人は自分の歩幅を知らないで跳躍する

ふみくん@お友達募集

一話完結。

時々この人たちは何を思ってそういうことをいうのかなって考える。それは第一段階の話で単純に言うと身なりをちゃんとしないととか、目に見えない気配りをしないととかそういう話と似ている。気づきってやつだろうか?


あるいは隠された本旨を読み取れていないことがあるのかもしれない。自分でもそういう悩みに直面していることが世界の不思議みたいに壮大な悩みになっている。でも、おそらくほとんどの場合は自分の思考思想が勝っているケースで、隠された意図など見当たらないのだろうけど。これが分かればこういう立場の人になる、みたいな話とか、あるいはこの世界を知れさえすればこういう人たちと付き合える、とか。そういう話はわざわざ隠してまで話している人がいるご時世。そりゃ隠してしまえば思想で負けているとは感じないくらい壮大になることは周知の事実だけどね。こっちも会話してて楽です。


僕が今回こういう悩みに直面して、今この立ち位置にいることから察するに、ここまでの経過は布石みたいなものであると思っていた。結局そういう立場の人として立ち振る舞うことを求められている、そういう話ではないか?とね。まあそう考えてみたはいいが、それはわかる人にわかればいいんだよ、で、済む話らしい。逆に言うとわかって地に足をつけて跳躍できることがあなたを形容しているのかもしれない、とね。そう諭されてる。


その話から波及させると、ではこの先はどうなのかな?となるんだけど。それは例えばある日別世界に招かれるとか、ある日突然世界戦争が始まるとか、そういう話とよく似ているんだけど。みんな戦場があってそこで所在地を選んでるって思っているけれど、実際そんな優柔不断に生きていたい人なんていないと考えるのが正論だとは思えないだろうか?その水準の生存環境を私みたいな凡人日本人に提供している人?いったいどんな人なんだろうって、ならないとダメなんだと思うんだ。秩序は著しく壊されているけれど、内戦も所々あるけれど、今自分が落ち着いて地上に住み着いているってことはこれは安定を見定めたことに他ならないし。まあそういう考え方を持つ人は自意識過剰だし部下意識に欠けるかもしれないけれどね。でも使い方を間違えなければ聡明なのかもしれないしね。


生き方が違うから、ごく自然に安心できるし、それを与えられている立場、感謝しなさいと言われている環境で育っているけれど、その先を与えられているように今は思っているよ。挑戦権を授けられて、この先の人生と地球の未来の展開を任されていて、それはごく自然に起こった事実だということだ。それにはリスクもつきものなのかもしれないね。とりあえずこの経過をたどってあと何年この場所でこの悩みを打開するのか、それが今の僕に必要な使命感かもしれないね。めげずに進むつもりだよ。


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