剥がれた仮面

 王子様の衣装制作を依頼されてから、一日が経った。

 もちろんだけど、まだ衣装はできていない。そもそも今はまだ、どんな衣装にするかデザインを考えている最中なのだ。


 学校が終わった後も、僕は家に帰らずに図書室に行って。昨日見た練習風景を思い出したり、王子様が出てくるような、ファンタジー系の小説の挿絵を見たりしながら、イメージを膨らませる。


 そして下校時間が来たら、今度は本屋に向かう。

 こっちの目的はデザインの参考資料を探すのではなくて、衣装作りの本を探すため。

 以前にもお姫様の衣装を作った事はあるけれど、もっとちゃんとした衣装を作るため、詳しい作り方が書かれた本を読みたかったのだけど、生憎その手の本は学校の図書室には置いていなかったから。本屋によって、探すことにしたのだ。


 本屋へとやってきた僕は、目的の本を探していく。

 裁縫用の本なんて、買うのは初めて。今まではデザイナーである母さんから習っていたけれど、今回は全部習っていたら時間が足りなさそうだからなあ。

 幸い、必要な資料は演劇部の部費で払ってくれるって聖子ちゃんが言ってくれたから、遠慮無しに買うことができる。


 ただ、目当ての本が並んでいるコーナーを見つけたはいいけど、そこでちょっと困ったことが起きてしまった。


 ……どうしてあんな高い所にあるかなあ?


 裁縫の本があったのは、棚の高い所。

 僕の身長は同年代の男子と比べてちょっぴり……ほんのちょっぴり低くて。背伸びすればギリギリ触れられるけど、取ることはできないと言う絶妙な位置にあるのが、何とも腹立たしい。

 それでもピンと腕を伸ばしながら、何とか届かないかと奮闘していたけど……。


「あっ」


 必死になって背伸びをしていたところ、スッと伸びてきた手が、いともあっさりそれを取ってしまった。

 僕は背伸びをするのを止めて、その手の主を見てみたけど……。


「大路さん?」


 そこにいたのは、学校帰りだろうか。グリ女の制服に身を包んだ大路さんだった。

 彼女は手に取った本のタイトルを確認すると、そっと僕に差し出してくる。 


「こんにちはショタくん。これを取りたかったんだよね?」

「あ、はい。ありがとうございます」


 お礼を言って、本を受け取ったけれど、僕が苦労していたのにああもあっさりとられてしまったら何と言うか。

 男としてちょっぴりショックだったりする。


 けどまあ仕方無いか。こうして向かい合ってたって見ても、身長差は歴然。20センチくらい差があるのだ。


 昨日聖子ちゃん達が、大路さんの採寸をして、数字の書かれたメモをもらっているから間違いない。

 その際僕は、そんなものを男に知られて平気なのかと心配したけれど、等の本人は……。


『せっかく君が協力してくれているんだ。細かいことなんて気にしたりはしないよ』


 なんて言っていたっけ。相変わらず、さっぱりした性格だ。


 そんな大路さんはにっこりと笑いながら、少し屈むようにして僕を見てくる。


「それ、衣装作りのための資料だよね? ありがとうね、忙しいだろうに、手伝ってくれて」

「いえ、僕も昨日の練習を見て、興味が湧きましたから。デザインを考えるのも楽しいですし、手伝わせてもらって、こっちこそありがとうですよ」

「ふふ、嬉しい事を言ってくれるね」


 楽し気に笑みをこぼす大路さん。その上品な笑い方に、思わずドキッとしてしまう。

 大路さんは美人だから、こんな風に笑いかけられると、妙に気恥ずかしい。同じグリ女の女の子なのに、聖子ちゃんとは偉い違いだ。

 

 だけど等の本人はそんな僕の心中なんて知らずに、構わず続けてくる。


「けど、決して無理はしないでね。あんまり気負いすぎないで、もっと気楽にやると良から」


 そう言って、僕の頭をポンと撫でてくる。

 しかし今更だけど、女の子にポンポン頭を撫でられると言うのは、これまた男としてどうなのだろう?


「どうしたショタくん、難しい顔をして?」

「ええと、その……実は頭を撫でられるのに、慣れていなくて」


 なんだか男扱いされていないような気がして、複雑な気分。大路さんは僕の返答にキョトンとした顔をしたけれど、やがて納得したように苦笑する。


「ごめんごめん。ついグリ女の子達と同じ感覚で接してしまったよ。ショタくんは男の子だもんね。こんなことされたら、恥ずかしいかな」

「別に、そんなんじゃありませんよ」


 咄嗟にそう言ってしまったけど……嘘です。本当はそんな理由で、恥ずかしいなって思っていました。

 すると大路さんはそんな僕の心の声が聞こえたみたいに、そっと耳元に顔を寄せてきて、小声で呟いた。


「ごめんね。だけど私は、照れてる君を見て、可愛いって思ってしまったよ」

「―—ッ!」


 ハスキーボイスで囁かれる、破壊力のある言葉。

 どうやら大路さんは、骨の髄までイケメンぶりが染みついているみたいだ。一瞬自分が男であることや、大路さんが女子と言う事を忘れて、ドキってしちゃったじゃないか。

 

