第307話 【真珠】恋愛考察、自問自答


 様々な想いが渦巻き、嵐に見舞われた本日のわたしの乙女心。

 その中でも最大級の攻撃力をきかせてくれたのは、祖母からの先ほどの言葉だった。


 昨夜、祖父が月ヶ瀬家の真実を貴志に打ち明けた際、口にしていた科白を思い出す。

 『仕事では働く洞察力も、家族の前だと型なしだ』と本人が語っていた気がするのだが──あれは、謙遜さの表れではなく、まさかの真実!?


 『開いた口が塞がらない』とは、この事を言うのだろう。


 何故こうも、知りたくもない慣用句ばかりを、わたしは実地にて体験せねばならぬのか。誰か教えて欲しい──切実に。



 ソファにて頭を抱える貴志は、機嫌が悪いを通り越し、祖父の所業にいたくご立腹の模様。


 多分、祖父の件だけが原因ではない──いや、間違いなく、今日の昼食後からのわたしの態度も、貴志の気分を損ねる理由のひとつになっているのだろう。そこは予測できるというのに、貴志へのあらぬ誤解がとけた今も尚、わたしは彼と目を合わせていない。


 そう──愛花ういか登場に怯え、葵衣あおいの出現では貴志の心を信じ切れず、昼寝後には新たな恋敵出現かと不信感でいっぱいになっていた今日の自分。

 フラれる覚悟までしていたけれど、愛花を除いた諸々は、わたしの完全なる誤解が招いたことだった。


 貴志の気持ちを疑ってしまった後ろめたさから、彼の顔を直視できない有り様だ。


 世の恋人達は、こんなジェットコースターのような心の浮き沈みと隣り合わせの生活をしているのだろうか。


 これが日常茶飯事だとしたら、わたしに恋愛はハードルが高過ぎる。

 いや、ハードルどころではなく、そもそもわたしには恋愛自体が不向きなのかもしれない。



 貴志は、やはり魅力的な男性だ。

 それは、身内や恋人としての欲目ではなく、客観的な視点で捉えたとしても──。


 はっきり言って、恋愛若葉マークのわたしが向き合うにしてはハードモードの相手なのだと、改めて思い知らされることとなった本日。


 咲也をして『恋愛音痴』と言わしめたわたしが、貴志と一緒にいること自体が、既に奇跡に近いのかもしれない。



 誰にも渡したくないと、思うだけならば簡単だった。


 けれど、意気込みはあれど、いかんせん自分に自信のない状況では、すべては泡沫うたかたのようなもの。今日起きた一連の出来事で、それが証明されてしまった。


 「誰にも渡してなるものか!」という想いは、貴志から愛されているという安心感がなければ発揮できないのだ。


 あの根拠のない自信は、貴志の心次第で変化してしまう──脆い虚像のようなものだと分かっただけでも、収穫なのかもしれない。


 貴志から向けられる愛情に頼るだけでは駄目だ。

 彼から想い続けてもらうためには、自分も強くあらねばならない。自分に自信をつけなければいけないことに気づけたのだから、今は良しとするべきなのかもしれない。



 ──そもそも、わたしの魅力ってなんだろう?


 今まで考えたことなどなかったが、自分と向き合い、根拠に基づいた揺るぎない自信を持ちたい。


 相手の言動に一喜一憂するだけなんて、わたしらしくない。

 このままでは、最初から勝負で負けているようなものだ。


 強くありたい──と、そう願う自分がいる。



 果たして自分自身に、貴志を繋ぎとめられるだけの価値があるのだろうか?

 今は、問われても、即答できる物が何もない。


 強いて言えば、若さ?

 ──いや、若いどころではない。

 若過ぎだ。

 現状、この年齢は足枷であって、有利な点ではない。


 貴志は、わたしの何を気に入ってくれたのだろう?

 そこからして、まったく分からない。


 知りたい。

 貴志が、わたしを好きだと感じた理由を。


 でも、それを訊いてもいいのだろうか?


 いや──何を悩んでいるのだ。

 今までだって、分からないことは質問して、その都度解決してきたではないか!


 貴志に確認すればいいだけのことだ。

 でも、どんな言葉で問えばいいの?



 ──わたしの何処が好き?

 ──わたしを好ましく思う理由は何?

 ──わたしのことを今後も変わらず、好きだと言う根拠を述べよ?



