第265話 【真珠】攻防!
ラシードが何故ここに!?
訳がわからずにいたところ、青い目の王子さま――言っておくがわたしの心象ではない。彼は正真正銘の王子殿下なのだ――が、わたしの手を掴んでグイッと引き寄せる。
「ふぇっ!?」
相変わらずの馬鹿力め!
そう言おうとした瞬間、ラシードがわたしのこの極上ホッペにチュッと触れた――あろうことか、唇で。
人前で何をする! と母親役として苦言を呈さねばと口を開いたのだが、兄と晴夏の声によってその言葉はかき消されてしまう。
「真珠!?」
「シィ!」
彼らの手が左右から伸び、わたしをラシードからベリッと引き剥がした。
ラシードの唇がぶつかった頬に触れようと、わたしは右手を寄せたところ――その動きは兄の手によって封じられてしまう。
「そんなところを直接触ってはいけないよ、真珠――
兄は、にこやかに笑いながらハンカチを取り出すと、それを使ってラシードがぶつかった頬を優しくこすりはじめる。
もしかして虫除けスプレーの効果が落ちてしまうかもしれない。
もう一度、塗り直す必要があるだろうか?――と、心配するほど丹念に拭っているのが分かる。
ラシードが茫然とした表情を見せた後、兄と晴夏に向かって剣呑な眼差しを向ける。
「無礼者め! 真珠からその手を離せ! その者は、わたしと教皇聖下の未来の妃だ! お前たちが気安く触れて良い人間ではない!」
そう一喝すると、今度はラシードがわたしの服を手繰り寄せ、兄と晴夏の隣から彼の腕の中に再び移動させられる。
兄は呆気にとられたようだが、胸元にスッと手を置き、丁寧な口調でラシードに挨拶をはじめる。
「ラシード王子殿下でいらっしゃいますか? 初めてお目にかかります。わたしは真珠の兄――穂高と申します」
兄が煌めく王子スマイルを見せた。
本物の王子であるラシードの腕の中からわたしの手を取って救い出し、そのまま彼の後ろに立っていた晴夏に預ける。
晴夏がわたしの手を大切そうに握り、ラシードから遠ざけるような姿勢をとった。
「おお! そなたは真珠の兄上であったか。それは失礼を。真珠の兄ということは、わたしの将来の兄上も
「いえ、それは違います」
ラシードの言葉を遮る形で、兄が否定の言葉を口にする。
「ん? どういうことだ?」
兄の背中から黒いオーラのようなものが立ちのぼっているような気がするのは、この日差しにより網膜辺りが何らかの異常をきたし始めた証拠なのかもしれない。
目を何度も
本気で目が、まずいやもしれん。
「申し訳ありませんが、真珠には婚約者がおりますので、アルサラームへ嫁ぐことは、
何故か『未来永劫』の部分が、語気強く発せられ、ラシードはピシリと固まった。
「待て! 婚約者!? 真珠? それは本当か? わたしはそんな話、一度も耳にした事はないぞ!」
それは、勿論ないだろう。
突貫工事のように一昨日、突然充てがわれた婚約者なのだから。
わたしが、どう答えたものかと逡巡した隙に、ラシードが晴夏の手を取った。
「まさか――お前か!? お前が真珠の婚約者なのか? なるほど、男にしておくのは勿体ない美しさだ。だが――」
ラシードが何かを言いかけたところ、晴夏はビシッとラシードの手を容赦なく振り払った。
その表情は、相変わらず氷の王子――いや、何故か氷の魔王のように見える。
あんなに蒸し暑かったはずなのに冷気を感じるとは、わたしの肌はこの猛暑により機能不全に陥ってしまったのかもしれない。
「真珠! 婚約者とは誰だ? この者か? それともわたしの知らない人間? それならば、その者にはおとなしく消えて――」
「――貴志だよ。シード」
エルの声がどこからともなく聞こえて、婚約者情報はあっさりと暴露された。
――というか、今、ものすごく不穏な科白がラシードの口から飛び出しかけた気がするのだが、あれは幻聴だったのだろうか。
