第15話


 何事も初めて挑戦することは緊張すると思う。

 それが、一人きりでというのなら尚更だ。


 僕がこのマンションに引っ越してきてキッチンに立つのは別に珍しいことではない。

 なぜなら、弁当を温めるのもカップラーメンにお湯を注ぐのにもキッチンは必ず立ち入らなければならないからだ。


 うん、だからなんだって話だ。


 とりあえず、買ってきた食材を並べてみる。

 たまねぎ、ニンジン、ジャガイモ、牛肉、そしてカレールウ。

 これを鍋に入れて煮込めばカレーになるわけだが、普通に考えてこのまま放り込むわけがない。


 先日、梱包されて押し入れに眠っていた段ボールから発掘した調理器具たち。あらかじめ洗っておいた包丁とまな板を取り出す。


「とりあえず切ればいいよな」


 そう言いながら僕は包丁を手にする。

 そして、おもむろにジャガイモに手を伸ばしたところで気付く。


 土が付いてるからまず洗う必要があるじゃないか。


 包丁を置いてじゃがいもとニンジンを流し台へ、そして玉ねぎを手にしたがそこで動きが止まる。


 玉ねぎは洗うのか? 皮むくよなこれ……。


 玉ねぎを覆う茶色い皮を触りながら考える。

 この薄い皮を向けば中身の白い部分が出てくるわけだから、外側を洗ったところで意味はあるのか?

 しかし、ニンジンも玉ねぎも皮はむくがあらうのが普通だと思う。

 テレビ番組でも洗っていたはずだ。


 なら玉ねぎも洗うべきか。いや、まて。もしかして茶色い皮をむいてから洗うのか?

 それなら今、洗うのではなく――――。


 そこまで考えて僕は気付いた。

 考えて迷うくらいならとりあえず洗っとけばいいと。


 野菜を水洗いする。玉ねぎは皮をむいてからもう一度。

 綺麗になったそれを再び並べ直して包丁を手に取る。


 さて、切るか。


 左手でジャガイモを手にするが、そこで再び動きが止まる。

 普段食べているカレーのジャガイモには皮が付いていない。

 それに気付いた僕は右手の包丁と左手のジャガイモを交互に見る。


 皮、あれ包丁で向くの? え、マジで。僕そんなの無理ですよ。


 表面がつるっとしたリンゴの皮むきすらしたことのない僕が、男爵よりマシとはいえども、ごつごつとしたジャガイモの皮を包丁でむけるとは思えない。

 困り果てていると先日整理した調理器具を思い出し引き出しにしまったそれを漁る。

 その中に、今の僕にとってはどこぞのネコ型よろしくひみつ道具といえる頼もしいグッズがあった。


 皮むきピーラーを見つけた僕はようやく調理を開始する。


 専用の道具を使っても皮むきに時間はかかった。

 皮と一緒に実も少し抉ってしまったが、何とかニンジンとジャガイモの皮をむき終わる。


 すると、ちょうどそのタイミングでスマホにメッセージが送られてきた。

 画面に表示されているのはみぞれの名前である。


『いま、ようやく皮むきが終わったくらい?』


 送られてきた内容に若干恐怖心が湧く。

 本当に見張っているのではないかと思えてしまう。


『みぞれ、僕の部屋に監視カメラとか仕掛けてないよね?』

『アタシ、みぞれ。今あなたの家の前にいるの』

『笑えないからねそれ』


 ただでさえ時間がかかっているのに、みぞれと遊んでいたのではいつまでたってもカレーが完成しない。

 そう思った僕は、スマホを置いて再び包丁を手にする。

 すると、またみぞれからメッセージが送られてくる。


『包丁使うときは気を付けなよ。左手は猫の手だから』

『ありがとう、気を付ける』


 肩の力がスッと抜けた僕は意外と手際よく野菜を切り終えることができた。

 形は不揃いでも、最初はこんなものだろう。


 鍋を取り出してコンロの上に置き、油をしいて火にかける。

 カレーと言っても、いきなり食材を煮込む訳ではない。


 温まった鍋に牛肉を放り込むと、白い煙と共に肉の焼ける匂いが香ってくる。

 そのタイミングで、再びスマホにメッセージが表示される。


『牛肉を煮込む前に食べるな』


 僕はすぐさま返事を送る。


『心外だ。まだ食べてない』

『なら、塩コショウを探そうとしない』

『やっぱり監視してますよね、みぞれさん』


 玉ねぎとニンジンを入れて更に炒める。

 色が変わってきたところで水を加えて沸騰するまで待つ。

 沸騰したところで弱火に変えて煮込む。

 すると、鍋の中に灰色の泡が出始めた。


『みぞれ先生。灰汁って何で取らないといけないの?』

『香りと味を良くするため。多少残っても害はないから、取れる範囲で取ればいい』


 時々、みぞれのアドバイスを受けながら調理は進んでいく。

 火を止めてカレールウを割入れて溶かす。


 再びに火にかけて煮込むと、あの香りがキッチンから部屋中に広まっていく。


『すごくおいしそう』

『あとは、焦がさないように鍋の底からかき混ぜればいい』

『助かったよ、みぞれ先生』


 僕がそう返事をすると、それっきりみぞれから返信が来ることは無かった。

 僕は、不愛想な友人に心の中で礼を述べながらカレーの鍋をかき回す。

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