ネコ将軍は五丈原へ行きたい ~ 三国志異聞「向寵伝」
杉浦ヒナタ
第1話 序章・吾輩はネコである
『吾輩は人猫である。
ふにゃぅ、そこまで書いて
小さな顔に大きな丸い瞳で、何度も首をひねるその姿は、まさにネコ科の動物を思わせた。
「なかなか斬新な出だしだけど……自伝としてはどうなのかなぁ」
確かに漢民族と違って、我らは
彼女は大きなあくびをして天井を仰ぎ、目を閉じた。
☆
彼女が生まれた
いや、正確にはあったというべきだろう。
この地方には古代より少数民族が多く住んでいた。最も有力なのは『
当時、荊州を支配していたのは
だが、その劉表が世を去った。
北から『曹』の旗を掲げた軍団が現れ、彼女たちの邑は破壊された。山間に逃れたものの、打ち続く戦乱に巻き込まれ、
半人半猫を特徴とする彼女たちは、伝説上の武神、
曹操率いる魏軍を追い、亡びの途にあった
その代官として派遣されてきた
「実は、お前のような美少女に『おじさま』と呼んでもらうのが、私の生涯の夢だったのだよぉ」
心から嬉しそうな顔をしている。養ってもらっている立場上、言いたくはないが、これは一種の変態なのかもしれない。
だが向寵は、この向朗という、武将というより学者のような、痩せた若い男のことが結構気に入っていた。いつも本を読んでくれ、文字も教えてくれるのである。文章を書くのも彼が勧めてくれたことだった。
「ありがとう、おじさま♡」
だから、こうやって可愛らしく呼んでやり、向朗が身悶えして悦ぶのを、少しだけ冷めた目で見るのが彼女の日課になっていた。
☆
「どうかな向寵、少しは書けたかい」
おじさま、こと向朗が一人の男を連れて彼女の部屋に入ってきた。真っ白い眉のせいでかなりの年配者かと思ったが、よく見れば向朗と同年代のようだ。
「
柔らかな物腰で彼は会釈した。学識に優れ「
「おーい向寵、この男は大丈夫だから降りておいで」
自分の背丈より高い箪笥の上に飛び乗った向寵は、体勢を低くしてシャー、と唸り声をあげている。
「向朗どの、やはり私は失礼するよ。どうも嫌われているようだ」
ちょっと困った表情で馬良は部屋を出ようとする。
「ああ、すまんな。だが、わたしと初めて会った時も一週間くらいはあんな調子だったから、気を悪くしないでくれ」
「では、この菓子は後で食べてもらってください」
卓の上に土産を置き、背を向けた馬良の服を誰かが引いた。振り向くと、いつの間にか床にちょこんと座った向寵が彼の上着の裾を掴んでいた。何の物音も気配もしなかった。
「お菓子があるのか?」
少女は真剣な表情で馬良を見上げる。
「え、ええ」
「そうか。だったら、お前はわたしの味方に違いないな」
そう言うと向寵はにっこりと笑い、馬良に抱きついた。
朴念仁で通っている馬良だったが、不覚にも胸がときめくのを感じた。
「うらやましい……」
彼の後ろで向朗がつぶやく。
☆
だが彼に焦りの色は見えなかった。失った兵の多くは降伏してきた荊州兵だったこともある。魏軍の痛手は最小限に留められていた。
そして最も大きな理由。
「一時的に連携しているとはいえ、劉備と孫権の関係がこのまま続く筈はない。いずれ荊州の領有をめぐって争うのは確実だろう」
勝利を得たと思い込んでいるものは、其れが故に内紛を起こすものだ。
奴らが潰し合うのをここから見物させてもらおう。曹操は完成したばかりの銅雀台を前に大笑した。
こうして、三国鼎立の序章は始まった。
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