劇を見てもらいましょう
王子様の衣装が完成したのは、文化祭が始まる一週間ほど前のことだった。
ラプンツェルに出て来る王子様に、そして大路さんが着るのにピッタリの衣装を作るため、毎日寝る間を惜しんで作っていったけど、ようやく出来上がった。
そして僕は今日、その衣装を届けるため、グリ女を訪れていた。
前に来た時と同じように、聖子ちゃんの手によって女装させられながら……。
「まさかまたこんな格好をさせられるなんて……」
ひらひらとなびくスカートを押さえながら、ため息をつく。
本当は完成した衣装を聖子ちゃんに預けて、渡してもらえたらそれで良かったのだけど。うっかり「衣装を着た大路さんを、早く見てみたい」なんて言ってしまったのが間違いだった。
それを聞いた聖子ちゃんが、「だったらまた演劇部に見学に来ると良い」なんて言い出して。後はもうされるがまま。
まあ、もうここまで来たらどうでも良いって感じだけど。女装してグリ女に侵入するのは、これで二度目なんだし。一回も二回も一緒だ。
以前と同じ部室に案内された僕は、大路さんに衣装を渡して。着替えてくるのを待っていたんだけど……。
「きゃーっ! 満似合ってるー!」
「大路先輩、写真とってもいいですか⁉」
大路さんが更衣室から出て来るなり、先輩達は我先にと周りに群がって行く。皆次々と黄色い歓声を上げて、まるでファッションショーのような有様。
だけど興奮する気持ちはよく分かる。白を基調とした煌びやかな衣装に身を包んだ大路さんは、本当に格好良くて。衣装を作った僕だって、思わず見とれてしまったのだから。
これは衣装を着たのが、大路さんだからこそここまで映えるのだ。衣装の力だけなら、こうはならなかったはず。
すると大路さんは、騒いでいる皆を静かに嗜めた後、真っ先に僕の方へと歩み寄ってくる。
「ありがとうショタくん、こんな素敵な衣装を作ってくれて。私には勿体無いくらいの品だよ」
「そんな事ないですって。僕の方こそ、これで良いのかって、迷いながら作っていましたし。着心地は悪くありませんか? サイズが合わないとかは、ありませんよね?」
「ああ、ピッタリだよ。ふふふ、本当にありがとう」
大路さんはそっと僕の頬に手をふれて、微笑みかけてきて。その仕草に、思わずドキッとしてしまう。
何だか大路さんには、いつもドキドキさせられっぱなしだ。
そんな僕達の様子を見て、「本物の王子様とお姫様みたい」なんて声もどこからか聞こえてきたけど、それ絶対に性別逆でイメージしていますよね?
大路さんは王子様の衣装を着ていて、僕は女子の制服を着ているのだから無理も無いけど。
「衣装、最初はどうなるかと思ったけど、ショタくんが居てくれて良かったよ。けどこんなの作れるなんて、本当に聖子の弟?」
そう言ってきたのは西本さん。
僕は「その辺は自分でも謎です」なんて答えて。すると、それを聞いた聖子ちゃんから小突かれて。
そしたら皆さんが、「ショタくんを虐めちゃダメ」なんて言い出して。
僕は何だか、すっかりマスコット状態。本当は衣装を着た大路さんを見たらすぐに帰ろうかと思っていたけれど、今日はこれから通し稽古をするそうで。せっかくだから見学していかないかと言われたから、遠慮なくそれに甘えることにした。
稽古は前に見た時と同様に、衣装に着替えたり、音を流したりはしないで、俳優たちだけで劇は進んでいくみたい。
だけど王子様の衣装から着替えようとする大路さんを見て、ふと聖子ちゃんが提案してくる。
「そうだ、せっかくだから満は、その衣装のまま演じてみたら? 本番まであまり時間が無いんだから、衣装の感覚に慣れておいた方がいいんじゃないの?」
「それもそうだね。けど作ってくれた人が見ているとなると、少し緊張してしまうな」
「えっ? だったら僕はやっぱり、いない方がいいんじゃ……」
「ふふふ、それは違うよ。本番は嫌でも緊張してしまうからね。今のうちに少しでもその感覚に慣れていた方がいいんだよ。だからむしろ、いてくれた方がありがたいかな」
「そうなんですか?」
緊張に慣れておく。言われてみれば確かにそうだけど、僕はそこまで考えが回らなかった。演劇って、本当に奥が深いなあ。
そしてもう一つ驚いたのは、大路さんでも本番では緊張するという事。緊張した大路さん……ダメだ、全然想像つかないや。
そうして稽古が始まったけど、最初の方は主人公であるラプンツェルと、そのラプンツェルを攫った悪い魔女の二人で、お話は展開されていく。
僕は大路さんの隣に立ってその様子を見ながら、邪魔にならないように小さな声で、ちょっと話しかけてみた。
「さっきの話ですけど、大路さんでも緊張する事ってあるんですか?」
「そりゃあね。本番で緊張しない人なんてまずいないよ。最初に舞台に立った時なんてガチガチでね、危うくセリフが飛んでしまうところだったよ」
「なんか意外です。てっきりいつも通りの演技をしながら、難なく劇を進めていくみたいなイメージをしていました」
「どうやらだいぶ買いかぶられているみたいだけど、生憎私はそこまで器用じゃないよ。それに、緊張するのは何も悪い事ばかりじゃないからね。ほど良い緊張感は集中力を高まらせて、練習以上の力を引き出させてくれる事だってあるんだ。スポーツでイメージすると分かり易いかな」
なるほど。それなら確かに、なんとなく想像つく。僕もミニバスをやっていた時は試合で、練習では成功率の低かったロングシュートを成功させることができたから。たぶんそれと似たようなものなのだろう。
「大路さんはその、本番では練習以上の力を発揮するタイプっぽいですね」
「そうある事願うよ。舞台は私が、最も輝ける場所だから。下手な演技はできないからね」
笑いかけて来る大路さんの目は、真剣そのもの。演劇に対する情熱が本物であることが、よく伝わってくる。
大路さんは舞台の上でなくても、いつも輝いているようなイメージがあるけれど、本番では普段以上にカッコよくなっていたりするのだろうか……ん、という事は?
