息切れ・高揚・懺悔

しま

大好きで大嫌いな君にさよなら

私は子供のころから心臓が弱くて激しい運動ができなかった。

窓の外を見ると年甲斐もなくふざけあって走り回る同級生たち。ねばねばしくまとわりつく倦怠感。

急な発作が起こることなんてないだろう彼らに嫉妬した。

私だってあんな風に思い切り走ってみたい。きっと気持ちいいに違いないのに。



「いいなあ……」

と、ぽつり言葉が漏れた。

窓の外では、一枚の木の葉が風に吹かれ舞いながら落ちていく。


そのとき、

「サキノ?」

と声がした。

私は声のほうを向く。声の主はカイトだった。

カイトはクシャっとはにかむ。

「おう、げんきか?」

「元気に見える?」

「うん、見える」

「元気じゃないってば……、今も頭くらくらするし……」

急に視界が揺らいだ。足が絡まる。こける。そう思った。

「おっとっと」

瞬間、カイトがふわりと受け止めてくれた。がっしりとした腕にどきりとする。まったくいつもかっこいいんだから。

「ほらね、元気じゃないでしょ?」

「……」

心配そうに見つめる彼の眼差しが私を憐れんでいるように思えたので、苦しくなった。とっさに質問をする。

「今から部活?」

「うん」

思いついたようにカイトはパッと表情を変えた。

「そうそう! きいてくれよ、次の試合で成績残せたらレギュラー取れるかもなんだよ!」

部活のことになると目を輝かせるカイト。私は彼が好きだった。同時に憎んでもいた。何かに一生懸命に打ち込める資格を持っている彼を。

「そーなんだ、頑張ってね。私これから図書館行くから」

「あ、あのさ、次の試合見に来てくれるか?」

「まあ、考えとく。じゃ」

彼の方を見ずに図書館の方へまっすぐと向かう。試合、それは彼がもっとも彼らしく輝く瞬間。それを輝きもない未来もない私が見るというのは酷な話だった。

「おう」

と背中側から小さく声が返った。



図書館に向かう途中、また、あの発作がきた。ぎゅっと胸を握りつぶされるような痛みに襲われ、その場で蹲った。

「はあっ、はあっ、はあっ、……きつ」

少し治まったかなと立ち上がったとき、

「うっ」

再び来た鋭い痛みの波に私は意識を失った。


◆◆◆◆◆


タンッ タンッ

何かを投げてはキャッチしてを繰り返す音が響いている。

目をゆっくりと開けると、私は丁度ボールが落ちて、大きくて骨ぼったい手に収まる瞬間を目撃した。

「あ、起きた」

低く響く男の子の声。私は少し驚いて目を見開き、ボールを持った手の先から男の子の顔を見上げた。

「びっくりしないで聞いてね、君は死んだ。で、俺神様。特別に生き返らせてあげよかなって思ってる」

そのわけがわからないことを言っている本人はニヤリと三日月の口をして笑った。なんなんだこの子は。

「君、体病弱すぎるし、このまま生き返らせてもまたすぐ死ぬだろうから、力を与えてあげよう、と思ってるんだ」

彼は淡々と語り続ける。

「君の周りの誰か一人の健康状態と君の症状を入れ替えて君を自由にしよう」

伏し目がちに彼はこちらを流し見た。

「誰がいい?」

少し考えた後、私はある人物の名前を口にした。


「そう、彼がいいんだね。ある程度は疑問に思わないように操作しておくよ」

にっと意地悪そうに笑う姿がぼやけていく。男の子の声がなんども私の中を反響し続けているうちに私は再び意識を失った。


◆◆◆◆◆


いつもはだるい身体を無理に起こすのに、その日の朝はだるさも何もなく快適な起床だった。

「ふぁ……、………すごい、こんなに快適な朝は初めてかも……」

私は生まれて初めての出来事に最大限の笑みを浮かべた。夢じゃないんだ!

「体が軽い! やった!」


学校までの道を走り抜ける。走るのがこんなに気持ちいいものだなんて!

「おはよう!」

友達に元気よく挨拶をする。これも生まれて初めてのことだ。


「みんなこんな朝を過ごしてるんだ」


私は動く体を満喫した。いつもは出れなかった体育も出た。たのしい、たのしい!楽しい!


その一方で、カイトはどんどん蝕まれていった。好きなサッカーにも出れなくなって、弱っていた。私は、見ないふりをした。そして「いつも私より楽しそうなんだからいいじゃん」と気にせず、ざまあみろとも思った。



私はこのことを得意げにルミちゃんに話した。

「サキはいつも元気じゃない?」とルミちゃんはにこやかな顔で答えた。

「でもそれがホントの話なら、サキは楽して人を苦しめて利益を得てるってことだよね。カイトくんの気持ち何一つ考えてないじゃん。サキは大好きなサッカーを、生き甲斐をカイトくんから奪ったんだよ。それってカイトくんにとって、すごく絶望的だね」

