10

 ナノマシンと人工筋肉というのは本当にそこら中に使われている。最高評議会とやらが会議を行っている場所、いわば秘密基地であろうか、その施設のカモフラにももちろん使われており、技術としては、僕らが人種や顔を偽装する際に使うフェイスカムと同じものが使われている。

 だから、入り口を探し当てるのは少しばかり骨だった。しかし、位置情報は前もってフラメルさん達からもらっていたし、僕は普段からたびたび隠れて悪さをしている、不良調査官だ。だからつまり、隠し物の場所は何となく嗅覚が働いて分かった。


 暗い廊下を歩いていく。きっと、何十年も前から使われているだろう古いタイプの、傘の付いた電灯と、コンクリート剥き出しで、暖かみもクソもない壁や廊下が、この施設がほとんど使われていないことを示していた。かと言って、廊下に赤い絨毯を敷いたり、壁紙にカートゥーンのキャラクターをプリントするわけにもいかないのは分かっているけれども。

 密閉された秘密基地の中に、空気を外から取り込むために、大きなファンがゴウゴウと音を立てて動いているのが聞こえた。しかし、それ以外には僕自身の足音しかこの場には聞こえてこなかった。感覚から得られる情報は非常に少なかった。明かりは少なく、ナノマシンによる視覚の補正を受けてもなお、見通しは悪い。空調の類は設置されておらず、中の気温は少し肌寒いくらいだった。山登りで掻いた汗はすっかり冷え切って、ぐっしょりと、気持ちの悪い感触をもたらしていた。

 そして、それらの感触と、ほんの少しだけ香る、血の匂いが、僕に少しだけ恐怖を覚えさせた。


 5分ほど歩いただろうか。程なくして終着点にたどり着いた。目の前で固く閉ざされた扉は、しかし、防音性が高いようで、中の様子は全くうかがえない。

 秘密基地の中に入って、ここに来るまで、僕はまっすぐ歩いてきた、と思う。闇の中では、それすらも不確かではあったが、振り返るつもりもさらさらなかった。

 ドアノブに手をかけた。鍵の類はなかった。重たい扉がゆっくりと音を立てながら開いていく。

 そして僕はとうとう凛と対峙した。


 変わらないな、と僕は言った。その通り、彼女は変わっていなかったから。君もだろ、と彼女は言った。僕らは何も変わっていない。少なくとも、見かけのうちでは。


 「久しぶりだね。陸人。会いたかったよ」

 彼女は部屋の中央に立っていた。彼女は僕の目の前に立っていた。

 部屋の様子は相変わらず薄暗くてわかりづらかったが、彼女の後ろに死体が並んでいるのはわかった。円卓に並べられた椅子は全部で6つ。1つを除いた、5つの椅子に人間の死体が行儀よく座って、頭を撃ち抜かれている。彼女は、相当うまくやったようで、1つ残った、死体が乗ってない椅子がすっころんで、座ってたであろう壮年の男が彼女の足元に転がってる以外、特に暴れたり暴れられたりの痕跡はなかった。

 彼女の右手には銃が握られていた。銃口の先にはちょうど男の頭が来ていた。

 「知っていたのか。追跡されてるって」

 彼女は僕をまっすぐ見つめている。

 「ああ。私の目的地を見つけるのは結構簡単だったろう?だから私も、追われていることが簡単に分かった。父にも会ったみたいだね」

 バスッと詰まったような音が二度鳴った。サプレッサーを付けた銃の特有の音だ。彼女が引鉄を引いて、足元にいた男を殺したようだった。

 「これで終わりだ。長かった。多くの人の命が無くなってしまったけど、これで人間は支配の恐怖から逃れ、永遠に幸福でいられる。絶滅は回避される」

 「意識をなくして、何も感じずに生きることが幸福なのか?」

 「陸人、自分でも薄々感づいてるはずだろう?意識なんてものは、ほとんどがとっくのとうに無くなっているんだよ。私たちのほとんどは、みんな何かに従って生きてきたんだ。そしてそれはもう私たちの手には戻らない。私はそう結論付けた。だからそれを、何か恐ろしいものに利用されないように手を打ったんだ。人は簡単に壊れてしまう。壊れてしまわないうちに私はそれを守りたい。愛しい愛しい人類を」

 「その行動自体が間違っているとは思わなかったのか?」

 凜はくくくと笑った。そして空いている椅子の一つに座った。

 「間違っているというのは誰が決めるんだい?ファッションの良し悪しはバトラーが判断してくれるけどね。それに、わたしは客観的な正解不正解で自分の行動を決めてはいない」

 凜は僕にも椅子に座るように勧めてきた。けれど僕は立っていることを選んだ

 「装置の起動には認証がいるだろう。そこに転がってる最高評議会の。それはどうするんだよ」

 「そんなものとっくに終わってるよ。終わらしてから、こいつらを殺した。それに、私はサイコドライバーだ。やろうと思えばプロテクトなんてどうとでもなる。後はもう起動待ちだ。20分もしたら全人類の意識は消える」

