第222話 【真珠】美沙子とラジーン


 寝たいのに――眠れない。


 寝不足で思考がネガティブに偏りやすくなっているため、晴夏はるか翔平しょうへいが遊びに来る前に少しでも休みたい。

 そう思っていたのだが、母と祖母の慌てぶりが気になって、神経が妙に冴えてしまうのだ。


 それに、穂高ほたか兄さまと木嶋きじまさんはどこへ行ってしまったのだろう。

 姿かたちも見当たらない。


 わたしは貴志に向かって手を伸ばした。


「貴志、抱っこ……」


 子供がねだるように、抱き上げてほしいと伝える。


 貴志は、一瞬呆けたような表情をみせたけれど、次の瞬間には微かな笑みを口にかせた。


「甘えて……子供のふりか?」


 彼はわたしをそっと抱き上げると、その腕で優しく包んでくれる。


 貴志の首に腕をまわし、顔をコテリと彼の肩にのせると身体が密着し、お互いの心音がトクリトクリと伝わった。

 それだけで安心感を得られ、更に身を寄せたくなるのが不思議だ。



「今は甘えたい気分なの。……ねえ、貴志――お祖母さまは、お祖父さまと電話をしているのは分かるんだけど、お母さまは何をしているの?」



 母はメッセージを打った後、スマートフォンの画面をずっと見つめている。

 父からの折り返しの電話を待っているのかと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。


「ラジーン……あの子ったら、今日に限って反応が遅いわ。何をしているの?」


  ――と、呟いている声を先程耳にしたからだ。




「ラジーンて、誰?」


 先頭にラのつく呼び名――連想するのは、アルサラーム王族の敬称を兼ね、太陽神シェ・ラの一部を冠した特別な呼称。



「……ラジーン?」


 貴志がいぶかし気な表情を見せた。


 旧知の人物なのだろうか。


「貴志が王宮でラフィーネ王女と遊んだ時に、会ったことのある人?」


「いや……記憶にない。だが、その名は、エルの年の離れた実兄 ――アルサラームの王太子と同名だ」


 は!?


 わたしは唖然とした表情で、弾かれたように貴志の顔を見つめる。


「お母さまって、王太子殿下とメル友なの!? 知ってた?」


 貴志は首を左右に振る。



 王宮に滞在したと言っていた貴志。

 そうだ。彼は家族で遊びに行ったと教えてくれたのだ。

 一人でアルサラームに遊びに行ったわけではなく、母も同じ王宮内に滞在していたはずだ。


 彼女がアルサラーム王族の誰かと懇意にしていても、何らおかしいことが無いことに、今更ながら気づく。



「俺も詳しいことは知らないが、ラジーンといえば、シェ・ラ・ジーン王太子殿下しか思い浮かばない」


 貴志がその科白を言い終わるかどうかというタイミングで、母のスマートフォンが振動を始めた。


 飛びつくように着信ボタンをスワイプした彼女は、電話に素早く応答する。


 話の内容を聞こうと耳を澄ませたが、何を言っているのかよく分からない。


 母はアルサラーム語と時々英語、たまに別の言語の入り混じった言葉で話していて、本人も慌てているのか自分の話す言葉が統一されていないことに、まったく気づいていないようだ。


「お母さまって、外国語話せたんだ。それも数か国語」


 初めて日本語以外の言語を操る母を見て、わたしは少なからず衝撃を受けている。


「美沙は……思い込みが激しくて短慮なところはあるが、言語能力だけは昔からずば抜けて高かった」


 なんと!

 まるで穂高兄さまのようではないか――言語能力に関してだけは。


 お兄さまの言語学習能力の高さは、母からの遺伝もあるのかもしれない。



 何を話しているのかまったく分からないが、声のトーンでその感情が伝わってくる。


 興奮するように話をしていた母が、途中から唐突に静かになり、神妙な表情を作り出した。


 母の声音が落ち着いたものに変わると、紡がれる言葉がわたしでも理解できる言語になる。



「そう……それが、うちの娘だったという訳ね。教皇聖下の行動も、それで納得ができた。

 え? ああ、頼まれたものは昨日――父が国王陛下と会食した時に渡っているはずよ。ラジェイド陛下が帰国されたらご本人から直接受け取って。かなり可愛いわよ。

 そうね、そのうちね。ええ、家族と一緒にアルサラームに遊びに行くわ。穂高が赤ちゃんの頃に行ったきりだものね。ええ、その時は、もちろん真珠も――」



 その後、アルサラームの言葉に変わり、しばらく話し込んでから、スマートフォン画面の通話終了ボタンに触れたようだ。



 母は目を閉じると、深く息を吸い込み、次いでゆっくりと吐き出す。



「貴志――教皇が真珠に特別な温情を与えたのは、この子に恩ができたから――ということで合っている?」


 貴志は「その通りだ」と答える。


 実際には、それだけではないのだが、詳細を伝えるわけにはいかず、当たり障りのない回答を選んだようだ。



「今、ラジーン王太子と話をして、教皇が身分を隠して人探しの為に来日していたと聞いたわ。探し当てたら、連れ帰るかもしれないとラジーンに洩らしていたらしいけど――昨日出会えたと、連絡をもらったと言っていた……つまり、それが真珠だったと――そういうこと?」


 その質問に、貴志は無言で首を縦に振る。


 母は心を落ち着かせようと、茶器に残った麦茶を口にする。



「『伴侶の祝福』は婚約の証。『月光の契り』は心を許した妻への愛の証。特に『月光の契り』は、複数いる妃のうちの一人を特別扱いするものだから、ここ何代も与えられたことのない誓約だと聞いているわ。それをまだ嫁いでもいない真珠に与えるなんて、正気の沙汰じゃないと思っていたのに――」


 母はそこで溜め息をついて、更に話を続ける。



「まさか、それに加えて『月下の誓い』とはね……本当に存在していたことが驚きだわ」



 存在?

 それは、どういうことなのだろう。



 貴志も何か知っていたようだが、昨夜の儀式についての話題を出すのも気が引けて、詳しく訊ねることができずにいたのだ。


 でも、意外なことに母は、何かを知っているようだ。


 わたしは黙って、彼女の話す言葉に耳を傾けた。





【後書き】

次話、12:10更新予定

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