第256話 【幕間・真珠】帰還


「貴志、穂高、真珠――素晴らしい演奏を……ありがとう」



 祖母に抱きしめられたままの態勢で、祖父は声を絞り出し、感謝の言葉を口にのせた。



「儂はな、両親を尊敬していたんだ――彼等の子であることが、どれほど誇らしかったか……だから、血の繋がりの薄さを知った時の衝撃は……言葉では言い表せなかった」



 祖父は涙を拭うと、その表情を清々しいものへと変える。



「儂が真実を知ってからも、両親も弟も変わらずに接し……愛してくれた。結局は、自分だけが無い物ねだりで、血の繋がりに固執していたんだ」



 祖父が祖母の手に軽く触れ、もう大丈夫だ、と優しくたたく。


 いつもは気丈な祖母が、気遣わしげな表情を見せながら、祖父を抱きしめていた腕をゆっくりとほどいていった。


 祖父は「ありがとう。千尋」と伝えると、貴志の両目を真っ直ぐ見つめる。



「だがな、貴志。血のこだわりに頓着とんちゃくしないとは言え、お前はやはり『月ヶ瀬』だ。お前の生き様は正幸にそっくりで、血は争えないと心底思ったよ。例え、お前が『葛城』の姓を名乗ろうとも、その身体に流れる血は、儂が愛してやまなかった――儂の家族の血を、間違いなく受け継いでいる――その事実は、今も、これからも変わらない」



 祖父の言葉のあと、涙声の祖母が口を開いた。



「それだけじゃありませんよ。正幸さんにも多貴子にも勿論似ているけれど――頑固で融通が効かないところなんて、この人に本当にソックリ」



 祖母は、祖父と貴志を交互に見つめると、その目を細めた。



「貴志、わたしたちはね、あなたのことを実の子だと思って育ててきたの。だから、お父さんがあなたに真実を話せなかった気持ちは理解できるわ。それに……わたしが余計な事をしてしまったこと……謝らせてちょうだい。お父さんから貴志あなたを隠したことで、結果的に二人に辛い思いをさせてしまった――本当に……申し訳なかったわ」



 祖母が、祖父と貴志に頭を下げて謝罪する。



「いや、千尋、そんなことはない。もし、儂が貴志を見つけ出していたら、こいつの首根っこを捕まえてでも連れ戻していたはずだ。そんな事をしたら、儂らの関係は完全に修復できなくなっていたかもしれん――……不思議だな、仕事ではいくらでも自制がきくのに、家族に対してだけは、どうしても……感情が先走ってしまうんだ。これは一種の……甘え、なのだろうな」



 祖父は貴志に手を伸ばすと、その身体を抱きしめた。


 父親からの抱擁を受け入れた貴志は少しの戸惑いを見せたが、暫くするとその表情を柔らかなものへと変える。


 祖父が貴志の背中を優しく叩く――まるで幼子をあやすような仕草だ。




 「本当に、大きくなったな――


  お前に真実を伝えることができて、


    儂は救われた――



     ……おかえり……貴志



   帰ってきてくれて……ありがとう」




 貴志は祖父の背に腕を回すと、過去相容れなかった筈の父親を、そっと抱きしめ返した。

 その態度で、祖父の科白を受け入れたことが伝わる。




 「本当の意味で、今やっと


  この家に、帰って来ることができた――

 

  ……そんな気がします。



     ただいま……父さん――――」




 掠れた声音で、貴志が伝えた帰還の言の葉に、祖父は安堵したのか微笑を浮かべる。



 すべてのわだかまりがお互いの中で溶けたのか否かは、わたしには判らない。


 けれど、ここから、新たな親子関係が二人の間に築かれて行くだろうことは、誰の目にも容易に想像できた。



 祖父から身体を離した貴志が、今度は何故かわたしの名前を呼ぶ。



「真珠――」



 手招きされ、わたしは貴志に近づき、その顔を見上げた。


 どうしてこの場に呼ばれたのか理解できず、わたしは首を傾げるばかり。




「浅草寺で、真珠に会わなければ――おそらく、この家の敷居を跨ぐことは……二度となかったでしょう。お礼なら彼女に――真珠に、伝えてください」



 そうだった――『この音』本来の定められた運命では、あと十年。貴志は父親と会うことも和解することもせず、苦しい日々を送り、祖父もまた、この大きな秘密を一人で抱えて生きていたのだろう。


 わたしが変えてしまった、彼ら本来の、あるべき筈だった人生。


 これで、良かったのだろうか?


 ――いや、これで良かったと、これから先の未来で思えるようにしたい。



 祖父がわたしの頭を、ゴツゴツした大きな手で撫でる。



「お前達が互いを知らずに出会っていたこと――千尋から聞き及んでいる。真珠、貴志をこの家に導いてくれて……ありがとう」



 わたしはどう反応して良いのか分からず、祖父と貴志の様子を黙って見つめた。



 ――ああ、そうだ。


 これを伝えたら、祖父は喜ぶだろうか。



 わたしは思いついた言葉を、祖父に伝えることにした。


 それは、将来的に、わたしが最も望むことでもあったから。



「お祖父さま――わたしが大きくなった時、もしも貴志が……わたしのことを好きでいてくれたら……わたしが貴志の――月ヶ瀬の直系の子供を生みます。だから、安心してくださいね」



 血にはこだらないとは言ってはいたが、長年祖父の心をさいなんできた事実には変わりはない。



 祖父の孫であるわたしと、月ヶ瀬直系である貴志の子供が生まれ、その中の誰かが月ヶ瀬グループの事業を担うことになれば、祖父はきっと喜んでくれるのではないか――そう思ったのだ。





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