第278話 【真珠】兄からの助言


 優吾と、その秘書・東郷氏が込み入った仕事の話をしている間、わたしはラシードと共にその傍らで待機をする。


 焦燥に駆られはするが、エルの忠告が意味しているモノが分からない。『小さな嵐』が何であるのか理解せず、慌てて行動しても、下手を打つ可能性が高い。


 まずは貴志かエルに連絡をとりたいけれど、この子供の身では自由に動くこともままならない。


 わたしは動揺を抑えつつ、優吾と秘書の二人が話し終えるのを只管ひたすら待った。

 ようやく彼等の話に区切りがついたようで、叔父の元から秘書が離れた隙をつき、間髪入れずに声をかける。



「優吾くん! お願いします。スマートフォンを貸してください」



 わたしは必死の思いで、叔父に対して頭を下げた。

 今は優吾が苦手だなどと言って、避けている場合ではない。


 一刻も早く、貴志かエルのどちらか通話可能な状況にあるほうと連絡をとりたいのだ。


 彼らが戻ってくるまで待ち、その後で話を聞くことも出来るだろう。けれど、心が焦るのだ。これを虫の知らせとでも言うのかもしれない。


 わたしは自分の心が発する、不協和音にも似た警鐘を信じることにした。


 何かが起きている。それは間違いない。

 それも――わたしの知らぬ所で。


 必死の形相で優吾にしがみつくわたしを、叔父は腕組みしながら見下ろしている。


「真珠? 何をしでかすつもりだ?」


 優吾が試すような目で、わたしの顔を覗き込む。


 何と答えていいのか分からない。



 ただ――貴志のことが心配で、エルが口にした『小さな嵐』が気がかりだった。



 彼らの様子がわからない。だから、余計心配になるのかもしれない。


「分からない。でも、心がモヤモヤするの。何かが始まっているのかもしれないし、単なる思い過ごしなのかもしれない。でも――」


 優吾の指がわたしの唇に立てられ、言葉は途中で塞がれた。

 黙れ、ということなのかもしれない。


 どうしよう。

 このまま子供の戯言ざれごとだと一蹴され、優吾が相手にしてくれなければ――わたしには今、彼等にコンタクトする手段がないのだ。



「なんて顔をしているんだ。そういう心の声には、素直に従ったほうがいい――誰だ?」



 わたしのただならぬ雰囲気を汲み取った優吾は即座にスマートフォンを取り出し、顎をクイッと上げた。


「誰?」


 一瞬意味を取りあぐね、同じ言葉で優吾に問い返す。


「そうだ――誰に連絡を取りたい? 言ってみろ。優理香か? 穂高か? それとも――」


「貴志! 貴志に連絡してほしい! です」


 わたしは食いつくように、優吾に向かって懇願する。



「貴志の番号は、わたしのリュックにメモが入ってるから」


 メモを取り出そうとするわたしの動きを優吾が制した。


「その必要はない。交換した名刺に載っていたから、既に登録してある」


 素早い対応にお礼を伝えようとしたところ、優吾は耳元にスマートフォンを添え、貴志の番号に呼び出しをかけているようだ。


 けれど、何度かけ直しても留守番電話に切り替わってしまい通じない。

 もしかしたらマナーモードに設定されているため気づかないのかもしれない。


「貴志が通じなければ、エルに――聖下に、電話をかけてもらうことはできる? お願いします!」


 不安な気持ちを押し込め、優吾を見上げた。


「分かっている。今、聖下にもかけている」


 叔父は、貴志に次いで、エルにも連絡を入れていたようだ。

 けれど、こちらも複数回かけたが反応はない。


 電波の悪い場所に二人しているのかもしれないな、と優吾が呟く。



 そうこうしているうちに優吾のスマートフォンが鳴り響いた。



 貴志かエルのどちらかが不在着信に気付き、かけ直してくれたことを期待したのだけれど、電話の主は兄だった。



 わたしがさらわれたと、理香が相当心配しているとのことで、彼女を落ち着かせるために兄が優吾に連絡を入れたようだ。


「真珠、聖下たちと連絡がつかないから気が急くとは思うが、今は穂高と話してやれ。その後、また電話をかけるから」


 わたしは頷いて、優吾から渡されたスマートフォンを受け取り、その向こうにいる兄に話しかける。


「お兄さま?――はい、わたしです。ええ、今、こちらは優吾くんと秘書さんと、それからラシード殿下とご一緒しています。ええ……なので、理香には心配しないよう伝えてください」


