本番前日

「あの日、舞踏会に行って良かった。今アナタとこうしていられる事が、とても幸せです」

「それは私も同じだよ。もう君を放したりはしない。これからも、ずっと一緒にいてくれるかい」

「もちろんです。何があっても、アナタの傍を離れたりはしません。私だけの、王子様!」


 交わされるシンデレラと王子様の熱い抱擁。このシーンは未だに少し照れてしまうけど、そんな気持ちを表情に出してはいけない。今の僕は、シンデレラなんだから。


 王子様と想いが通じ合って、幸せいっぱいのシンデレラになり切りながら、僕は王子様の……西本さんの腕の中にいる。


「カーット! 二人とも良かったよー」


 聖子ちゃんのカットがかかって、僕達は抱き合うのを止める。


 大路さんがケガをして、本番には出られなくなってしまってから数日が経って。最初は皆動揺していたけど、調子を取り戻すのに……今まで以上に頑張ろうとするのに、そう時間はかからなかった。


 大路さん直々に喝を入れられた僕はもちろん。皆も、いつまで沈んではいられないと再びやる気を出して、それぞれ練習に励んでいた。

 そして気が付けば、明日は本番。この日僕達は、最後の通し稽古を行っていた。


「西本さん、僕、ちゃんとできてたでしょうか? 直した方が良いところって、ありませんでした?」

「平気平気。ショタくんバッチリだったよ。明日もその調子でお願いね」

「はい!」


 ニッコリと笑ってくれた西本さんを見て、思わずホッとする。自分では手ごたえを感じていたけれど、やっぱりどこか心配で。だけどこう言ってもらえて、安心することができる。

 僕達以外の皆も、問題らしい問題は無くて。いつもは厳しくダメ出ししてくる聖子ちゃんだって、今はニコニコと上機嫌だ。


「翔太、悪くなかったじゃん。一時はダメダメになっちゃってたけど、これなら大丈夫そうね。朝美もバッチリだったよ」

「良かった。満の代役なんて責任重大だったけど、これならいけそうかな。ねえ満」


 離れて稽古の様子を見守っていた大路さんに、声をかける西本さん。

 大丈夫、今日の演技なら、きっと大路さんだって安心させられるはず。そう思って、僕も返事を待ったけれど……。


「あ、ああ。うん、良かったと思うよ……」


 ……何だろう。予想に反して大路さんは、何だか浮かない表情。

 いつもは、良いなら良い、ダメならダメってハッキリ言ってくれるのに、どうにも歯切れが悪くて。僕も西本先輩も、思わず顔を見合わせる。


「大路さん、もしダメなら、ちゃんと言ってください」

「そうだよ。本番は明日だけど、直さなきゃいけない所があったら、今からだって何とかするから。よけいな気遣いはいいから」


 言っててだんだんと、不安が込み上げてくる。初舞台となる僕もそうだけど、急遽代役を務める事になった西本先輩だって、今の大路さんの様子を見て焦っていた。

 だけどそんな僕らの様子を見て、今度は大路さんが慌てたように首を横に振る。


「いや、本当に悪いと言う訳じゃないんだ。二人とも良くできていたよ。特にショタくん、私と練習していた時よりも、ずいぶんと上達しているよ」

「そうなんですか?」

「ああ、この短期間でよくこんなに成長したって、驚いてるよ。たくさん頑張ってたものね」

「そうでしょうか? 自分ではよく分かりませんけど……」


 そりゃ最初の頃と比べたら、上手くなっていないと困るけど、それでもやっぱりピンとこないや。

 そんな首を傾げる僕を見て、大路さんは更に言う。


「上手くなっているよ。これなら、私は必要ないみたいだね」


 褒めてはくれたけど、トーンの下がった声と、どこか切なげな眼。

 誉めてもらったのに、どこか引っ掛かりを感じる。すると同じことを思ったのか、西本さんもじっと大路さんを見つめた。


「なんか言い方に棘が無い? 満、もしかしてまだ、自分のせいで皆に迷惑をかけたなんて思って、気にして無いでしょうね?」

「いや、そんな事は無いよ。そりゃあ、迷惑をかけたとは思ってはいるけど、こんなにも立派なシンデレラを見せられたんだから。大丈夫って思ってるよ」


 慌てたようにそう言ったけど、やっぱり違和感はぬぐい切れない。

 だけどそんな悪い空気を絶ち切るみたいに、聖子ちゃんが話をしめてくる。


「はいそこまで。満が良いって言ってるんだから、これ以上余計なことは言わない。それより翔太も朝美も、後片付け始めちゃって。明日は本番なんだから、ちゃっちゃと片付けて、今日はもうゆっくり休む。いいね」