 僕はそんなドキドキを隠すように、慌てて話をそらす。


「そ、それより、大路さんは? 何を買いに来たんですか?」

「ああ、ちょっと買いたい物があってね。そっちはもう見つけたよ」


 そう言った大路さんの手には、参考書が握られていて。きっと帰ったら遊んでばっかりの聖子ちゃんとは違って、家でも真面目に勉強しているんだろうなあ。


「じゃあ、早くレジに行きましょう。もうだいぶ時間も遅いですから」

「ああ、そうだね」


 これ以上こうしていると、体中がむず痒くなってしまう。ちょっと頭を撫でられて、耳元で囁かれただけだって言うのに、大路さん恐るべし。


 僕は耳に吹きかけられた吐息や、ほのかに感じた香りを思い出さないよう頑張りながら、必至で心を落ち着かせていたのだけど……。


「あれ、灰村。今帰りか?」

「え? あ、川津先輩」


 聞き覚えのある声にふと振り返ると、そこには僕たちと同じで学校の帰りだろうか。川津先輩の姿があった。


 乙木学園高等部の制服を着て、既に買い物を済ませた後なのか、手にはこの店の袋を持っている川津先輩。

 大路さんと言い、今日はよく知り合いに会う日みたいだ。


「灰村にしちゃ、遅い時間だな。居残り……なわけないよな。お前真面目だし」

「ちょっと図書室で調べ物を。劇の衣装作りの参考資料を探していて」

「衣装作り? ああ、そう言えば木田が言ってたっけ。演劇部の手伝いで、王子様の衣装を作るんだってな」


 川津先輩、正人から聞いてたのか。

 実は昼間、演劇部の手伝いをすることになった話を正人にしたんだけど、どうやらその後、川津先輩に話したみたいだ。


「灰村は器用だからな。きっとスゲエ衣装を作れるんだろうな。グリ女の文化祭で上映する劇だったよな。どんな物なのか、俺も興味あるよ」

「買いかぶりすぎですよ。だいたいそんな大掛かりな衣装を作った事なんて、一回しかないんですから」

「その一回で、仮装大会のグランプリに輝いたんだろう。あれは傑作だったなあ。王子様の衣装ってヤツも、期待しているぞ」


 いったいどんな物を想像しているのか、面白そうに笑う川津先輩。そう言えばお姫様の衣装を作って、仮装大会でグランプリを取った時はお腹を抱えて笑われたんだった。

 きっと今、その時のことを思い出しているのだろう。ちょっと恥ずかしい気もするけど、まあいいか。


 そうだ、ちょうど大路さんもいる事だし、紹介しておこうか。この人がその王子様の衣装を着る人ですって。あわよくばどんな衣装ならいいか、意見を聞けるかもしれないし。


 そう思って、後ろにいる大路さんに目を向けたけど……。


「……川津君?」


 僕が紹介するより先に、大路さんが川津先輩の名前をつぶやいた。

 あれ、大路さん、川津先輩の事を知ってるの? すると川津先輩も、大路さんの顔を見て「あれ?」と声を漏らす。


「大路じゃないか。なんだ、灰村と一緒にいるから、てっきりグリ女に通っている姉ちゃんかと思ったぞ」

「……私と聖子は似ていないよ」


 か細い声で抗議する大路さん。

 対して川津先輩は、「悪い」と口にしたけど、フレンドリーな態度は崩さない。


 だけど、親しげに話しているけど、この二人知り合いだったの? 

 そう言えば川津先輩、前にグリ女の演劇部の人と交流があるみたいなことを言っていたけど。その相手が大路さんだったのかなあ?


「もしかして灰村が作るって言う王子様の衣装、大路が着るのか?」

「それは、まあ……王子様役は私だから、そういうことになる」

「王子様役かあ、大路なら似合いそうだな。そういやうちの学校にも、大路のファンっているんだぜ。女にしておくのが勿体無いくらいのイケメンだって、クラスの女子が騒いでた」

「―——ッ! それは暗に私が、女らしくないって言いたいの?」


 いつになく鋭い声に、少しだけ空気が張り詰める。

 何だか、大路さんの様子がおかしい。いつもならこういうことを言われても、『どうもありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ』くらい言いそうなものなのに。


