第332話 【真珠】独占欲と『ズルい男』


「つまり──宿題の答えも出たということか?」


「宿題?」


 ──な……なんだっけ?


 と、首を傾げそうになったが、すんでの所で押し留まった。


 あれだ!

 祖父の『三国一の花嫁』探し宣言を耳にした昨夜、思わず涙を零してしまった記憶がよみがえる。その理由がわからずにいたわたしに対し、貴志は「何故泣いたのか考えてみろ」と宿題を出していたのだ。



「あの時はお前自身、理解していなかったようだが、つまり──そういうこと……だ、と……俺は思っている……」


 先程の黒いお怒りオーラは何処へやら、貴志が歯切れ悪く、そんなことを口にした。


「え……と……?」


 わたしは戸惑いながら、昨日のことを詳しく思い出そうと記憶の抽斗ひきだし穿ほじくり返す。


 そう言えば、あの時──原因不明のモヤモヤで落涙したわたしを抱き上げた貴志は、何故か意外そうな表情になり、その後優しげな微笑みを見せていた。


 あの笑顔は、祖父と和解できた嬉しさから生じたものだと解釈していたのだが、どうやらそれだけではなかったようだ。



 貴志は明言したわけではない。

 けれど、あの不可思議な心の動きは、わたしが意図せずに見せた『独占欲』だったのではないか?──と、彼は仄めかしているのだと思う。



 自分では気づいていなかった。

 だけどあの時、わたしはまだ見ぬ『三国一の花嫁候補』に対してヤキモチを焼き、貴志を独り占めしたいと思っていたということ?


