第309話 【真珠】『ズルい男』


 どうしよう。

 今度は「気まずいから」という理由ではなく、本当に怖くて貴志の目を見ることができない。


 そんなわたしに向かって、貴志は更に追い討ちをかける。


「真珠、人と話をするときは、顔を見るものだと習わなかったのか? それともお前は、そんなことも分からないほどの……赤ん坊なのか?」



 幼い『真珠』の「違うもん!」と言う抗議の声が出そうになり、わたしは両手で口を塞いだ。



 貴志の科白は、大人が子供を窘めるような口調だが、裏に隠された苛立ちは否応なく伝わってくる。

 けれど、残念なことに、貴志の機嫌の悪さを感じているのは、この場でわたしひとり──


 母と祖母は、実に呑気なものだ。


「あらあら? 真珠は貴志と一緒にいられるのがそんなに嬉しいのね。久しぶりに、いつもの天邪鬼あまのじゃくさんが顔を出したわ」


「本当に貴志が好きなのね。パパが泣いちゃうわ。でもね、そんな言い方をしたらいけないのよ」


 同じ部屋の中にいると言うのに、二人の周囲だけが何故か、ほのぼの異次元空間だ。

 わたしとは異なる、別の時間軸を生きているようで非常に羨ましい。


 女性陣に即反論したい。が、貴志からそこまで言われては、こやつめの顔を見ない訳にもいかない。


 わたしは緊張に頬を引き攣らせながら、おずおずと顔を上げる。

 震える思いの中、勇気を振り絞り、貴志の顔を視界に入れた。



 ──こ……これは!?



 わたしの戦慄のほどを、皆様にどうやってお伝えしたら良いのだろう。


 貴志の表情を強いて言葉で表現するとしたら、それは輝夜姫かぐやひめくやというキラキラしい満面の笑み──そう、わたしは、ものすごい極上の笑顔にて、コンニチハとお出迎えされてしまったのだ。


 貴志の最上級スマイルは、後光を背負いながらペカ〜ッと光輝いている。

 はっきり言って、ここまでのシロモノを、わたしは今だかつて拝んだことはない。



 本当に、まずい──相当なお怒り具合だ。



 鎮めることも叶わぬほど、貴志大明神サマが憤怒の空気を纏っておられる。


 ──逆らってはイカン!

 絶対にだ!


 そう判断したわたしは、目を泳がせつつも母の腕から離れ──貴志の隣へと、電光石火の勢いで移動した。

 変わり身の早さを誰に罵られようとも構わない。わたしとて命は惜しいのだ。


 わたしが彼の傍らに近づくや否や、貴志はこの身体をいつものごとくフワリと抱き上げる。


 「そうか、そうか」と口にしながら見せる彼の笑顔は、一見、慈愛に溢れる菩薩のように見える──のだが、その目はまったく笑っていない。



 だから──本気でコワイ!



「う……うん。えへへ……そうなの」


 何が「そうなの」かは、まったく理解不能だったが、そう言わないといけないような気がしたため、わたしは必死に言葉を絞り出す。ちなみに、震え声だ。



 貴志が悪戯を仕掛ける時のあの表情を見せた後、フッと相好を和ませた。



「母さん、美沙──悪いが、俺と真珠の夕飯はいらない。今から、ホテルに戻る。やるべき事ができた」



 へ!?

 なんですと!?

 今から?


 茫然とするわたしにはお構いなしで、大人たちの間で、話がどんどん纏まっていく。


「真珠も一緒にホテルへ連れて帰るなら、聖下とラシード殿下にも会わせた方がいい。今日の科博で、真珠はお二方に土産を購入したんだ。アルサラームの面々は、明日帰国予定だから、面会するなら今夜しかない。

 美沙──真珠がホテルに行くのなら、こいつが直接土産を手渡す方が非礼にならないだろう?」


 貴志の言葉に、美沙子ママが頬に手を当て、何かを計算している。


「そうね。警戒は必要だけど、『聖水』の件もあるし……礼を尽くしておいた方が吉……ね」


 母のゴーサインが、あっさり出てしまった。



 いや、ちょっと、待って。

 お土産については購入した際、貴志が届けてくれるということで話がついていたはず。それに、わたしがホテルに戻ることなど、ロイヤル兄弟は知る由もないではないか。


 そう思って口に出そうとしたのだが、貴志の眼光によって──わたしのお口は自発的にチャックと相なった。


 ナゼだ!?

