第312話 【真珠】貴志と愛花と『運命』と


「真珠──お前、まさか……」


 室内にエルの息を呑む音が響いた。


 わたしはというと、思考停止に追い込まれ、完全に動きが止まった状態だったりする。

 そんなわたしに向かって、エルが信じられないモノを見るような眼差しを向けた。


 ものすごく焦る気持ちと共に、この世の終わりのような表情になってしまう。


「読んだんだよね? 見たんだよね? わたしの考えてたことを!」


 両手で顔を覆い、本日の自分の行動の残念さに打ちひしがれつつ「うう……」と呻いてから天を仰ぐ。


 エルも同じく天井を見上げ、深い溜め息を落としているようだ。

 わたしは顔を覆っているため彼の動作を直接見ているわけではない。が、衣ずれの音でその様子が伝わってきた。


「まさか、貴志とあの子供が同じ場所にいる時の、二人の様子を見ていなかったとは……呆れるを通り越して、絶望さえ覚える──お前は、貴志を気にしているくせに、何をやっていたんだ!?」


「め……面目次第も……ございません」


 エルからの言葉に反論する余地もなく、わたしはすかさず両手を地面につき、床に突っ伏した──所謂、土下座の体勢だ。


          …



 エルの質問に答えようと、貴志が愛花を目にした時の様子を思い出そうと試みたのだが、どうやっても記憶がみつからない。

 これは恋するわたしの心が二人の様子に耐えきれず、記憶をデリートしてしまったのやもしれぬ──などと自分に都合の良い解釈をし始めたのだが、どうにもシックリこない。


 それもそのはず。なぜならば、わたしが愛花と初遭遇したとき、貴志はその場にいなかったのだから。


 あの時、一緒にいたのは兄と加奈ちゃんの二人。その後、わたし達を呼びに来た理香が加わり、みんなで交わした遣り取りが浮かんでは消えていった。


 加奈ちゃんとわたしをはじめ、理香でさえも、愛花の愛らしさに心を射抜かれていたことを再認識するに至る。

 おまけに、敬愛してやまない我が兄上さまも愛花に一目惚れしたのだ。多分。


 ういちゃん。

 なんて罪作りな幼女。

 将来が末恐ろしい。


 頭の中で愛花礼賛が始まろうとしたところ、エルが眉間に皺を寄せ、わたしの心はその鋭い眼光に刺されることとなった。


 ──ああ、そうだった。

 此処では、この頭の中の様子も、エルにすべて筒抜けなのだ。


 わたしは引きつる笑顔を、面に貼り付ける。

 思い出したことをエルに伝えなければ、残念娘の烙印を完全に押されてしまう。


 焦りに焦ったわたしは、躍起になって愛花との再会時の記憶を掘り起こしていった。



 次に愛花と会ったのは、昼時のレストラン。

 広い店内だったので、貴志と愛花の接触はなかった。


 わたしがお手洗いに行っている間のことは知らないけれど、おそらく二人は顔さえあわせていないだろう。


 あの時、既にわたしは愛花に夢中になり、まるで恋する乙女のように彼女の姿をレストラン内に探した。

 同じ空間にいるだけで胸が高鳴り、この目が勝手に彼女を追っていたのだ。


 愛花には、強烈な吸引力に似た魅力があった。少なくとも、わたしにとっては。


 貴志は否定したけれど、その本心は愛花の姿に惑わされていたのだとしたら、わたしと同じような動きをとっていてもおかしくはない。

 だが、必死になって貴志の行動を振り返ってみたものの、彼が愛花に囚われているような映像記憶は一切出てこない。


 そしてあることを思い出したわたしの心は、更に救いようのない状態に追い込まれてしまう。


 愛花にキーホルダーを手渡したあと、わたしの心は別の問題に根こそぎ奪われ、その結果──愛花にも集中できなくなってしまったのだ。

 そう──予期せぬ久我山兄弟との遭遇および彼らの母・葵衣の出現で、わたしの脳内は「貴志、人妻横恋慕疑惑」という大混乱で埋め尽くされたからだ。


 その後、科博で失恋する事態だけはどうにか避けたいと考えたわたしは、貴志から只管ひたすら逃げまくった。


 だから、貴志が愛花を見た時の様子を。それが、彼ら二人に関するわたしの記憶の全てだ。


 エルには既にわたしの考えが伝わっているようで、彼は頭を抱えている。



 けれど、疑問に思う事態があったのは確かだ。

 先ほどからわたしの胸の内は、どこかに齟齬があると騒いでいる。



 それはいったい何?

 何処で、そう思った?


 優吾に拉致されたと焦り、ラシードと地球館入り口にて再会したあたりの記憶から順番にさらっていく。自分の心が、腑に落ちないと感じた場面を探すために。


 ──あ……れ?


