第241話 【閑話・酒田加奈子】『紅子タン』と『チェロ王子』と『美幼女』と 後編
「あの美幼女は危険だ」
兄の呟きに、わたしは首を傾げた。
「お兄ちゃん? どういうこと?」
わたしが問うと、兄はハッと息を呑んで、慌てて話題を変えようとする。
「とにかく、加奈――いいか? この『チェロ王子』には気をつけろ! 男もイケる口らしいから、節操のない人間なのかもしれない。お兄ちゃんはな、危機管理能力の低いお前が心配なんだ!」
本人にそのつもりはないかもしれないけど、さりげなくディスられたのかな?
ムッとしたけど、兄なりにわたしのことを気にかけてくれていることは分かった。
そんな心配は無用なのにと思いつつ、またまた気になる言葉が兄のセリフに登場していたので訊ねることにする。
「男もイケる口って、ナニソレ?」
兄は「うむ」と頷いて腕組みをする。
「俺の紅子タンを弄んだ彼奴は、市川
うっかり葛城さんのことを肯定しかけたことに気づいたのか、兄は発した言葉を無理やり否定形に持ち込もうとしたみたいだ。
たしかに、葛城さんはどこにいても、どんな格好をしていても、老若男女の区別なく羨望の眼差しを浴びていたことを思い出す。
それよりも、また気になる人物名登場だ。
今度は市川綾之丞?――たしか『六代目綾サマ』と呼ばれているイケメン俳優……あれ? 歌舞伎役者だったっけ?
そうだ!
未知留の母親が大ファンで、時折追っかけをしているという役者さんだ。
もしその噂が未知留ママの耳に入っていたならば、今頃は大騒ぎになっているかもしれない。
そして、葛城さんは紅子タンに続き綾サマとも交流があるのかと驚きを隠せない。
生きる世界が違うのだなと納得しつつ、わたしは葛城さんの擁護にまわる。
「葛城さんは真珠ちゃんを守る清廉潔白な黒騎士サマだから、きっと何かの間違いだよ。お兄ちゃんの仕入れた噂は、わたしが知ってる葛城さんの守護騎士のイメージからは程遠いよ」
『鬼押し出し園』での葛城さんは穏やかな態度を見せながらも、時々抜身の剣のような雰囲気を纏わせ、真珠ちゃんをガードしていた。
そして『紅葉』では包容力を見せる大人の紳士で、どちらかというと気配りの人だった。
たしかに一見、華やかな外見が目を引くため、その見てくれに騙されそうになるけれど、葛城さんはとても実直な人じゃないかな、と思うのだ。
それは先日の『愛人疑惑』の話題が出た後で、瑠璃と未知留とも話あって一致した意見だ。
中身を知らない世間様の噂話って、こんなにアテにならないものなんだなと感じ、葛城さんの今までの苦労がしのばれた。
「彼奴が守護騎士? あの美幼女の? いや……言い得て
兄がブツブツと呟いたかと思ったら、割と真摯な表情をわたしに向けた。
「だけど、あの美幼女はマズイ。あの幼さでアレは相当ヤバい。加奈、お前、あの美幼女と本当に出かけるのか?」
わたしは頷いた。
そして、美幼女って呼ぶのをいい加減やめてほしいとも思っている。
兄はその後も「ヤバい、マズい」を繰り返す。
確かに、真珠ちゃんのあの可愛さが「ヤバい」のはよく分かる。
でも、兄が紅子タン以外にこんなに反応するなんてとても珍しいことなので、一応妹として「ヤバいって何が?」と訊いてあげることにした。
上から目線になってしまったけど、そこは許してほしい。
「あの美幼女が妹だったら、目を離すのが不安で、外にも出せない。あれは――とてつもなく、ヤバい生き物だ」
たしかに、とてつもなく可愛い生き物だとは思うけれど、ヤバいというほどの危険さは感じられない。
わたしは、兄が何を言いたいのか、まったく理解できなかった。
だけど、兄の言動の不可解さは今に始まったことではないので「そっか、じゃあ、わたしが妹で良かったね」とだけ伝えることにした。
「あの
そもそも、清算するような関係すらないのでは?――と思うが、面倒なことになりそうなので、そこは黙っておく。
兄は何を考えているのか、再び遠い目になった。
「お兄ちゃん? 真珠ちゃんがヤバいって、何のことを言っているのか、まったく分からないんだけど……」
わたしがジト目で兄を見ると、兄が何故か悟ったような表情を見せる。
「女には分からないかもしれないが、男の本能が感じる勘てやつだ。あの美幼女は――かなりマズい。あの王子も相当翻弄されているに違いない」
兄は何故か少し溜飲が下がったようで、葛城さんのことを『彼奴』呼びから『王子』呼びに変えていた。おそらく無意識のうちに。
わたしは「ふぅ~ん?」と気の抜けた返事をする。
「俺の確かな情報筋によると、この美幼女とチェロ王子――婚約中らしいぞ? 金持ちの考える事は分からんが、美幼女の手綱代わりに使われたんだろうな。チェロ王子、哀れなり」
「え!?」
兄が独り言のようにボソボソ喋った後半の内容は聞こえなかったけれど、前半はばっちり聞こえた。
婚約???