「はーい」

「……わかった」


 と言ったものの、未だ消えないモヤモヤ。

 もしかしてちゃんとできたって思ったの僕の勘違いで、本当はまだ粗だらけなのかもしれない。そんな不安が沸き上がってくる。


 だけど聖子ちゃんの言う事を聞かないわけにもいかなくて。片付けが終わると、今日はもう解散、後は明日の本番に望むだけだ。


「それじゃあ皆、怪我と風邪には十分に気を付けて。体調を万全に整えて、絶対に成功させるよ。と言うわけで、また明日ね!」


 聖子ちゃんの挨拶が終わって、皆次々と帰って行く。僕も帰ろうとしたけれど、その前に聖子ちゃんが、チョンと肩を叩いてきた。


「言い忘れてた。翔太、今日は先に帰っておいてよ」

「何か用事? 少しくらいなら待っておくけど」

「それが、少しじゃすみそうにないんだよね。満の付き添いで、今から病院に行くの。もう治ってもいい頃だから」


 言われて大路さんに目を向けると、軽く会釈してくる。

 そうか。大路さん、もう治っているかもしれないのか。そう思った時、不意にある考えが浮かんだ。そうだ、もし治っていたら……。


 僕はそれを言おうとしたけれど、それと全く同じタイミングで、まだ残って話を聞いていた西本さんが先に話し始める。


「そうだ満、お医者さんの許可が下りたら、王子様として明日の舞台に立てるんじゃないの?」

「王子様? 私がかい⁉」


 思わず目を丸くする大路さん。

 西本先輩が言った事は、僕が思ったのとまったく同じ事で。一度は諦めたけど、同じ舞台に立てるかもしれないと思うと、気持ちが高ぶってくる。


「大路さんが復帰ですか。いいですね」

「でしょでしょ。満はどう? やっぱり劇出たいよね?」

「そ、それはまあ。出たくはあるけど」


 興奮しながら話を進める、僕と西本さん。大路さんは戸惑っているようだけど、その目は微かに熱を帯びていて、まんざらでもなさそう。

 だけどそんな僕達の会話を遮るように、聖子ちゃんがパンパンと、手を鳴らしてきた。


「ちょっとちょっと。盛り上がっているところ悪いんだけどさ、もし治っていたとしても、満を出すわけにはいかないからね」


 僕達を一人一人眺める聖子ちゃん。その声は明るかったけれど、目は真剣だった。


「聖子ちゃんどうして? 大路さんも、出たいって言ってるのに」


 当然僕は異議を唱えたけど、聖子ちゃんは呆れたようにため息をついて。そっと僕の額の前に手を持ってきて、デコピンを食らわせてくる。


「痛っ⁉」

「バカねえ。治ったばかりなのに、無理させるわけにはいかないでしょ。アンタは怪我が治ったばかりの王子様を、戦地へと狩りだすつもり?」

「あっ……」


 そう言えばそうだ。

 言われてみれば当たり前のことなのに。考えが足りていなかったって気づいて、思わず赤面する。

 横に目を向けると西本さんは砕けた様子で、「あちゃー、やっぱりダメかー」なんて言って。どうやらさっきの提案は、冗談で言ったみたい。


 本気になっていたのは僕だけだったか。そう思ったけど……。


「待ってくれ聖子。私ならやれるぞ」


 予想に反して、食い下がってきたのは大路さんだった。

 聖子ちゃんも、大路さんはてっきり冗談に話を合わせていただけだと思っていたのか、この反応に驚いた目を丸くしたけど。すぐに気を取り直したようにして諭す。


「満は真面目だからねえ。何が何でも自分がやらなきゃなんて思ってるんでしょ。けど大丈夫。さっきの稽古見たでしょ。朝美なら、立派に代役を果たしてくれるよ」

「だけど……」

「そう気負わなくてもいいから。ほら、翔太からも何か言ってやりなよ。アンタだって、満に無理はさせたくないでしょ」


 え、僕?