「あ、そうだ」
「どうしたショタくん?」
「ちょっと思ったんですけどね。文化祭に川津先輩も誘って、劇を見てもらうのはどうでしょうか? 舞台に立つ大路さんを見たら、きっとカッコいいって思ってくれますよ」
「なっ⁉」
思わず声を上げる大路さん。
すると皆、驚いたみたいに一斉にこっちを見てきて。大路さんは慌てたように僕を連れて部屋の隅へと移動する。
「しょ、ショタくん。劇を見てもらうって、か、か、川津君に⁉」
「ええと、いけませんか……?」
好きな人に舞台を見てもらえたら励みになるかなって思ったんだけど、よくなかったかなあ?
良い所を見せてアピールすると言う意味でも、持ってこいだと思ったんだけど。
「い、いや。いけないと言うことは無いのだけど。川津君も忙しいだろうし、劇なんか見ている時間は……いや、劇なんかと言うのは言葉のアヤで、皆が頑張っている劇を貶すわけでは決してなくて。ああ、でも私なんかの勝手のために、不純な動機で誘ったりするわけには……」
見る見るうちに顔が真っ赤になっていって、言っていることがおかしくなってる。
ああ、これは以前に見た、乙女モード全開の大路さんじゃないか。
この前も思ったけれど大路さん、本当に川津先輩のことになると人が変わってしまうみたいだ。
「不純な動機なんかじゃありませんよ。大路さんは、この劇を素敵なものにしたいんですよね。好きな人に素敵な劇を見てもらいたいって思うのは、そんなおかしなことですか?」
「そ、そう言われればそうかも知れないけど。し、ししししししかし。か、かか、川津君は演劇に興味があるのだろうか? む、無理に誘うのも良くないし。いやまてよ、そう言えば最初合宿で一緒になった時は、いつか私達の劇を見てみたいと言ってくれたっけ……」
「だったら絶好のチャンスじゃないですか。誘ってあげたら、川津先輩だってきっと喜びますよ」
「い、いや待ってくれ。あんなのは社交辞令だ。そうに違いない!」
「大路さん、あの人が本当は興味無いのに、その場のノリでデマカセを言うと思いますか?」
合宿の時の事は知らないけど、川津先輩のことだから、きっとそれは本心なのだろう。僕だって伊達に付き合いは長くないんだから、それくらいは想像つく。
「だ、だがもしもそこで私の下手な演技を見て幻滅されたりしたら」
「どうして川津先輩に関しては、そうネガティブになっちゃうんですか? 大路さんはグリ女の王子様なんですよ。支持してくれるファンの子達だって沢山います。そんなファンの目を疑うのですか?」
「いや、そんなことは無い。自惚れたりはしないが、応援してくれる子達がいる以上、自分の演技を卑下しようとは思わない」
なんだ、分かってるじゃないですか。でもそれじゃあ……。
「だったらどうして、川津先輩にだけ幻滅されるだなんて思うんです? 川津先輩の目が節穴だって言うつもりですか?」
「そ、そんなことは無い! けど確かにショタ君の言う通り、さっきの私の物言いだとそう言う事になってしまうな。ああ、私は川津君に対して、何て失礼な事を思ってしまったんだ。かくなる上はこの腹を掻っ捌いて詫びを……」
「大路さん落ち着いて! 思考がおかしなことになっています!」
これはダメだ。良かれと思っての提案だったのに、何だか余計な事をしてしまったのではないかという不安が、ひしひしと湧いてくる。
けど口ではダメだと言っておきながらも、何だか煮え切らない様子。きっと見てもらいたい気持ちと、見られたら恥ずかしいという気持ちがせめぎ合っているのだろう。
余計な事は考えずに、素直になればいいって思ってしまうのは、まだ僕が恋を知らないからだろうか? そんな事を考えていると。
「満、盛り上がってるところ悪いんだけど、ちょっといい?」
「せ、聖子⁉」
「聖子ちゃん⁉」
急に声を掛けられて、僕と大路さんはそろって慌てる。もしかして今のやり取り、聞かれちゃった?