 すると川津先輩は、慌てたようにフォローする。


「そうじゃねえよ。大路ならしっかり男役をやれてるって、みんな褒めてんだよ」

「そ、そうなんだ。……だったら、別にいいんだ」

「そう言うことだ。それに、普段の大路はちゃんと可愛いんだから、安心しろって」


 そう言って川津先輩はあろうことか、さっき大路さんが僕にやったみたいに、大路さんの頭をポンポンと撫で出した。


 その姿を見て、思わず息を呑む。まさか大路さんが頭を撫でられる姿を見ることになるとは思わなかった。

 川津先輩、素直で思ったまま行動をする人だとは思っていたけど、大路さん相手にこんな態度をとれるだなんて。だけど……。


「さ、触らないでくれ!」

「えっ?」


 咄嗟に大路さんが、川津先輩の手を振り払う。

 川津先輩は呆気にとられた表情をして、振り払った大路さんは、しまったという表情を浮かべた。


「悪い、嫌だったか?」

「ち、違う。べ、別に嫌と言うわけじゃ無い。これはその……もしこんな所をグリ女の子達に見られたら、変な誤解を生んでしまう」

「誤解?」

「そ、そう。実はグリ女には、私の親衛隊を自称する過激な一団がいて。もし川津君と、その……仲がいいと思われたら、君が抹殺されるかもしれない。それが心配だったんだ」


 ああ、例の親衛隊の方々か。

 最初は冗談を言っているって思ってたけど、こうも警戒している様子を見ると、もしかしたらと思えて怖い。


 けど、大路さんの様子がおかしいのは、本当に親衛隊を恐れているだけなのかなあ? 

 さっきからの川津先輩とのやり取りを見ていると、どうにも違和感が拭えないんだよね。


 だけど川津先輩の方は、そんな大路さんの様子を不思議と思っていないのか、別段気にしている様子もなくて、笑みを浮かべている。


「親衛隊とか抹殺とか、面白いこと言うな」

「ほ、本当なんだ。だから別に、川津君のことが嫌いとかそういうわけじゃ無くて」

「分かった分かった。けど悪かったな。考え無しに頭撫でたりして。迷惑なら、次から気をつけるよ」

「別に嫌と言うわけじゃ無いけど……」


 ぽつりと答えた大路さんは、また俯いて縮こまる。そしてその顔は、妙に赤みをおびている。

 これは、もしかしなくても……。


 ふと頭にある考えが浮かんで、僕は川津先輩に目を向けた。


「あの、川津先輩って、大路さんとどういう知り合いなんですか?」

「ああ。前にうちのバスケ部と、大路のところの演劇部の夏合宿が、同じ施設であってな。その時に話す機会があって、仲良くなったんだ」


 仲良くなった、ねえ。どんな風に仲良くなったかが、気になるところだ。

 だけど生憎、長話している時間は無かった。不意にスマホの着信音が聞こえ、ポケットからスマホを取り出した川津先輩は、画面を見て「やべえ」と声を漏らす。


「悪い、もうちょっと話したいけど、ちょっと行くところがあるんだ。じゃあな灰村、大路。文化祭の劇、二人とも頑張れよ」

「はい、お疲れ様です」

「……サヨナラ」


 手を振って去っていく川津先輩に、僕も大路さんも手を振り返す。


 店の出口へと消えていく後ろ姿を、見送って。

 ドアが閉じて、その姿が完全に見えなくなると、僕は隣に立つ大路さんに目を向ける。さっきから様子がおかしいから、気になっているんだけど……。


 すると大路さんもこっちを見てきて、そっと僕に語り掛けてくる。


「ショ、ショタ君。き、君は川津君とはその……仲がいいのかい?」

「まあ、それなりには。同じ学校の先輩ですし、昔は同じバスケのチームにもいましたし、川津先輩には色々指導してもらっていました」

「そ、そうか。仲が良い事は、良い事だ」

「はあ……」


 返事をしつつも、どうにも違和感が拭えない。

 何だか言う事がだんだんと支離滅裂になってきてるし、僕の知らない大路さんが、目の前にいる。


 思い返してみると、川津先輩が来たあたりから、明らかに様子がおかしくなっていた。それにこの赤い顔。これはもう、間違いないだろう……。


「あの、大路さん。つかぬ事をお伺いしますが」

「ん? どうしたんだい?」

「間違っていたらごめんなさい。大路さんは、その……好きなんですか? 川津先輩の事を」


 途端、大路さんが手にしていた参考書が、バサリと床に落ちた。


 あーあ、早く拾わないと。

 だけど落とした等の本人は、まるでその事に気づいていないように、目を見開いて、顔を真っ赤にしながら、口をパクパクさせていた。


「—――――—なっ⁉ ななななな、何故それを⁉」


 いや、何故って……。こんなのを見せられたら、誰だって分かりますよ。


 だけど大路さんは、信じられないと言った様子で。見開いた目を僕に向けて、呆然と言葉を失っている。


 目の前にいるこの人は、本当にあの大路さんなのだろうか? もしやそっくりな双子の姉妹でもいるのではと、疑いたくなるレベル。


 グリ女の女子達が憧れてやまないと言う、凛々しい王子様じゃない。今目の前にいるのは、ただの恋する乙女だった。

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