 ……………………。




 ──いや。


 やはり、これは、なんとなくではあるが、直接訊ねてはいけないような……気がする。


 そう思えるようになったのは、わたしの恋愛経験値が多少なりとも成長したから……なのだろうか?



 貴志やエルに対して繰り広げた質問の数々と、彼等が答えに詰まった場面を思い出す。

 わたしの質問が直接的過ぎて、貴志を思考停止状態に追いやった記憶もチラホラとよみがえる。彼は、ものすごく困っていた。そして、何も答えてくれなかったことも、一度や二度ではなかったような……。



 質問しないことには答えは出ないのに、怖気づいて、尻込みしてしまうのは何故なのだろう。


 訊いて……いいの?

 それとも……いけないの?


 答えの出ない大きな疑問など、今までの人生で遭遇した経験がない。


 勉強でも、楽器でも、理解できないところを問えば、誰かが必ずヒントなり答えなりを教えてくれた。


 質問していいのか、悪いのか。

 そこからして判別がつかないなんて、まるで赤子のようだ。


 あまりの難解さに、わたしの中にあった常識がどんどん覆されていく。


 ──駄目だ。

 本当に、どうしたらいいのか分からない。


 知りたいと願う探究心さえも跳ね除けてしまう恋愛感情とは、なんと恐ろしい代物なのだろう。



 答えの出ないもどかしさが溜め息に変わったところ──母が「ちょっとごめんなさいね」と、わたしに断りを入れてからスマートフォンを取り出した。

 画面をのぞくと、父の秘書さん宛に連絡を入れていることが分かった。


 祖母も何やら電話をかけているようだ。会話の相手は、祖父の秘書さんだ。



 二人は貴志のお怒り具合に触れ、事態収拾を図るべく、祖父と父に連絡をとっている。


 女性陣二人の共通する目的は、祖父の行動の阻止!


 だが、残念なことに父も祖父も会議中。

 それぞれの秘書さんには会議終了後、自宅に連絡を入れてほしい旨を伝言するだけにとどまった。

 問題の完全なる終息には至らなかったことに不安を覚えるが、会議中では仕方がない。



「貴志──今、お父さんと誠一さんに伝言を残したわ。あまり早まった真似をするなと、わたしと美沙子から必ず伝えるから、とりあえずは安心してちょうだい」



 貴志本人が祖父に抗議をするよりも、祖母や母が対応した方が間違いなく上手くいくであろう案件だ。それは、わたしでも分かる。


 祖父と彼が直接対峙をしたら、拗れる可能性も否めない。それは誰も望んでいないことだと、貴志自身も理解しているのだろう。


 彼にとっては傍迷惑な気遣いであるけれど、祖父にとっては良かれと思って動いている親心。

 そこを分かっているからこそ、貴志も大人の対応を心掛け、自分が一歩引くことで祖父との関係を保とう努力しているのだ。


 怒り心頭にも関わらず激情を抑えようとする貴志の態度を、瞬時に理解した女性陣の対応も素早かった。

 やっと自宅に顔を見せるようになった貴志に心を配り、和解したばかりの祖父と貴志の仲を悪化させることのないよう、早急に行動に移す様は流石としか言いようがない。


 その迅速な対処方法からも、彼女達二人の必死さが垣間見られる。



 自らが動けない──いや、動かない方が良い、と判断を下した貴志は、歯がゆさの中にいるのだろう。


「母さんと美沙には悪いが、最優先で頼む」


 天井を見上げ、瞼を閉じた貴志は、再び嘆息した。




「ああ、でも……困ったわ」


 母がそう呟いてから、貴志に視線を向けた。


「本当はね、今夜、真珠とわたしだけ、先にホテルに移動して明日の結納に備える予定だったの。今日、部屋も押さえてきたんだけど、お父さまの説得を最優先にしたいから……貴志、代わりと言っては申し訳ないんだけど、真珠を連れてホテルに行ってもらうことは可能かしら? この子の美容室の予約が、明日の早朝なのよ──」


 ──へ!?


 今、なんと?

 いつの間に、そんなことになっていたのだ!


 そう言えば日中、母と祖母で結納準備のために外出していたことを思い出す。

 そこで、わたしと母の予定が組まれたのだろう。


 あれ?

 ちょっと待って。


 今、母は、わたしを貴志に預けようとしていなかったか?

 していた……よね?


 ──それって、貴志と二人きりになる、ということではないか!?



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