匿名短編コンテスト・他から集め(歴)
沓屋南実(クツヤナミ)
匿名短編コンテストに掲載
運命の人
「『カテリナ、あなたは強運の持ち主だって占い師が言っていたわ。何人もあなたの顔を見るなりそう言ったわ。高名な占い師は、女王様と呼ばれます、とまで。とにかく、日々謙虚に学び夢を描いて。運命はあなたの味方よ』。お母様は、折々に励ましてくれたの」
この修道院で一番親しい私の友、カテリナは目に涙を浮かべていた。その素晴らしいお母上は、彼女が12歳の時に天に召された。
「お父様も優しかったけれど、新しいお母様と結婚してからは、変わってしまった。この間手紙がきて、広大な領地を持つ公爵様と結婚しろと。30歳も年上なの! そうでなければ、修道女として一生神に仕えろと」
かわいらしい顔を苦痛に歪ませながら、しくしく泣きだした。気丈な彼女のこんな姿ははじめてだ。
「仕方ないわ」と私が言いかけたとき、彼女は首を横にふりながら叫んだ。
「継母の強欲のための結婚なんて嫌! 望みもしない修道女も。こんな人生はまっぴら!」
両親から同じような選択肢を与えられていた私にとって、頭を殴られたような衝撃だった。どちらも選ばないとなれば、どうやって生きていくのだろう。ここを勝手に抜け出せば、処刑されても文句は言えない。カテリナは正気なんだろうか。
◆
海風が吹き当たる修道院の初冬。長く厳しい季節がやってきた。断崖に建てられた石造りの建物は、冷気に満ち気力を奪い取ろうとしているようだ。
それでも修道女たちの規律正しい生活は続き、ひとりまたひとりと見知らぬ男の妻になるため出ていく。残るものは、修道女になるしかない。カテリナの叫びは、次第に自分の叫びとなっていった。自分の人生は自分で決めたい。なぜそれが許されないのだろう。
カテリナは勉学に励み、修道院長先生からも目をかけられていた。それで、人文学者との文通を特別に許されていた。ある日、手紙を握りしめた彼女は、息せき切って勉強部屋に駆け込んできた。数人の仲間が集まって、神学書を朗読しているところだった。
「これを見て」
カテリナの差し出した手紙は、表書きと便箋の筆跡が違った。
「これは……人文学者の先生の手紙ではないのね」
私はそう言うと、その手紙を読み始めた。
「協力者はそろいました。あとはあなたの決心次第です。事前にもれないよう、細心の注意を払ってことを運んでください」
修道女たちは、驚いてカテリナを見つめた。私もだ。カテリナはうなづき、「先を続けて」と言った。
「計画は申せば至極簡単なことです。修道院でニシンを食しているそうですね、その空の樽ひとつに一人隠れることができます。協力者が出入りの業者を装って回収し、そのまま領外へ逃げる。我々は、これが最善という結論に達しました」
修道女の一人が言った。
「カテリナ、この手紙の差出主はだれ?」
カテリナは言った。
「マルティン・ルター博士よ」
矢継ぎ早に、私たちはカテリナに尋ねた。
「え? それは教会ともめている?」
「あの有名な?」
「領主様から追われている?」
「支持者の領主様には匿われているわ」
「聖書を翻訳したあの人?」
「悪魔と取引したとか噂もあるけど」
「それは反改革の人たちのデマ」
「まさか……同姓同名でしょ?」
カテリナはニッコリ笑った。
「そのまさかよ。旧態然とした教会権威に堂々と反対できる人なら、私の気持ちをわかってくれると思ったの」
院長たちに怪しまれないように従うふりをして、周到に脱出する術を探し続けたのだ。
「あなたたちは、どうする? 脱出する気があるなら一緒に行きましょう。もしも見つかってしまったら、処刑されると思う。だから、よくよく考えて」
自分の発案で関わる人たちを死の危険にさらすことに、深く悩んだと言い添えた。しかし、私は言った。
「与えられた人生よりも誇りを持って死ぬほうがずっとまし。気づかせてくれたのは、あなたよ。むしろお礼を言うわ」
◆
あの夜のことを、私は決して忘れない。ここを抜け出そうと決心したときから季節は春へ移り、教会の大きな行事がひと段落したある日。遠くの街で宗教会議があるため、院長は留守にしていた。
修道院で生活する者すべてが寝静まった頃、8人の修道女はこっそり大部屋の寝床を抜け出した。一人ずつ用心深く。そして、一階の料理場の外にあるニシンの樽のなかに入った。
暗がりでも迷わないように、よくよく場所を確認しておいた。おかげで滞りなく予定通りに運び迎えを待つばかりだったが、見つかるのではないかという恐怖で震えがとまらなかった。
足音が聞こえ、心臓が飛び出るぐらいドキドキした。気が付かれたのだろうか。樽の中の修道女の一人が、耐えられず声を立てて泣き出した。何てこと。ああ、もう終わりだと思ったとき、男の低く柔らかい声が届いた。
「皆さんのお味方です、ご安心を。門番は眠り薬のおかげで朝まで起きません。もうすぐ馬車が来ますから」
ほっとしたが、まだまだ先は長い。
やがて、馬車が到着し、ゴトゴトと音がする。ニシンの樽を降ろす手はずになっていた。樽が8本消えるので、その代わりを置くというわけだ。私たち修道女の入った樽も、順番に積まれた。私は最後だったようで、すぐに馬車が動き出した。
追手が来るかもしれない。夜のうちに、領内を出られるかどうか。無事に新天地に着くよう、揺れる樽の中でひたすら祈り続けた。
鶏の鳴き声が響く。ガタゴトガタゴト、馬車はどこを走っているのだろう。
「お嬢さん方、もう大丈夫」
はっきりした太い声だ。馬車は止まり、屈強な男たちに樽から出してもらった。脱出に成功したのだ。私たちは抱き合って、喜びにむせび泣いた。脱出に手を貸してくれたお味方に、何度もお礼を述べた。
カテリナは涙を拭くと、ジャガイモのような顔の男に進み出た。
「あなたは、ルター博士ではありませんか?」
「そういうあなたは、カテリナ・フォン・ボラ嬢ですね」
カテリナがここで運命の人に出会っていたことを、私たちは8年を経るまで知らなかった。驚いたことに「女王様と呼ばれます」という占い師の言葉は当たった。ルター博士が彼女のことを「私の女王様」と呼ぶことは、著作にもあるとおりだ。
***
初出:第5回 #匿名短編コンテスト・過去VS未来編 【過去サイド】
最後からふたつめ、139番目のエントリーです。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054891211495
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