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 インドはかつて、最もエネルギーのあった国だ。IT産業による国の発達は、ナノマシンの登場によりさらに加速し、古くは英国の植民地支配にあった国を、その宗主国と肩を並べるほどの大国へと成長させた。

 しかし、その急速な発達の要因の1つでもあった、人口の多さが、パンデミックの時に国自身に牙を剥いた。

 過剰な人口はゾンビの爆発的な増加を呼び起こし、そして食料である正常な人間がいなくなった後は、共食いと餓死で消失していった。

 しかし、生き残った数少ない人々は、希望を捨てず、インドは少しずつだが復興を進めていった。今では、限られた都市部だけだが、外資も呼び寄せ、活気を取り戻しつつある。

 僕はデリーに来ている。インドは不衛生なイメージのある国であったが、ある種のスクラップ&ビルドを経由した今、伝統の、負の遺産とも呼べる部分は消失し、洗練された部分だけが残っていた。街には高層ビルが理路整然と立ち並び、道はよく整備され、ゴミも落ちておらず汚れてもいなかった。

 橘武史、凛の育ての父にあたる人。僕は彼に会いにはるばるここまでやってきた。彼に会うことが、凛に会うことにつながると思って。


 「私は、親として間違っていたのでしょうか。」

 インドに降り立ってから、2時間もたたないうちに、僕は彼と対峙していた。高層ビルの15階のオフィスは外見に違わず、清潔で、居心地が良かった。空調も効いているし、全面窓になっている壁からは街の様子が一望できた。

 彼は大学で民族学の教授をやっているそうだ。僕は、凛とは子供のころから知り合っていたが父親とは会ったことが無かった。母親の事は知っていたが、すでに自殺してしまったようだった。

 「凜は…変わった奴だったけど、僕の知ってる彼女は、思いやりのある人間でした」

 この言葉には何の意味もない。彼女の母親は死んでしまったのだから。

 「…ありがとう。気を遣ってくれて。そしてすいません。こんな話をしに来たのではなかったですね」

 彼は憔悴しているように見えた。それでも話さずにはいられないように見えた。彼は、きっと責めて欲しかった。

 間違っていると言って欲しかった。

 娘を人殺しに育て上げたと。

 妻を殺したも同然だと。

 けれども、彼が妻や娘とどういう話をして、どのようにして別れていったのかを、僕は知らなかった。

 「凛は、日本人のほか、東欧の民族の血も混ざっている子でした」

 彼は静かに語った。

 「もともと数の少ない民族でした。少ない領地で、他の民族との交流も少なくひっそりと暮らしていた。何もなくとも滅ぶのは時間の問題だったかもしれない。パンデミックがキッカケで、完全に滅んでしまいました。あの子は生き残りの最後の世代だった。日本人よりも、さらに貴重な存在だ。私は実際に凛以外にその民族の人を見たことはありません」

 「そうなんですか…彼女にそんなルーツが…」

 彼女は孤独だった。自分以外に誰が生き残っているかもわからない。ひょっとしたら自分が最後の1人かもしれない。どんな気持ちだっただろう。

 「あの娘の民族は、とても信心深い民族でした。神のしもべを自称し、何らかの使命を持って地上に遣わされたという思想を持っていました。歴史は古く、同じ神を信じる他の国にも奉仕という名目で出向き、政と教が分離できていなかった時代では、国の重要な役割を担う役目に抜擢されていたこともあったようです」

 「凜はそのことをいつから知っていたんでしょうか」

 「あの娘を引き取ったのは、あの娘が2歳の時でした。出自の話や、あの娘の民族の話をしたことはなかった。する必要がなかったから。あの娘に養子だということを伝えた時にもそんな話はしませんでした」

 凛は違和感を感じていたのかもしれない。彼女にとって橘の家庭は異国だ。本当は自分が存在していない場所に居続けて、穢れを感じ続けていた。

 だから彼女は日本に来た。ハイスクールを卒業した後に、違和感の理由と、本当の居場所を探して。

 「もう1つだけ…あの娘の民族に特有の、思想があります。"命を使う"という考え方です。何かの行動に即し、自分の命を"捧げる"という行為が、神に対する至上の奉仕であり、喜びだと考えていた。そして、その覚悟を試すかのような儀式が存在していました。滝を飛び降りたり、何の装備もなしに険しい山へ1ヶ月も籠ったり…謂わば、自殺未遂のような行動です」

 凛は今までに2度、自殺を試みている。1度目は9歳の時、2度目は17歳の時。

 彼女は心地よかっただろう。彼女はアメリカ人ではなかった。日本人の血が入っているが、日本人ではなかった。彼女を自殺未遂を通して、自分が真に何者であるかをおぼろげながらに感じ取っていたはずだ。

 そして彼女は、生きる目的を見つけた。

 「もしかしたら、凛も何かの形でその使命に準じようとしているのかもしれない。この地上に最後に残った血で、サイコドライバーであるという状況が、何かヒロイックな行動に駆り立てているのかもしれない。そう思うんです」

 だが、僕は少し疑問も抱いていた。彼女は消えゆく民族のみに命を投げ出す人だろうか。凛はサイコドライバーの存在そのものを危惧していた。凛は人類の話をしていた。人類全体の話を。

 「結城陸人さん。私にはあなたに頼るしかない。お願いです。あの娘を止めてください。生きてあの娘にもう1度会いたい。ただ一緒に暮らせればいい。それだけのことも私は教えることができなかった。願わくば、もう1度だけやり直したい。あなたの言う通り、凛は思いやりのある優しい娘だったんだ!」

 凛は、普通の人と同じように、僕らと同じように親から愛情を受けていた。本当にそうか?そこに意思はあったのだろうか。これはすべての行動に言えることだが、僕らはみんな、ただバトラーに従って、ナノマシンを使って生きていく。そこに個人の考えはなく、けれど中途半端な自我のみが残っているから、後悔したくないから、手は尽くしたと言う。

 「僕ができることは全力を尽くします。友達だから。凛は」

 縋りついてくる彼の手を取って、僕はそう言った。それは本心からの言葉だった…と、思う。同じことが僕にも言える。

 フラメルさんから連絡が入った。急いで帰ってくるようにという指令だ。アメリカで相当まずいことが起ころうとしているようだ。

 武史さんにはその旨説明と、お礼を言い席を立った。帰り際にもう1度凛を救ってくれと念を押された。

 本当のところ、僕は少しだけ困っていた。何かしらの形で決着をつけなければならないのなら、僕は凛を殺さなければならないと考えていたからだ。

 引き金を引くのは簡単だ。僕はその実、何も感じないのだから。

 密売人も、ゾンビも、幼馴染も、平等に。

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