私はカッとなった。きっとルミちゃんの言葉が的を射ていたんだと思う。

「なにそれっ! そんな言い方ってないよ! 私は普通の人みたくなりたかっただけなのに! ルミちゃんのバカ!」


走り出した先には、カイトがいた。人通りの少ない校舎横の道。

鉢合わせないように、行く先を変えようとした瞬間、私は見てしまった。

カイトは泣いていた。声を出さずに涙を流していたのだ。

心にずきりと重く息苦しいモヤがかかった。

どうすべきか戸惑っていると、「…サキノか?」と声が聞こえた。

カイトは涙を拭い、言った。

「はは、かっこわりいとこ見られちまったな」

痛々しい笑い顔。笑えないはずなのに無理をして笑っているのがひしひしと伝わってきた。やめてよ。そんな顔しないでよ。

「いや…、ごめんな、サキノ。サッカーの試合、見に来いとか言って出れなくなっちまった」

「うん…」

頭にルミちゃんから言われた言葉がこだまする。

『サキは大好きなサッカーを、生き甲斐をカイトくんから奪ったんだよ』

カイトの顔がまともに見れない。

目頭があつい。喉の奥がいたい。何かが込み上げてきた。

頬を液体が伝う。

ごめんなさい。本当にごめんなさい。

「うっ、うぅぅ……」

私はその場に泣き崩れ落ちた。

「サキノ……? どうした? なんで泣いてんだ?」

カイトは優しい。自分の状態が悪くても、私を心配してくれている。

私はカイトを憎んでばかりいた。なんて最低なんだ。

「俺のせいか……? ごめんな、俺のために……」

カイトは弱った体で優しく抱きしめてくれた。暖かい。

違うの。あなたのために泣いてるんじゃないの。私が、自分勝手に人を貶めて生きて、高笑いして。それが惨めなことだって気づいたから、だから、泣いてるの。私、自分のことしか考えてない、だめな人間なの。こんな暖かさをあげていいような人間じゃないの。

カイトは背中をとん、とん、と叩いてくれている。

なんかわかっちゃったなあ。私だめだったんだ。健康になったりなんかしたら、遊んだりしたら。幸せになったら、誰かに迷惑かけちゃうんだ。

カイト、ごめんね、ごめんねっ……。


◆◆◆◆◆


気づけば、私はあの時倒れた空間に横たわっていた。

「やあ、また会ったね」

今度は彼はコインを指で扱っていた。キンッとコインをはじいて、ぐっと手で掴んだ。

「どうする? もとに戻す? 時間も何もかも。君が死んでしまったあの時まで」

「戻して!」

私は死んでしまった方がいいんだ。

「いいよ。でも……、幼馴染くんのサッカーのレギュラー決定試合まではちゃんと生きなくちゃ。彼も君に見てもらいたがってただろ?」

神様だという彼は私の背中をそっと押した。

「行っておいで」

最後に聞いたその声はふわりと包み込んでくれそうな暖かさを帯びていた。


◆◆◆◆◆


目が覚めると、あの時倒れた場所に横になっていた。

体が重い。もとに戻ったのだ。


レギュラー決定試合の日、カイトは次々にゴールを決め、チームに貢献した。カイトのチームが勝った。

カイトが遠くから笑顔をこちらに向ける。どうやらレギュラーが決まったみたいだ。

カイトがはしゃいで駆けつけてきた。ほんとにキラキラしてる。影の世界に生きる私には眩しすぎた。

「やったよ、俺レギュラー取れたよ!」

「すごいじゃん、カイトならきっと取れるって信じてたよ」

本当に信じてた。心から信じてた。あなたは私と違って、勝利を勝ち取るべき人間なんだよ。

「俺さ、レギュラーとったらサキノに……、その、絶対言うって決めてたことがあってさ」

なんだろうか。ご飯でも奢れとか言われるのかな。

私の体には発作の予兆が出てきていた。

「ずっと前からお前が好きだった。付き合ってくれ!」

知らなかった。カイトは影みたいな私をそんなふうに思ってただなんて。

あなたを心の底から憎んで、呪ってた人間なんだよ。どうやってもあなたとは釣り合わないのにさ。笑けちゃうね。

発作のせいか、胸が苦しいよ。

「はは、それ、言う……?」

私の何がいいんだろ。というか、今更すぎ。

涙が出てきた。私は今日死ぬんだよ、カイト。

「どした?! そんなに俺が嫌か?」

めちゃめちゃに焦るカイト。面白いなあ。

「そんなわけ無いじゃん。大好きに決まってんじゃん……。でも、もう、あたし、だめなんだ」

視界がぐにゃりと歪んでいく。

そんなに悪くないな、終わりってのも。

「だめって……、おい、どした!?」

「ばいばい……」

意識が薄れていく。そばにあなたがいて、私を心配してくれている。大好きだよ、カイト。でも大嫌いなんだ。

そのまま私は目を閉じた。

「サキノ! さきの!?」

私の人生最後に見た夕焼けは、いつもの空のキャンパスにたくさん水を含ませたくらい淡かった。もし食べられるなら味は全くしないだろうね。けど、少し……、しょっぱいかも。


◆◆◆◆◆


春の風が顔を柔らかく撫でた。俺はスポーツ推薦で都内でも有名な大学に入った。

「花見の季節だな。サキノ……、花見行きたがってたな。いつも体調崩して行けなかった」

空を仰ぎ、すぅーっと息を吸う。サキノの笑顔。仕草。思い浮かぶ。苦悩。悔しさ。俺は全部わかってた。何もしてやれなかった。

息を大きく吸い、胸に拳を当て、目をつぶり、ぐっと力を込める。

「よし」

俺は一歩前進した。

今もなお、サキノの面影は俺の心に深く刻みこまれている。

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