第205話 【真珠】愛を乞う 前編


 背中に回された貴志の腕に守られながら、ゆっくりと寝具の波に埋もれていく。


 彼の体温を身体全体で感じる幸せに、わたしは愛する人の双眸を見つめ、微笑んだ。


 胸元に添えたこの掌から、彼の鼓動が伝わる。


 温かな眼差しが注がれ、ひんやりとした手がわたしの頬に触れた。


 その手は冷たい筈なのに、どうしてこんなにも心を熱くするのだろう。


 

 貴志の指がわたしの髪をかき上げ、そして梳く。

 髪の一房を手にした彼は、そこに唇を寄せた。


 ゆっくりとした動きで、彼はその髪に口づけを落としたのだ。


 たったそれだけのこと。

 肌には直接触れることなく、その唇を髪に重ねただけ。



 途端に、昼間感じた不可思議な痺れが身体の中心に渦を巻いた。


 吐息が口から零れ落ちる。

 背中を痺れが駆け抜け、瞳が潤む。


 身体の中に熱の塊が生まれ、背筋がけ反った。

 その苦しさを解き放ちたい。

 説明しようのない衝動に腰が浮いた。


 すべてを溶かされる。

 何故そう思ったのか、今となっては分からない。


 自分ではない何者かになってしまう――そんな浮遊感が全身を支配し、心に少しの混乱が生まれたのは確か。


 けれど、怖くはなかった。


 より深い場所に彼を求めたくなる。

 この衝動は、一体どこから生まれいづるのだろう。



 微熱が身体包み、呼気に熱が宿る。




 ――唇で触れてほしい。 


 今まで何度となく願ったその望みが叶う。



 歓喜の想いが、たったそれだけの貴志の動作に、過剰に反応しているだけなのかもしれない。




「真珠? どうした? 大丈夫……か?」


 わたしの常とは異なる様子に気づいた貴志が、気遣うように声をかける。


「ん……平気。でも……よく……分からない」


 両手を貴志に伸ばし、彼のすべてを求めたくなる。

 この願いに応じて、貴志は再び身をかがめると、わたしの頭を撫でた。


 彼は幼子をあやすよう、大切に触れる。


 けれど、わたしが求める対応とは、少し違うような気がした。



 彼の首に腕を絡め、自分が感じた身体の症状をその耳元で伝える。


「これは何? 身体が熱くて、もっと貴志を欲しくなる」


 背中がしっとりと汗ばんでいる。

 体温が上昇しているのかもしれない。

 背中に回された貴志の掌にも、それが伝わっている筈だ。


 貴志が息を呑み、その後苦しげに息を吐く。



「……あおるな……お前は……」



 ――髪しか、その唇では触れてくれないの?


 名残惜しく思いながら、とろけたような声が口から零れる。



「お願い……やめないで……もっと、触れて……?」



 今夜だけ――そう知るからこそ、その願いは欲深くなっていくのだろうか。



 わたしは唇を貴志の首筋に這わせた。



 重ねた身体から伝わる心音が、心なしか早くなったのは、気のせいだろうか。




 貴志が口づけたのは髪。

 そこは、兄がよくその唇で触れる場所。


 熱を帯びた瞳で彼を見上げる。


 身体の奥底から、むくりと首をもたげる欲。

 わたしは彼に何を求めているのだろう?


 この情動が望むものが何であるのか、正直よくわからない。


 ただ本能のままに、貴志を欲しいと思うだけ。




 今まで一度も感じたことのない、渇いた欲求が心と身体を支配する。




「貴志、お願い……もっと、そばに来て……」


 呼吸の乱れたわたしを見つめる彼の瞳は、どこか切なさを伴う光を宿す。


「真珠……お前、意味をわかって……?」



 意味?

 わたしは首を傾げる。


 貴志はわたしの仕草に、苦笑する。



「だろうと思った。頼む……そんな強請ねだるような目で見るな……もう少し、子供らしくしていてくれ……そうでなくても今夜は『あの夜』のようで……困っている……」



 『あの夜』――貴志が後悔し続けている『紅葉』での一夜。



 わたしの『目』を見ると、大人の女性と共にいるような錯覚に陥り、間違いが起きそうで怖いと、彼が嘆息していたことを思い出す。



「もし、目の前にいるわたしが大人だったら、貴志は……どうしたい?」



 わたしのこの身体に宿る貪欲なほてりの正体――その答えを、貴志が持っているような気がした。










【後書き】


次話は、今夜21:10更新予定です。



ごめんなさい。

貴志は、大したことをしていません(;・∀・)


真珠視点と貴志視点では、全く違う印象の話になると思います。


次話、後編ですが、ご安心ください。

貴志は貴志ですε-(´∀`*)ホッ



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