 そう仮定して考えると、あの不可解な心の動きにも妙な整合性を感じる。


 初めて経験する情動の連続に、焦りを覚えた心は機能不全に陥り、自分自身の気持ちだと言うのに理解が追いついていかなかった──とでも言うべきか。


 けれど、今やっと、貴志の示唆した言葉で合点がいった。



 ──今、訊ねてもよいだろうか。


 ずっと知りたかったのだ。

 わたしがいだいた『独占欲』は、貴志にとって許されるのか否か。


 恋愛作法など皆無に等しい自分だ。

 この感情が正しいのか、間違っているのか、そこからして分からない──だから聞きたい。


 正直に言えば、気後れしてしまうような質問内容だ。

 けれどその後ろ向きな気持ちを後押しし、勇気づけているのは、貴志のこの態度。

 彼の様子から、その心も自ずと伝わってくる。


 おそらくは彼は、わたしの持つこの感情を嫌悪しているわけではない。



 だからわたしは、思い切って質問してみることにした。


 貴志の顔を見ながら、確認するように問う。



「あのね……独占欲って、持ってもいいものなの? 自分だけを見て欲しいって思うのは、我が儘じゃ……ないの?」



 貴志は少し考えるような素振りを見せる。


「程度や相手にもよるだろうが、お前が言っている範囲であれば、誰でも思うこと──そのくらいであれば、可愛いものだ」


 何故か貴志は、戸惑いに染まった眼差しをこちらに向けている。

 その双眸がわたしの視線と重なった瞬間、今度はついっと逸らしてしまう。


 その耳は、ほんのりと朱を帯びていた。

 照れ隠しなのは、一目瞭然の行動だ。


 わざとらしく咳払いをした貴志が、観念したように言葉を紡ぐ。


「──意外なことに……お前に束縛されるのは、悪くない……とも思った」


 ──と。



 彼の目線の先を辿ると、そこには暗い窓。

 貴志が見つめていたのは、その窓に映るわたしの姿。


 その事実に気づいたわたしは、窓に映った貴志に笑顔を向けた。



 このくらいの独占欲なら持っていて構わない。むしろ好ましい──と、貴志は言ってくれたのだ。



 頬が緩む。


 心の奥が、くすぐったい。

 それに、なんだか、無性に嬉しい。



 激しい悋気りんきを起こすような執着では困るが、互いに許せる程度の独占欲を持つのは、世の恋人同士の間では普通のことなのかもしれない。



 持て余していた感情の落としどころを見つけた安堵から、わたしは吐息をほぅと洩らした。



 今夜は貴志から、『わたし一人だけだ』という言葉を聞け、さらにはこの感情──独占欲でさえも「悪くない」と言ってもらえたのだ。


 今はこれだけで、充分だ。




 わたしの心は、割と現金だったようだ。

 貴志の態度を見、その言葉を聞いた途端、離れ離れになる数年間でさえも頑張れるような気がした。


 今日一日、揺れに揺れ、心許なかった胸の中心に、一本筋の通った確かな気力がみなぎりはじめる。


 貴志の日本滞在は残り数日。

 その間、彼の足枷となるであろう悲しみの涙は、絶対に見せない。


 貴志を見送るまでは、常に笑顔で接しよう。


 それは、心の内を明かしてくれた彼に対する感謝と、今後数年間に向けた貴志への応援になる気がするのだ。



 穏やかになった感情は、自分を前向きにしてくれる。満ち足りた心は、安心感を呼び寄せる効果すらあるようだ。


 不安定な時間を過ごしていた自分は消え、今では余裕を感じているのだから不思議だ。



「貴志、今日は色々と不安になったり、避けたりして、本当にごめんなさい。……許してもらえる? ちょっとだけ……甘えてもいい?」


 わたしは上目遣いで、貴志を見上げた。


 一緒に眠ることはできないけれど、今は彼に触れたい気分なのだ。


 貴志は「仕方ない。今回は許す」と口にしたあと、両手を広げ、その腕の中に呼んでくれた。

 了承の合図と受け取ったわたしは、彼の胸に勢いよく飛び込む。


 受け止めてくれたその腕は、とても温かく、慈愛で溢れているような気がした。


「真珠、少しでも疑問に思うことがあったら、遠慮せずに質問していいんだ。小さなすれ違いから、誤解を招く事態だけは避けたい。だから、約束して欲しい──目を、逸らさないことを」


 耳元に降り注ぐ彼の声が心地良くて、もっと聞いていたいと思った。


 貴志が語った言葉にわたしが頷くと、目の前に現れたのは、優しい笑顔。


 本人無自覚なのは承知しているが、その微笑に混じるあでやかさに、こちらが赤面してしまう。


 貴志から漂う色香が、わたしの鼓動を速くする。

 脳内にも危うく作用しかけたけれど、今回ばかりは己のお花畑妄想をグッと抑えた。


 でも、至近距離でのその笑顔は、反則だ──うっかり、不埒な想像をしてしまいそうになる。


 今夜は一緒に眠れないというのに、貴志の魅力は超全開のフルスロットル。


 わたしの『好き』も溢れ出し、まさしく駄々漏れ状態。


 間違いない。

 貴志の笑顔は、わたしを悶絶させる凶器にもなってしまうらしい。




 貴志の巧みな搦手からめて攻勢だったのか?

 それとも単に、わたしが惚れっぽかっただけ?

 そのどちらが正解なのか、いまだに分からない。


 けれどこの心は知らず知らずのうち、貴志の手中に捕らえられてしまったようだ。


 ひとつ確実に言えることは、葛城貴志はわたしより、一枚も二枚も上手うわてという事実。


 意図したことなのか、それとも否か。

 それは貴志のみぞ知る──


 まったくもって、色々な意味で、彼はやはり──『ズルい男』──なのだ。



     …



 貴志が部屋の照明を落とすと、窓の外が途端に輝き始めた。


 数多あまたの電飾に彩られた眼下は宝石箱の様相で、その煌めく美しさに心を奪われる。


  『夜景を一緒に眺めませんか?』


 わたしが怯えながらも口にした、先ほどの科白を、貴志は記憶にとどめていたようだ。


 同じベッドでは休めないけれど、不夜城の夜景を堪能することは許してくれるらしい。


 窓の外を楽しみながら、他愛のない会話を二人で交わし、それなりに良い雰囲気だったと思う──ダイニングテーブル上に置かれた、彼のスマートフォンが光るまでは。


 着信音の消されたそれが、唐突に青白い光を放ちはじめたのは、夜景を楽しんで暫く経った頃。

 無音とはいえ暗い部屋の中とあって、画面の明かりは無視できないほどにその存在を主張する。


 貴志は「すまない」と一言断りを入れてから、スマートフォンを手に取った。



 画面中央、着信相手を知らせる文字は『鷹司 紅子』


 ──紅子の本名だ。

 どうしたのだろう?



 画面をスワイプした貴志は、彼女との会話を開始する。

 通話が進むたびに、貴志の眉間に皺が刻まれていくのが目に見えて分かった。


 何かあったのだろうか?


 首を傾げながらも、貴志の様子を注意深く観察する。


「待て、どういうことだ──は? アオが? いや……何故、そんなことになっているんだ?」


 貴志の困惑に満ちた声音が、室内に響いた。





【後書き】

■貴志、浅草寺にて演奏中■


うた様(Twitter ID:@puddingUTA )より、素敵なイラストをプレゼントしていただきました。

浅草寺での演奏の様子。素晴らしい作品をありがとうございました!


https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/552804/

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