 話をふられて、どう答えればいいか困ってしまう。


 本音を言うと、大路さんと一緒に舞台に立ちたいと言う気持ちはある。けど、それで良いの? 聖子ちゃんが言ったように、今無理をさせるわけにはいかないのに。


 戸惑う僕に、大路さんが祈るような目をしながら、グッと顔を近づけてくる。

 こんなに近くに寄られたら、普段ならドキドキしてしまうところだけど、今はそんな気持ちにはなれなかった。

 だってジッと僕を見つめる大路さんが、どこか悲しげな眼をしているように思えたから……。


「ショタくんは、どう思う? やっぱり私は、舞台に立たない方がいいと思うかい?」


 何かを訴えかけるような、大路さんの声。

 僕はどう答えるべきか迷った。迷ったけど……。さっき聖子ちゃんが言っていた、無理をさせちゃいけないと言う言葉が頭をよぎる。


「……大路さんは、ゆっくり見ていてください」

「えっ?」

「劇は僕達でしっかりやりますから。だから大路さんは、安心して見ていてください。最高の舞台を、作りますから」


 たった数カ月のキャリアしかないくせに、偉そうな事を言っているとは思うけれど。大路さんに心配をかけちゃいけない。

 大路さんは僕を見つめたまま、しばらくの間何も言わずに黙っていたけれど、やがてふうっと息を吐いて。近づけていた顔を引っ込めて、一歩後ろに下がった。


「そう……だよね。ごめんね、変な事を言って悪かったよ」


 そう言って僕達全員に、深々と頭を下げてきたけど。もちろん誰も、大路さんを責めたりはしない。

 聖子ちゃんはわざと明るい声を出しながら、「頭を上げて」と促してくる。


「別にそんな重たく考える事なんて無いから。翔太、アンタのせいよ。変なこと言うから、満が話し合わせちゃったじゃない」

「僕の? ああ、でも確かにそうかも。大路さん、すみませんでした」

「いや、別にショタくんは悪くないよ。私がつい、感情的になりすぎてしまっただけなんだから」


 恥ずかしそうに言う大路さん。そこにはもう、さっきまで見せていた緊張感漂う雰囲気は無くて、いつもの柔らかな笑みを浮かべていた。


 ……ただ、うまく言えないけど、何だか少しだけ引っかかる。

 大路さん、本当はやっぱり、舞台に立ちたいんじゃ……。


 だけど、終わった話をほじくり返しても仕方が無いから、僕は何も言わずに、帰る準備を再開する。


 西本さんが部室を後にして。最後に僕と聖子ちゃん、そして大路さんが、戸締りをして出て行って。木枯らしの吹く外に出た後、大路さんが言ってくる。


「それじゃあショタくん、お姉さんは借りて行くよ。私が言うのもなんだけど、帰り道はくれぐれも気を付けて。間違っても怪我なんてしないようにね」

「肝に命じておきます。大路さんも、怪我が完治してたらいいですね」


 明るい声で激励を送って、僕ももう帰ろうとしたけれど。その時になってふと、手ぶらである事に気が付いた。

 いつもなら、学校指定の鞄を抱えているけれど、今はそれが無い……。


「……しまった。鞄、教室に置いてきたままだ」


 ハッとして、思わず声を上げる。

 そう言えば今日グリ女に来た時、持っていなかった気がする。どうやら明日が本番と言うことでつい緊張していて、いつもならやらないミスをしてしまっていたみたいだ。

 そしてそんな僕の様子に、聖子ちゃんが気づいた。


「ん? どうしたの翔太?」

「ええと、実は……」


 僕は鞄を忘れたことを話して。するととたんに、聖子ちゃんがケラケラと笑いだす。


「翔太もドジねえ。忘れるのはガラスの靴だけで十分なんだから」

「今回ばかりは何も言い返せないよ。学校、今ならまだ開いてるよね。ちょっと取りに行ってくるよ」

「あんまり遅くならないうちに帰るんだよ。あと晩御飯は、力の出るものでお願いね」

「了解。聖子ちゃんも、車に気をつけてね。それと大路さん、明日は頑張りますから」

「ああ。期待しているよ」


 大路さんはそう言って笑ってくれたのだろうけど、その表情は辺りが暗くなっていたせいでよく、見ることはできなかった。


 それでも僕は二人に手をふって。冷蔵庫に何が入っていたかを思い出しながら、お隣の乙木学園へと戻って行った。

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