 何故こんなことになってしまったのだ。


「そうと決まれば、すぐにホテルへ戻るぞ」


 貴志の言葉を受けて母は立ち上がり、わたしの荷物を準備するべく、居間から慌てて出ていった。


 残った祖母が、貴志の腕の中にいるわたしの頭を撫でる。


 お祖母さま、わたしをそちらの腕に呼んでください!──と、必死に瞳で訴えたが、やはりと言うか、まったく気づいてもらえなかった。無念すぎる。


「貴志。今夜は真珠のことをお願いするわ。こちらは、加奈さんの件をお父さんとお話して、説得を優先するから。あなたは明日の結納の準備を、先に進めていてもらえるかしら? 真珠の美容室の予約は、朝八時に入っているの」


 貴志が祖母の言葉に頷いた。



「心配しなくても大丈夫だ。今夜は真珠を──預かるよ」



 貴志に抱き上げられたまま、ホテルへ戻るため、二人して廊下へと出る。

 後ろ手で居間の扉を閉めた貴志は、先ほどから見せている笑顔につややかな光をのせて、わたしを見上げた。



「真珠──お仕置きの時間だ」



 わたしは項垂れながら、小さな声で「はい」と返答する。

 更には、「心得ております」などと粛々と付け加えてしまうくらいには、貴志に対して心理的服従をしている状態だったりもする。



 先程、貴志から感じたのは、言いようのない怒り。けれど今、彼からは何故か安堵したような息づかいを感じ、怪訝に思ったわたしは目の前の双眸をまじまじと覗き込む。


 貴志は、完全に怒っているものだとばかり思っていた──誰に対してと説明する必要もないだろうが、それは勿論、わたしに対して。

 昼食後からずっとコヤツを避け、ヒタスラ逃げ回っていたわたしの所業に、いたくご立腹の筈だ。



 彼の目を見ることが怖かった。けれど、その両目に捕らわれた瞬間──この心にわだかまっていた気まずさが、一気に霧散して行くのがわかった。


 それだけではない。

 胸の奥からは温かな感情が湧き、膨れ上がった想いが滔々とうとうと溢れ出していくのだから不思議だ。


 貴志もわたしの目を見て、同じ気持ちになった……のだろうか?


 彼の態度から感じていた苛立ちは既に消え、大切な宝物を見つめるような眼差しは、いつもの貴志と変わらない。



 急に気恥ずかしさを覚えはしたが、それと同時にもっと近くで貴志を感じたいと願ってしまったわたしは、彼の首に腕を回し強く抱きついた。


 腕の中の心地よさに安心したわたしの口は「ごめんなさい」という言葉を、自然と紡ぎ出す。涙声になってしまったのは、貴志への申し訳なさと羞恥心からだ。


 彼の口からホッとするような息が、こぼれ落ちた……ような気がした。


 貴志は今、どんな表情をしているのだろう?

 気になって、再び彼の瞳を覗き込もうとしたけれど、すぐにまた抱きしめられてしまった。



「真珠、今夜は──色々と、覚悟しておいた方がいい」



 貴志は耳元で囁くと、わたしを高い位置に持ち上げ、その色気のある微笑みを至近距離で見せる。

 こちらが赤面してしまうほどの魅惑の表情に、わたしの心臓がドキリと跳ね上がった。



          …



 わたしの脳内に存在するお花畑は、全面満開──八分咲きにて開花中。



 この時点での貴志の態度から「もしかしたら『お仕置き』回避もコンプリート?」──などと、迂闊にも安心してしまった己の思考回路の甘々ぶりが腹立たしくも、嘆かわしい。



 男女の駆け引きに関しては間違いなく、貴志の方が一枚も二枚も上手だということを思い知り──『ズルい男』だ──と、わたしがちょっと……いや、かなり拗ねることになるのは、今から数時間先の夜のこと。








【後書き】

執筆のモチベーションアップと中高生編に向けて、ビジュアルイメージを確認しておりました。

ご興味がございましたらpixivにて纏めてありますので、こちらにリンクを置かせていただきます。

https://www.pixiv.net/users/55410347



また、『みてみん』サイトには、頂戴したファンアートもございますので、こちらもシェアさせていただきます。

https://31720.mitemin.net/

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