「聖子ちゃん、今の話聞いてた?」
聞かれてはとってもマズい話をしていたのだけど。
しかしそれは杞憂だったようで、聖子ちゃんはは首を横に振る。
「ううん、何だか話がはずんでいるなーっては思ったけど、内容は聞こえなかった。いったい何の話だったの?」
「な、なんでもないさ。今日はいい天気だとか、ちょっとした世間話をしていただけだ。なあショタくん」
「そ、そう。とっても無理があるような気がするけど、本当だから」
大路さんの下手すぎる嘘に慌てて合わせる。聖子ちゃんは当然、ものすごーく訝しげな眼をしていたけど、「まあいいか」と言って息をついた。
「悪いけど、続きは後にしてもらっても良いかな? そろそろ出番だから」
「あ……ああ、すまない。すぐに行くよ」
慌てて駆けて行く大路さん。けど、まだ動揺しているのか、手と足が一緒に前に出ているのが、どうしても気になってしまう。
大丈夫かなあ? こんな状態で、まともに演技なんてできるのかなあ?
「聖子ちゃん、僕余計な事しちゃったかも? 何があったかは言えないけど、ちょっと大路さんを迷わせるようなこと言っちゃって」
「ああ、やっぱりそうだったんだ。何かあったのかなーっては思ってたよ。けどまあ、満なら大丈夫でしょ。見ててごらん」
再び大路さんに目を向けると、そこにまるで気持ちを切り替えるみたいに、大きく深呼吸している姿が見えた。
背筋をピンと伸ばして、大きく吸い込んだ息を、ゆっくりとはいていく大路さん。
そして顔を上げた時には、今まで赤くなったり青くなったりしていた顔色が、一気に変わっていた。
「凄い、一瞬で目の色が変わった」
「アンタはまだまだ、満のことが分かってないみたいね。伊達にうちの看板役者をやっていないよ。何があったか知らないけど、舞台に立つ時は別人になれる。それが満なんだから」
確かに、さっきまで慌てていたのが嘘みたいに、纏う空気まで変わっている。
いつも通りの王子様オーラ……いや、衣装の効果もあってか、いつも以上に凛とした感じがする。
演じるのはこの前見た、王子様とラプンツェルの最初の邂逅。二人の運命が動き出す、重要な場面だ。
呼吸を整えた大路さん……いや、王子様はラプンツェルの元にゆっくりと歩み寄って行って、塔の上にいる設定の彼女に、凛とした様子で語り掛ける。
そして……。
「こ、こぎゃね色の、美しい髪の姫君……さま。ぜ、ぜひ私に、アナタの名をお聞かせくださひ!」
「私の名は、ラプンツェル。そう言う貴方は、いったい何者ですか?」
「わ、私は東の国より参った……お、お、王子にございます。見聞を広めるため……旅しています!」
「まあ、王子様。本物の王子様なのですか? 私、王子様なんて、本でしか見た事が……いいえ、魔女様以外の人とこうして話すのも、初めてなんです」
「は、はなすのがはじめて? それはさぞさみしいおもいをしてきたのでしょう………さみしいおもいをしてきたのでしょう……さみしいおもいを……」
……ダメだったー!
噛み噛みの状態で支離滅裂な事を言った挙句、最後には台詞が飛んでしまったようで、同じ言葉を繰り返してしまう大路さん。
そんな普段の姿からは想像もできない大根ぶりに、見ていた皆は驚きを隠せない。
「カットカーット!
ちょっと、いったいどうしちゃったの?」
「満、熱でもあるの⁉ 顔も真っ赤になっちゃってるよ!」
聖子ちゃんや西本さんは信じられない様子で。他の皆も目を丸くしながら、大路さんに駆け寄って行く。
そしてその原因を知っている僕は、頭を抱えそうになる。
深呼吸一つでいつも通りに戻ったように思えた大路さんだったけど、全然そんな事なかった! 大根演技にも程がありますよ!
大路さん、さっきは適度な緊張感は必要だって言っていたけれど、どうやら川津先輩の事を意識したとたん、その適量を越えてしまったようだ。
「僕は余計な事を言っちゃったのかなあ? うーん、やっぱり川津先輩は、誘わない方が良いのかなあ?」
皆から心配そうに視線を送られる大路さんを見ながら、僕は不安に襲われるのだった。
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