第242話 【閑話・真珠】納涼花火会へ! 前編


「やっぱり、こっちかしら?」


 病院から戻ってきた母が子供用の浴衣を手に、何色がわたしの顔に映えるのかと念入りに確認中だ。





 わたしの頭は未だ働かず、気怠さの中でされるがままになっている。


 母の帰宅時、わたしは穂高兄さまと晴夏と一緒に、今夜の納涼花火会に備えて和室で昼寝をしていた。

 けれど、午前中に惰眠を貪り過ぎたのか一向に眠れず、穂高兄さまと晴夏の寝顔を見つめて時間潰しにゴロゴロしていたのだ。

 横になっていたせいなのか、身体が重い。


 結局眠れなかったけれど、兄と晴夏と共に起こされ、男女に別れて浴衣選びが始まり、今に至る。





 去年は何を着たのだっけ?


 ああ、そうだ。

 たしか、紺地に白い流水紋が描かれ、その上を赤い金魚が泳ぐデザインの浴衣だった筈。朱色の兵児へこ帯がフワフワと可愛らしく、上機嫌で祖母に着付けてもらった記憶がある。



 今年もその浴衣を着るつもりでいたけれど、父が新たに購入していたものと母が子供の頃に着ていた揃えが何枚かあったので、目の前には色とりどりの浴衣が並んでいた。


 特にこだわりはなかったので、去年少し大きめだった金魚の浴衣に手を伸ばす。これならば今年は大きさも丁度良さそうだ。


 肩上げも腰上げの手間もなく、そのまま着られるだろうと判断し、それを母に手渡す。


「金魚がいいの?」


 母から問われ、わたしはコクリと頷いた。



 その浴衣を手に取った母が、わたしの肩にその浴衣をかけると少し距離をとり、遠目に確認する。


 離れた位置から眺める彼女は、何故か「うーん」とうなりはじめた。



 ちょうどその時、ドアを叩く音が届いた。

 「開けるぞ」との声にあわせて紅子が室内に現れる。



「美沙子、どうだ? 真珠の浴衣は決まったか? 男どもの浴衣は、ちーちゃんがとっとと決めて、木嶋さんと二人で着付けに入ったぞ」


 ちーちゃん――祖母の月ケ瀬千尋のことを言っているようだ。


「もう三人分決めたの? 流石お母さま。仕事が早いわね。そうだ紅子、いいところに来てくれたわ。ちょっとこれ、見てくれる?」


 そう言ってわたしの肩に掛けられた浴衣を指差す。


「金魚柄か? 可愛いが……なんと言うか……真珠の印象とはチグハグだな」


 紅子が渋い顔を見せた。

 母も、紅子の言葉を受けて首肯する。



「そうなのよ。これを着たいって言うんだけど、最近、この子ったら急に様子が変わったから、しっくりこなくて……」



 母の言葉に紅子が腕組みをしながら、並ぶ浴衣を確認する。


「そうだな……真珠の雰囲気からすると、こっちの色の方がいいんじゃないか?」



 紅子が手に取ったのは、淡い水色に薄っすらと白い地紋が浮きあがるデザイン。



白縹しろはなだ……少し背伸びし過ぎじゃないかしら?」


 母が頬に手を当て、逡巡しゅんじゅんしている。


紫陽花あじさいの模様に薄紅も入っているから、可愛らしさも残っているし、大丈夫だろう? 当ててみたらどうだ?」


 紅子の提案に、母が「それもそうね」と言って、その浴衣をわたしの肩に載せた。


 その間に、紅子がの入った帯を準備しているようだ。


「あら? これは……いいわね。真珠、この紫陽花の浴衣のほうが似合うから、金魚さんの柄じゃなくて、こっちでもいいかしら?」


 母に問われたわたしは、再びコクリと頷いた。


 母と紅子が似合うというのであれば、この浴衣を着ようと思ったのだ。



 帯は純白。陰になる部分が月白げっぱく色になり、細かな皺も美しい。


 白縹色の浴衣に合わせると、神秘的で涼し気な色合わせに見えた。



 母が着付けをしてくれる間に、紅子が髪飾りを選別する。

 彼女が選んだのは、紫陽花の小花が散りばめられ、葉をかたどった飾りが無造作に垂れ下がった大人びたかんざしだった。


 付けこなせるのか心配になったけれど、二人の手腕により、それはアップにした髪を見事華やかに装飾してくれた。


 去年着た浴衣のイメージとはだいぶ違って、可愛らしいというよりは清楚に映る。


 もしかしたら、皆が褒めてくれるかもしれない。

 そんな期待に、頬が緩んでしまう。


 着付けが完了し、母と紅子が並べられた浴衣を片づけている間に、わたしは男性陣の浴衣姿を確認することにした。




 居間には男物と男児用の浴衣が何枚も並べられていたが、木嶋さんの手によって片づけの真っ最中だった。


 祖母は奥の和室で、貴志の着付けをしているとのこと。


 兄と晴夏は既に浴衣を着て、椅子に座っている。


 兄は乳白色の地に、藤色と若草色の模様の描かれた明るい色合いの浴衣を身に着け、彼の持つ雰囲気にふさわしい装いだった。


 晴夏は、落ち着いた薄藍に決まったようで、こちらもとても似合っている。和装の晴夏は、更に静謐さを纒い、その美人顔は男の子でも惚れてしまうかもしれない麗しさだ。



 浴衣を着たわたしが部屋を覗いていることに気づいた兄が、何故か驚く。


「え? あ……れ? 真……珠……!?」


 兄はそう言ったきり、わたしを見つめたまま動かなくなってしまった。


「……シィ……」


 晴夏もわたしの名前を呼んだのち、一言も発することなくこちらを凝視し続けている。



 二人揃って氷のように固まってしまったので、わたしは不安になり、自分の浴衣を確認する。


 どこか着崩れてしまったのかと心配になり、全身を隈なく視認する――が、おかしい。どこも変な箇所は見当たらない。


 けれど、兄も晴夏も、ただただ茫然としているだけだ。


 自分では割と似合っているのではいか、と思っていたけれど、彼等の美的感覚からは遠く離れているのだろうか。


 きっと似合わないのに嬉しそうにしているわたしを憐れんで、褒める言葉も見つけられず戸惑っているのかもしれない。


 それもそうだ。

 兄と晴夏の美少年ぶりは規格外。



 常日頃、自分たちの顔を見慣れている彼等にとって、わたしのような地味子を見て感動しろと言う方が、所詮無理があるのだ。



 浴衣を着て華やかになったつもりだったけれど、そう感じていたのは自分ばかりだったようだ。



 自意識過剰が恥ずかしくなり、穴があったら入りたい気分になる。

 褒めてもらおう計画は早々に諦め、気持ちを取り直す方向に持っていくが、落胆は否めない。


 けれど、その気持ちを悟らせまいと、わたしは笑顔を張り付けた。

 お情けで、慰め混じりの賛辞をもらうことほど惨めなことはないからだ。



 必死に口角を上げていたところ、背後に人の気配を感じ、祖母の声が室内に響いた。



「真珠? あら、とっても素敵! わたしにも、よく見せてちょうだい」



 着付けを終えた貴志と共に、祖母が戻ってきたようだ。





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