第226話 【真珠】太陽と月の間


 身動きがとれない。


 一人で立つことが出来ずにいたわたしを、エルはその腕で支えるように抱きしめてくれた。


 腰の感覚が戻り始め、わたしは彼に声をかける。

 多少ふらつくかもしれないが、いつまでもエルに抱えてもらうわけにはいかない。


 今のわたしは子供サイズではなく、大人の姿をしているのだ。

 きっと、かなり重いのではないかと不安にもなる。


「エル──支えてくれてありがとう。もう、大丈夫だと思う。一人で立てる……多分」


 その言葉を受けて彼はゆっくりと離れていく。

 わたしに支えが必要か否かを判断しているようだ。


「もう……大丈夫そうだな」


 名残惜しそうな眼差しを見せた彼に、どう反応して良いのか分からず、沈黙が訪れる。


 なんとなく気まずい。


 エルは何を考えているのだろう。

 思案するような表情で、わたしの様子を確認している。


「しかし、お前のその『欲』はどうしたものか……貴志に昇華してもらうのが一番だと思うが、此処から戻ったところで、生身の身体は幼子ときた……」


 そう言って、エルが深い溜め息をつく。


「お前の中には昨夜からの『欲』が残っている。そのままの状態でいるのは危険だ。私がこの場で昇華させることもできるが、それはお互いに望まぬ解決方法──……仕方がない。試したことはないが、気の通り道に刺激を与えるか……?」


 眉間に皺を寄せたエルは、わたしの背後に回る。


「エル? 何をするの? 実験するの? わたしで?」


 試したことはないが──という科白が引っかかり、不安を覚えたわたしは慌てて首だけエルに向けた。



「心配するな。気の流れに沿って、お前の中に溜まった『欲』を解き放つだけだ。触れるぞ──これで、少しは楽になる筈だ」



 エルの掌が仙骨に置かれる。

 触れた部分から熱が伝わり、あたたかな温もりが広がった。


 ホッとするような感覚に安心しかけたところ、それは突然熱さをたぎらせ、身体の中に割り入るように忍び込む。


 突き上げるような熱の槍が秘せられた最奥を襲い、痺れにも似た感覚が身体の中心を駆け抜けた。


 慌てて口元をおさえ、洩れ出ずる声を必死に堪える。


「……ぅ……ふ……あ……やぁ……」


 言葉にならない声の連なり──意味をなさない音が口から洩れる。


 前のめりになって倒れそうになったところを、慌てたような様子でエルの腕が伸び、背後からわたしを抱き留めた。



 身体がジワリと汗ばみ、呼吸が乱れ、思考が追いつかない。


 

 ──これは一体何だろう。



 甘美な渦に巻き込まれ、意識さえも溶かされる。



 快楽の泉で溺れまいと、わたしはエルの腕に必死にしがみついた。



 瞳が潤み、頬が火照る。

 この熱を胎内から逃したい。


 けれど、この顔を見せることは何故かはばかられ、わたしは咄嗟に顔を隠した。


 腰にまわされたエルの腕に力が込められる。

 


「加減の判断を誤ったようだ……ここまで反応するとは……すまなかった……」


 首筋にエルの顔が埋められ、振り向くことができない。


「エル……や……、そこで囁かないで……もっと……おかしくなる……」


 息も絶え絶えに、懇願する。



「こちらを向くな……今、お前の顔を見たら……自分に自信が持てない。……早く、あいつの所に戻れ──私が自制できている間に」



 エルの声に艶が混じり、吐息に熱が含まれる。

 わたしの身体に絡みつく、その腕の力が更に強くなる。



 身体が言うことをきかない。

 わたしは荒い呼吸を繰り返し、とうとう再び一人で立つことも適わず、彼に身を任せるように後ろに倒れ込んだ。



 頭の芯が痺れて、何も考えられない。

 乱れた呼吸で、必死に言葉を紡ぐ。



「……戻る? どう……やって? も……駄目……暫く、動けそうも……ない……」



 抱きとめられた姿勢で見上げると、エルの黒い瞳と視線が交わった。


 エルの喉がヒュッと音をたてる。


 彼の秀麗な顔が、わたしに近づき、囚われたようにその瞳から目が離せない。



 エルの唇がわたしの口を塞ごうとしたような気がして、身じろぎもできずに目を見張った。



 けれど、それは気のせいだったのか、吐息を洩らしたエルは突然わたしを横抱きにした後、覆いかぶさるようにしてこの身体を横たえる。




 薄絹の上から頬に触れた大きな手は温かく、そして──震えていた。




 気づくと、太陽と月しかなかったこの空間に、大きなベッドが現れ、わたしはそこに沈んでいく。



「お前のこの姿で求められて、何もしなかった貴志には恐れ入る──ここで……寝ていろ。起こしてもらえるように、あいつに伝えておく」



 熱を宿した眼差しと、焦れたような声音でそれだけ告げると、彼はわたしから離れて行こうとする。



「エル? どこに行くの?」



 見知らぬ空間でひとりぼっちになることを考えると、心許ない気持ちになった。


 彼の服を軽く引っ張り、不安げに見上げるたところ、エルは聖布の上からわたしの胸元に触れた。



「安心しろ──お前の望む相手が、起こしてくれる……このまま共にいたら、本当に間違いが起きる。貴志を裏切りたくない。そして、何よりも……お前に無理強いをしたくない。

 頼む……もう、目を閉じてくれ。私もかなり……我慢の限界なんだ」



 エルのかすれた声が聞こえるが、思考に靄がかかり、まったく理解できない。


 蕩けた眼差しでエルの姿を追うと、彼は手の甲を口元に当て、呼吸を整えていた。


 遠くなる意識の中、わたしはエルに問う。


「また会える──そう言ったのは、この夢の中でのこと?」


 そうであるのならば、最後の挨拶をしなくてはいけない。


「いや──現実世界の話だ。もしも、此処──『太陽と月の』で私に会う必要ができた時は、目を閉じて──心の中で真名を呼べ──次は、私の中に迷い込むのではなく、私がお前を訪ねる。だから……今は、眠れ」


 わたしは、ゆっくりと目を閉じた。


 エルの唇が聖布越しの瞼に触れると、意識は更に深く深く潜り始める。



 昨夜から自分を苦しめていた『欲』の塊は消え、清々しい感覚が久方ぶりに訪れていたことに気づいた。



 わたしはホッと胸を撫で下ろす。


「エル……ありがとう……」


 既に彼はこの空間から去ったのか、それに対する返答はなかった。




      …



「……じゅ、真珠。大丈夫か?」


 貴志の声が耳に届くと、唐突に意識が浮上する。


 目を開けると、わたしの視界には貴志と兄、それから何故か晴夏──その三人が、昼寝から起きたわたしの顔を覗き込んでいた。










【後書き】


他サイトにて、最近いただく感想やDMは、エル推しの読者様からの声が多く、その声を反映させていただき、真珠との時間を過ごしてもらいました。


真珠は、相変わらず貴志しか見ていませんが、エル推しの読者様向けのサービス回を設けさせていただきました。



【追記】

こんな感じかな〜と、今回の二人を描いてみました。


大人真珠&エル

https://31720.mitemin.net/i470200/


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