 「そうだな。君は抜け目のない人間だった…」

 沈黙が訪れた。

 どうして、僕らに何も言ってくれなかったんだ、と言おうとしてやめた。言葉だけで、他人の気持ちのわかる人間が何処にいると言うんだろうか。

 「ゆかりは元気にやってるかい?君は元気そうに見えるけどな」

 「意味の無い会話だ。20分後には人と人との繋がり自体が消えてしまうのに」

 「そんなことは無いよ。感情が無くなっても僕らの関係が終わるわけではない。そのまま友達でいつづけるさ。過去の記憶に従ってね。ただ、何か新しいものが生まれることは無くなる。今までそうだった、という事に従って、永遠に同じようなことを繰り返していく」

 ナノマシンを体内に入れた人々は永遠にバトラーに従い続ける。自殺をする人間も永遠にいなくなる。最高評議会も要らなくなる。シンギュラリティは有り得なくなる。貧困地域のPMCは永遠に人をさらい、密造酒を作り続ける。そして僕たちWHOの調査官は永遠にそれを追い続ける。誰も自分たちのルーツを気にしなくなる。自分たちの言語が消え去ることに恐怖する人間もいなくなる。桜の花の色を気にする人間は永遠にいなくなる。

 僕は

 僕は力を顕示することに決めた。

 「力が...」

 「え?」

 「力が人の優劣を決める最も簡単な単位なら、凜、君の行動は僕にとっては間違いなんだ」

 僕は彼女の意識の中に飛んだ。

 握っている銃を投げて、自分の体に戻って、それをキャッチした。

 彼女が目覚める。呆気にとられたような顔をして。

 「…今、私に何をした…?」

 僕は彼女の腹を撃ち抜いた。


 僕は凛を見下ろしている。

 凛は、仰向けに床に倒れている。血は彼女の腹から流れ続けていて、ナノマシンが脳内麻薬の分泌を促して、痛みをある程度和らげてはいるが、それでもその表情は苦痛に喘いでいる。

 バトラーが凛の状態を僕に示す。彼女の状況。苦痛の大きさ。それと連動して最寄りの病院の場所。そして、シャンプーに使われている匂いの成分もだ。

 一瞬だけ意識に飛び込んで、命令をしてしまえば、レゾナンスに苦しむこともなかった。息をするように、僕は人を操ることに習熟しつつある。


 「僕は力を得てしまったから。他のみんなと運命を共にする気にはなれないんだ」

 「きみは、きみは、人間もハックできるように、なったのか。いつから…?」

 「日本に行って、ゾンビの大群に追われた時だ。君のところの差し金でな」

 「日本に行ったのか…。それは聞いてなかったな…」

 僕はこれがしたかったのだろうか。自分で自分がどんな顔をしているかがわからなかった。

 凛が苦しそうな表情で、唾を大きく飲み込む。

 「どう、するんだ?装置を止めるかい?認証は、もう取れないけど」

 「こいつにも人工筋肉は使われてる。ハックさえすればどうとでもなるさ…」

 「それで、世界はどうなる…?装置を止めても、自殺は止まらない、かもしれない。人類は、救われもせず、無駄死にするだけだ。WHOは、それで納得、するのか?」

 「さあ…僕はそんなことどうでも良いんだ。多分アメリカ軍が何とかするだろう。ヘカトンケイル、君が義体を操るのを使った兵器を抑えたらしいしな。僕は、僕自身さえ生きて、力を行使できれば良い。君も同じだろう。幻想教団を乗っ取って、自分の本懐を遂げようとした。違いと言えば、人類に奉仕するか、自分自身か、それだけだ」

 凛がごふっと、大きな咳をした。

 「ははは...似たもの同士ってわけだ...。それが、きみの本音か。でも聞けて良かった…ほら、意味の無い会話をしてたのは、きみの方だったろ」

  彼女は笑みを浮かべている。死の間際で、それができるということは、あるいは彼女にとって殺されることは予想の範疇だったということだろう。

 「これで1つの決着だ。さっきは自分のためといったけど、この騒動で僕の周りも何人も人が死んだ。会ったばかりの人もいたし、ずっと一緒に仕事をしていた友達もいた。これで1つ終わって、彼らに報いることはできたかもしれない」

 凜の父、武史さんの顔が一瞬だけ脳裏に映った。

 「わたしときみの違いはそこだ。わたしは、ごふっ…目的を達成したら、それで文字通り終わりだった…。きみはこれから、目的を見つけるところから始めないといけない」

 「…」

 「どこまで行ったら、終わりなんだ?何を、どうしたら、誰を操ったら、きみの力の顕示は終わる…? いいや、力に飲み込まれたら、自分で、終わらすこともできなく、なる。それは、とても辛いよ…」

 凛が目を閉じる。

 「最後に、ひとつだけ。ゆかりのこと、悲しませたら、承知しない、からな」

 そう言って、彼女はもう動かなくなった。

 橘凜は死んだ。


 感情の削除が実行される前に、装置を止めることができた、と思う。少なくとも、凛と話して20分が立つ前にハックは完了した。

 WHOに報告するために、凛を止めた証拠が必要だった。だから、彼女の死体の写真を撮った。念のためにいろんな角度から、何枚も撮った。

 外に出ると、日はすっかり落ちて、暗闇の空に星々が美しく煌めいていた。

 夜空の星は本当に美しく、美しく、輝いていた。

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