 兄が少しの間、沈黙した。


『そう……、あの王子と一緒にいるの。貴志さんたちは、もうそこに着くのかな?』


 兄の声が急に冷たくなったような気がした。


 そういえば、入館待ちの列に並んでいる時、ラシードに突進されたわたしはアスファルトの上に倒されかけたのだ。

 妹があわや転倒し、怪我を負うところだったと知る兄だ。

 ラシードに対する心象は、あまり良くないのだろう。


「貴志達とはまだ……会えていません……」


 ラシードの兄王子であるエルが貴志から呼び出され、再度エルと合流するため待機している優吾達と共に、地球館入口付近にいる旨を伝える。同時に、貴志とエルの双方に連絡がつかない状況も、溜め息と共にこぼす。


『加奈さん達に連絡はしたの?』


 そうだ。加奈ちゃんだ。

 三人娘は今、貴志と一緒にいる筈だ。


 一縷いちるの望みがともりかけた。けれど――


「加奈ちゃん達の連絡先……今日は持っていなくて、分からないんです」


 以前『紅葉』でもらった加奈ちゃんたち三人の連絡先メモは、自宅に保管してある。

 まさか全員がバラバラになってしまうとは露ほども思わず、今日は生憎と持ち合わせていなかったのだ。



『じゃあ、今から優吾さんに画像添付するから、心配なら彼女達にも連絡してもらうといいよ』



 兄の言葉に、わたしは首を傾げた。



「お兄さま? 画像って?」



 わたしの質問に兄が『忘れちゃったかな?』と笑う。



『ほら〈天球〉の廊下――咲也さんの部屋の前で、貴志さんに三人の連絡先メモを写真に撮って送ったことがあったでしょう?』



 あ!

 そういえば――そんなことがあった。


 そうだ、確かあれは咲子姉さまに騙された『茶話会』の翌朝のことだ。



『心配なんでしょう? その画像、まだ僕のフォルダー内に残っているから、今から優吾さんに送るね。じゃあ、これで一旦通話は切るよ?』


「お兄さま、本当にありがとうございます!」



 兄からの助言に対し、わたしは感謝の気持ちを込めてお礼を口にした。



『うん――良かった。声が元気になったね。今、僕たちもそちらに向かっているから――後でね』



 兄の朗らかな声を耳にし、心に穏やかな風が吹いた。

 さざなみ立っていた胸のうちが凪ぎ、わたしは深呼吸をして冷静さを取り戻す。



 焦ったとしても、今、わたしに出来ることは殆どない。

 まずは出来ることをして、それで結局何も分からなければ、慌てず待つのが得策だ。



 通話を切った後、優吾にスマートフォンを返す。

 兄から画像ファイルがこれから送られてくるので、その写真に載る連絡先に電話を入れてもらいたいとお願いもする。


 優吾は了承すると共に、東郷氏を呼び、エルに連絡を入れるよう指示を出した。


 メッセージが届くまでの時間を無駄にせず、優吾は貴志に、東郷氏はエルに電話をかけてくれたようだが、どちらも結局繋がらない。


 電話をかけている間に、優吾のスマートフォンに兄からメッセージが届いたようだ。

 わたしはその写真に載る、加奈ちゃんの番号に電話をかけて欲しいとお願いをする。


 優吾が素早く番号を打ち込むと呼び出し音が洩れきこえてきた。そして、電話の向こうで何か動きがあったようだ。


「真珠、繋がったぞ」


 優吾がそっと教えてくれた。

 着信許可した加奈ちゃんに対して叔父は自分の身元を説明し、その後わたしに向かってスマートフォンを差し出した。


 優吾から電話を受け取り、わたしは耳元に当て、質問をする。


「もしもし、加奈ちゃん? 今そちらは、どうなっていますか?」


 ――と。



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