 唐突に、わたしの頭の中をとある映像が過ぎった。

 それは、レストランのウェイティングリストに名前を記入した時の出来事。


 間近で見た、貴志の思い悩むような表情。そして、彼が愛花に対する不可解な想いを滲ませた声音。その両方が同時に呼び起こされたのだ。


『詳しい事は分からないが──あれは、俺がお前に惑わされた時とは違って……どちらかというと、囚われていたのは──加奈さん達のほうだった』


 貴志が躊躇いがちに口にした科白は、わたしがエルに確認したかった疑問のひとつに繋がっていた。


 わたしはエルに向かって、新たな質問を口にする。



「エル──あのね。愛花の中の『理の違う魂』は、女性じゃなくて、の可能性もあるの?」



 あの時の貴志の態度を見る限り、彼自身その根底にある疑念が何であるのか、分かっていなかったのだと思う。

 けれど、もしかしたら、貴志はその可能性を薄々感づいていたからこその、あの歯切れの悪い態度だったのかもしれない。



「貴志があの子供に対して、違和感を覚えていたのは私も聞き及んでいる。まずはお前の疑問だが、魂は輪廻転生を繰り返すことにより、性別のない存在になることも有り得る。勿論、異性として転生することだってあるだろう。あの子供に至っては、話を聞いている限り──前世は男であった可能性が高い。念の為、お前が何故そう思ったのか、その根拠を聞きたい」


 わたしは頷き、身体を前のめりに倒してから話し出す。


「最初はね、わたしを気遣った貴志が『惑わされることはなかった』と、優しい嘘をついた可能性を疑っていたの。でも今は、それが貴志の本心だと思っている。どうしてそう感じたのかと言うとね、それは加奈ちゃん達の様子と理香の態度。特に理香はいつもの彼女らしくなかった……違和感を覚えるほどに。それに──」


 わたしは少しだけ逡巡した結果、エルになら話してもいいのではないかと結論を下し、意を決して言葉を放つ。


「──あんなに『主人公ヒロイン』の存在を恐れていたのに、わたし自身が心を奪われるように彼女を好きになった。だから、もしかしたら、異性を惑わすというのは現世の身体によるものではなくて、元の『魂』の性別によるのかもしれない……って感じたの」


 でも、お兄さまは愛花に一目惚れをした可能性がある。

 だから、その予測は確固たるものではないけれど、そこは兄と愛花の間を繋ぐ『攻略対象』と『主人公』という関係性に基づいた『運命』の一端と考えるしかない。


 それに、貴志の言葉にも『運命』の片鱗が見受けられた。

 いつかまた愛花に出会う予感がすると語った貴志。彼は複雑な表情を見せはしたが、わたしには理解できない『何か』を愛花に感じたのだと思う。


 そう考えると、『主人公』と『攻略対象』の間に結ばれた、目に見えない絆と言うべきものがあると考えたほうがいいのだろう。


 ──すべては憶測でしかないのだけれど。




 ここまで考えたあと、エルの反応が気になったわたしは、彼の双眸を見つめた。

 望む望まないに関わらず、わたしの思考が伝わるこの空間にいる限り、エルに隠し事はできない。


 これで、エルには伝わってしまったのだろう。

 この世は、伊佐子のプレイしていた『乙女ゲーム』に酷似する世界だと。


 もしかしたら──すべては愛花のために創られた、虚像なのかもしれないと。



 眉ひとつ動かさずに、エルは問う。


「なるほど──この現し世は、お前の知る『架空の世界』だと?」


 わたしは静かに首肯した。



  兄を救い

  晴夏を導き

  ラシードを助け

  貴志に手を差し伸べるべき存在──


 それは、十年後の愛花のはずだった。



 わたしの心を読んだエルの表情が、少しずつ変化していく。



「ならば、真珠。彼等の『運命』は、あの子供ではなく、お前と結び直されたのだろう。今日出会った子供達の魂の輝きは、貴志や私と同じように、既にお前の手により塗り替えられていた。その理由が、今やっと、理解できた」



 エルの言わんとする内容を理解できず、わたしは首を傾げる。


「それって、どういうこと……?」


 『攻略対象』が愛花に出会ったならば、彼等は彼女に夢中になり、運命の相手を手に入れようとするものだと思っていた。そして、その考えは今も変わらない。


 わたしは愛花が彼等の前に現れるより以前に、たまたま手助けすることになった通りすがりの人間に過ぎない。

 彼等の人生と偶然隣り合わせになっただけの、幾らでも代わりのきく存在だ。



「自分で考えてみるといい。悪いが、敵に塩を送るような真似を選択すつるもりはない。私は貴志のように、優しくはないからな」



 混乱するわたしの心を置き去りにして、エルは話を進めていく。


「私があの子供に対して感じたことは、おおむねお前の考えと変わらない。異なる世界から訪れた魂が持つ性別──恐らくそれが、異性を惑わすと考えてよいだろう。その考えによれば、あの子供に関しては、お前のように男から傷つけられる心配はいらないだろう。ましてや、この世界に愛された存在であるというのであれば、尚のこと」


 愛花の身の安全についても懸念していたことだったため、わたしはエルの言葉を聞いて安堵の息を洩らす。


 わたしがホッとしたところで、エルは次の話題に切りかえるべく口を開いた。


「この話は、ここで区切りをつけよう。私にも分からないことが多すぎる。それに、お前が知りたかったことは、もうひとつあるのだろう? 時間もない。次はそれについて答えよう」


 これ以上この話を続けるつもりはないと告げたエルは、足を組み直し、ソファにもたれかかった。


 確かに質問はもうひとつあった。

 わたしは溜め息を落とし、先程のエルの言葉の真意に後ろ髪を引かれつつも仕方なく話題を変える。



「どうして『齋賀』を──優吾を選んだの?」


「お前は、不服そうだな」


 エルはそれだけ言うと、何かを企むような光を瞳に宿し、口角を上げた。


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