真珠ちゃんと葛城さんが???
驚いたけれど、そこでハッと思い出す――兄の言う確かな情報筋がまったくアテにならないことを。
これは、きっと、兄通常仕様の眉唾ネタに違いない!――……よね?
いや、でも――大人びた真珠ちゃんと、そんな彼女を対等に扱っていた葛城さん。
外見年齢こそ離れているけれど、中身的にはお似合いな気もして、それもアリなんじゃないかな、と思ってしまえるから不思議だ。
わたしは二人の将来を想像して、うふふと笑う。
「おい、加奈。呑気に笑ってるなよ。あの美幼女と一緒に出かけるなら、大人が誰か必ず傍にいるようにしろよ。変な輩に誘拐でもされたら一大事だからな。お前もしっかり年長者として保護者役をこなせよ」
兄がわたしの頭をポンポンと撫でるように叩いた。
「うん。そうする。心配してくれてありがとう」
わたしに任せて、と右腕に力瘤を作って見せる。
兄は、わたしのあるかどうかわからない程度の筋肉を人差し指で突っついた。
「頼りないんだよな――加奈は。とにかく、気を付けて行って来いよ。瑠璃ちゃんと未知留ちゃんにもよろしくな。じゃあ、俺、もうバイトに出かけるから」
「え? もう、そんな時間?」
兄が食卓から立ち上がるのにあわせて、わたしも自室に戻るため席を立った。
居間から玄関を通り、そのままバイトにでかける兄を折角だから見送ろうと、彼が靴を履く間そこに待機する。
玄関の扉に手をかけた兄が振り返り、重要なことだが、と前置きをし、畏まった態度で咳ばらいをした。
「言っておくが、俺は年上の――所謂紅子タンのような女性が好きなのであって、年下の……しかも、あんな幼女に色々と搾り取られそうになったことは絶対にないからな!」
「は? 意味が分からないんだけど……お兄ちゃん?」
脈絡が読めずに、非常に困惑する。
まるで身の潔白を宣言するかのような態度で言い訳しているようにも聞こえるけど、何故こんなに必死の形相なのだろう?
「美幼女のあの雰囲気をヤバいと言いはしたが、俺は断じて、ロリコンじゃないぞ! 絶対にだ! 本当に……末恐ろしい……あれは、幼女の皮を被った『女』だ」
兄は何故か「クワバラ、桑原」と唱えながら玄関を出ていった。
取り残されたわたしは、首を傾げるしかなかった。
「お兄ちゃんは、いったい何を言いたかったんだろう?」
考えようとしたけれど、兄の言動のおかしさは今に始まったことではない安定の通常モードだ。
「ま、いっか」
訳のわからない兄の言葉よりも、今は真珠ちゃんとの楽しい楽しい科博デートを想像しよう。
わたしは背伸びをしてから、足取りも軽く、自室へと向かった。
火曜日は、いよいよ真珠ちゃんとの再会だ!
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