とある男性と一人と一匹
それに気が付いたのは、単なる偶然だった。
後から考えると、その選択が正しいことだったのかは分からない。
けれど、気が付いたというのに見て見ぬ振りをしてしまえば、後悔するだろう。
だから、その選択をしたことに後悔はない。
◆◇◆◇
「シェーラ、やっぱり似合っているよ」
「きゅー!」
少年の肩に乗っている銀狼の首には、深紅のリボンが結ばれていた。黒彩で縁どられている、落ち着いた印象のリボンである。少年からの讃辞に、銀狼が鳴いて応えた。
その銀狼は、言葉が喋れないかわりに尻尾を左右に大きく振り、嬉しいというのを全身で表している。
「でも、本当にもういいの? まだ時間あるけど…」
少年の質問に、銀狼はこくんと頷いた。驚いたことに、人間の言葉を解っているようだった。だとすれば、肩に乗っている銀色の美しい狼は──
「あの!」
気が付くと、その少年に声をかけていた。
「………」
だが、少年はスタスタと目の前を通り過ぎていく。…かけ声が聞こえなかったのだろうか? もう一度声を掛けるべきかと迷っていると、その子供の肩に乗っていた仔狼が此方を向いてきた。
今までゆさゆさと振られていた尻尾は警戒しているのか動きを止めていてる。
狼は此方をじっと見つめてきた。
透き通った紫色の瞳と視線がかち合う。……何も疚しいことはしていないはずなのだが、何故だろう、居心地が悪くなってきた。
「………」
「………」
そうして見つめ合っている間にも、少年は目の前から遠ざかっていった。
慌てて追いかけると、あと数歩の所で少年がくるりと此方を振り向いた。
「何だ?」
訝しげに此方を見上げてきた少年の顔立ちは、これでもかと言うほどに整っていた。
暫し我を忘れ、彼をぼぉっと見つめていると、少年が此方を睨みつけてきた。
「用もないのに呼び掛けるな、不愉快だ」
そう言う少年の瞳には怒りが宿っているというのに、どこまでも氷のように冷たい印象を受けた。
その声で茫然としていた自分に気付き、慌てて言葉を紡ぐ。
「あ…ご、ごめん! いや、ちょっと気になることがあって……それで、呼び掛けてしまって…本当にごめんっ」
「………」
しどろもどろな返答に、少年の瞳が更に細まる。軽蔑にも似た視線を向けられて、たじたじになってしまった。
続けられる言葉もなくて、ただ意味のない言葉を繰り返すしかなかった。
「…きゅー」
そんな、張り詰めたどうしようもない空気の中で、銀狼が小さく鳴いた。それまで此方をじっと見つめていた視線を逸らし、身体をかがめて少年の首にすり寄る。
「どうしたの? シェーラ」
「きゅ!」
今までの凍てつく雰囲気が夢だったかのような声音だった。彼の口許には、柔らかい笑みまで浮かんでいる。シェーラというのは銀色の狼の名前らしい。
少年の雰囲気が変わったのを察したのか、仔狼はゆっくりと尻尾を動かし始める。
「………」
そんな和やかな雰囲気を壊すのは気が引けるのだが、ここで質問をしないことには、自分の疑問が解消されない。
意を決して再度、口を開く。
「そ、その…肩にいる狼は魔獣なのかなっ?」
「──だとしたら何か?」
答えてくる声音は、絶対零度の響きを伴っていた。元が精巧な人形のように整っているだけあって、その視線だけでも恐ろしい。というか、狼に対しての態度との差が激しすぎると思う。
「あー…いや、何も……」
刺さるような視線の鋭さに、そろーっと瞳を泳がせながら答える。
すると、少年は一瞬何事かを考える素振りを見せた直後、さっと踵を返した。
──彼らが、目の前から居なくなってしまう。それは嫌だ。だから引き止めねば。
けれど、自分の意志と反して、喉が音を発することは無かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます