが、僕はとても嬉しくて。
ただ、さっき大路さんと目を合わせた時に見せた赤面した顔が、少しだけ気になった。
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