264 別に、真面目だからじゃない


「その、とにかく……。ヴェリアス先輩とどうにも相性が合わないのは初めて会った時からで、あっちもそれを知っていながら、わざわざわたしにちょっかいをかけるのを楽しんでいるというか……。でも、そのせいで、昨日、きみに負担をかけてしまったのは事実だ。本当に、申し訳なかった」


 クレイユがあらためて深々と頭を下げる。


「だ、だからさっきも言ったでしょう!? 気にしないでって! 昨日も謝ってもらったし、今後、昨日みたいなことが起こらないんなら、もうそれでいいから!」


「……本当に……?」


 クレイユが不安をにじませて問いかける。ずっと掴んだままの俺の手を握る指先に力がこもった。


「まさか、きみがオディール役を降りるとまで言うなんて、本当にびっくりして……」


 珍しくクレイユが饒舌じょうぜつだなんてと驚いたけど、昨日の俺の冗談は、よほどクレイユを不安がらせてしまったらしい。


 う……。ちょっとだけ罪悪感……。


「あ、あれは言葉の綾っていうか、クレイユ君とヴェリアス先輩が全然反省してなさそうだったから、ちょっとびっくりさせようと思ったっていうか……っ。そもそも、『白鳥の湖』もオディール役も、私が言い出したことなんだから、途中で放り出したりするはずがないでしょう!?」


 そう! せっかくイゼリア嬢がヒロインを演じられるんだからっ! そんなチャンスを俺の手で潰すワケがないだろ――っ!


 クレイユの手から指先を引き抜こうとしながら、あわあわと告げると、逆にぎゅっと力を込めて握られた。


「よかった……っ」


 安堵の吐息とともにこぼされた笑顔は、ふだんのクレイユからは信じられないくらい無垢むくで、柔らかくて。


「っ!?」


 なぜか、ぱくんっと心臓が跳ねる。


 ちょっ!? クレイユ! エキュー並の可愛い笑顔なんて反則だからっ!


 いつもの冷徹なクレイユとギャップがありすぎんだろ――っ! びっくりさせるんじゃねぇーっ!


「だ、だから、謝るのはさっきのでおしまい! もう気にしないでちょうだい。今後は昨日みたいなことがなかったら、私はそれで十分だから……」


 早口に告げると、クレイユが表情を引き締めて頷いた。


「ああ。今後は十分に気をつける。ヴェリアス先輩ににやけ顔でからかわれても……。努力して、耐えてみせる」


「いや、そこまでは別に求めないけど……」


 悲壮な決意をにじませるクレイユに、苦笑交じりにかぶりを振る。


 なんていうか……。クレイユって、真面目すぎて極端から極端に走るよな。


「ヴェリアス先輩のからかいに無抵抗になれだなんて、口が裂けても言わないわよ。そんなことをしたら、ますます調子に乗るに決まってるんだから!」


 へへーん♪ とドヤ顔をするヴェリアスが容易く想像できすぎて、思わず眉間にしわが寄る。


「理不尽なことには、理不尽だって、ちゃんと声を大にして言わないと!」


 憤然と告げると、クレイユがくすりと柔らかな笑みをこぼした。


「そうだな。……わたしも、理不尽には理不尽とはっきり言うべきだと、きみやヴェリアス先輩のように、幼い頃にちゃんと気づいていれば……」


「クレイユ君?」


 低い呟きがよく聞こえず、尋ね返すと、「いや、何でもないんだ」と、ごまかすようにかぶりを振られた。


 別に突っ込んで聞く気はない。っていうかそれより、いい加減、掴んだままの手を放してほしいんだが……。


「でも、クレイユ君ってほんと真面目ね。昨日の謝罪で終わった話なのに、また改めて謝ってくれるなんて……」


「別に、真面目だからじゃない」


 クレイユが強い声で俺の言葉を遮る。俺の手を握ったままの指先に、ぐっと力がこもった。


「わたしが探してまで謝りたかったのは、きみにだけは嫌われたくなかったからだ」


「もうっ、昨日のことくらいで人を嫌いになるほど、心が狭いつもりはないけど?」


 唇をとがらせて軽く睨み返す。そこまで狭量だと思われているんだろうか。


 確かに、昨日の「オディール役をやめようかな宣言で、多分にクレイユを驚かせた自覚はあるけど……。


「そうじゃない」

 あわてたようにクレイユがかぶりを振る。


「きみの心が狭いなんて、そんなことあるわけがない」


 銀縁眼鏡の奥の蒼い瞳が、真っ直ぐに俺を見つめる。


「ただ、わたしが――」


 クレイユがぐっと身を乗り出したところで。


 きーんこーんかーんこーん。

 昼休みの終了が近いことを告げる予鈴がなる。


「わっ! もうこんな時間!?」


 あわてて立ち上がるも、クレイユが手を掴んだままなので歩き出せない。


「あの、クレイユ君……? 遅刻したらまずいでしょう?」


「あ、ああ。すまない……」


 俺の手を放したクレイユも、脇に置いていた台本を持って立ち上がる。


「練習をしていたのに邪魔をしてしまったのも、すまなかった。わたしでよければ、いくらでも練習につきあうから、いつでも声をかけてくれ」


「ありがとう。でも、気を遣ってくれなくても大丈夫よ? それよりも、早く教室に戻らないと!」


 俺はクレイユの返事を待たずに歩き出す。


 クレイユの気遣いはありがたいけど……。俺が一緒に読み合わせをしたいのはイゼリア嬢だけだから!


 生徒会での練習じゃない限り、個人的にイケメンどもの誰かと読み合わせをするなんて、絶対にお断りだからなっ!


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