目と肌に続き、わたしの耳もどうにかなってしまったようだ。
まずい、音楽家は聴覚が命なのに。
ラシードは、エルの言葉で貴志が婚約者だとわかると、何故かホッと安堵の息をもらした。
「ああ、なんだ。そうか! 貴志なのだな! 先日わたしが提案した一妻多夫制を真珠が受け入れたということか! うむ、わかった! 婚約者が貴志であるなら、何も問題はない。この前話したように、順番に子供を生んでくれるんだな!」
嗚呼、ラシードよ。
お前のなんと無邪気なことか。
わたしはクラリと目眩を覚え、倒れそうになった。が、晴夏が手を引き、兄も瞬時に反応して支えてくれた。
兄は今まで見せたことのないほど凄みのある笑顔をラシードに返すと、とんでもないことを言い出した。
「ラシード殿下、そのような関係を妹に強要するのであれば、父は妹を嫁がせることなど絶対に許可しないでしょう。それならば、わたしが真珠と結婚した方が、まだマシです」
兄が静かに怒っている。
妹の――女性としての尊厳を守ろうと、戦ってくれているのだ。
が、ラシードにはその怒りの理由が分かっていない。
何故ならば、ラシードは子作りの何たるかすら知らないお子さまだから。
みんなで仲良しこよしをするとしか、理解していないはずだ。
この事態をどう収拾つけるべきなのかと頭を抱え、既にわたしは涙目だ。
その後も、ラシードvs.兄と晴夏の戦いにより、あっちに引っ張られ、こっちに引っ張られして、色々なモノがガリガリと削られていく。
貴志に助けを求めようとしたけれど、駄目だった。
あやつめは、既に理香におちょくられ、何とも可哀想な状況に陥っていたのである。
大人女子の理香は、既に爆笑中。
「へぇ〜、婚約したのぉ〜。会わないこの短期間で、何やら楽しい事件が起きていたようね。ご愁傷さま、た・か・し!」
嬉々とした理香の声が響き、咲也も何やら貴志に対して物申している。
二人の面倒臭い輩に絡まれ、貴志はゲンナリした顔で対応中だ。
溜め息をつきながら、『太陽と月の間』にて、エルから聞いた言葉を思い出す。
もう一度、日本滞在中に会えるだろうと言っていたのは、このことだったのか。
そう言えばホテルでも、ラシードが留守番をする褒美にどこぞの取引先の人だか社長さんだかが、博物館に連れていってくれることになっているんだ、と話していたではないか。
それが、まさか今日で、しかも科博だったとは!?
予想だにできなかったわたしだ。
そうだ!
エルは?
エルはどこだ!?
この状況を救ってくれるのは、彼しかいない!
そう思ってその姿を探す。
いた!――が、公園寄りの木陰で涼みながら腕組みをして、この遣り取りを非常に楽しそうな様子で見学中ときた。
どうやら助けてくれる気は、さらさら無いようだ。
「聖下、殿下、準備が整いましたので、どうぞこちらに」
聞き覚えのある男性の声が、突然乱入して来た。
声が届いた方角に目を向けたけれど、その男性と太陽の位置が重なってしまい顔が良く見えない。
でも、この声――どこかで聞いたことがある。
どこでだったか?
わたしは首を傾げながら、その人物が近づいてくる姿をじっと見つめた。
その男性は、何故かピタリと歩みを止めた。
まるで何かに驚いているとでも言いたげな動作だ。
どうしたのだろう?
そう思っていたところ、急に先程の声音とは違う、少し砕けた口調の声が耳に届いた。
「穂高に……そっちは、真珠か!? こんな所で何をやっているんだ、お前たちは」
その男性が、兄とわたしの名前を呼んだ。
「へ!?」
眩しくて、おまけに逆光になっているため、相変わらずその男の顔が判別できない。
わたしは兄と顔を見合わせた。
兄も訝しげな表情になっている。
――お前は一体、誰なのだ!?
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