第192話 【真珠】それを『姫』と呼んではいけない


 靖国通りに面した地下鉄入口の階段をゆっくりと下り、広い地下通路を左方向に歩いていく。


 改札口手前で、貴志がエルに電車に乗降する際のメトロカードの説明をし、それを購入して手渡した。


 ちなみにわたしとラシードは、大人と一緒に乗車する未就学児なので無料だ。




 改札を通り、地下へ地下へ、階段とエスカレーターを乗り継いで、やっとホームに降り立った。


 地下鉄特有のモワッとした空気とにおいが鼻腔をくすぐり、懐かしさが込み上げてくる。


 これは伊佐子の記憶なのか、それとも浅草駅で真珠が感じたことを思い出しているのか、今となってはどちらが主体の懐かしさなのか分からない。




 電車がホームに到着し、降車する人々を待ってから、四人で車内に乗り込んだ。

 台風の最中ではあるけれど、休日だけあって日中でもそれなりの人数が使用しているようだ。


 二席続きの空席を見つけた貴志が子供二人を座らせ、青年二人はその前に立って会話をしている。


 市ヶ谷から池袋まで、この時間であれば十分少々で到着だ。


 ラシードは暗い窓の外を、不思議そうに眺めている。

 


「そういえば、池袋には何をしに行くのかラシードは知っているの?」


 窓の外を見つめていたラシードが、その声で我に返る。


 驚かせてしまったようで、少し申し訳なく思いながら、彼の返答を待つ。


「窓の外が気になって。夜のように暗くて、不思議で……、ああ、池袋だな? 池袋には、フィーネ姉上のお遣いで、ショコラを買いに行くのだ」


 チョコレートか!

 それは美味しそうなお遣いだ。


 チョコ好きな王女様か。

 可愛らしい砂糖菓子のような、キラキラフワフワしたイメージが脳内に出来上がっていく。


 王子さまのような格好に変装し、お姫さまにされた貴志とエルと共に映っていた昔の写真が記憶に新しい。


 相当な美少年に見えたが、あの写真の素敵王子が成長しているのであれば、さぞかし見目麗しい女性になっているに違いない。



「きっと可愛いお姉さんなんだろうね」



 理香のような可愛らしさ溢れる王女殿下を想像して、思わず頬が緩んでしまう。


 が、何故かわたしの言葉に、ラシードが首を傾げ、キョトンとした表情を見せた。



 はて?

 何か間違ったことを言ってしまったのだろうか?



「ラシード? 可愛いお姉さんじゃなくて、美人なお姉さんだったのかな?」


 もしかしたら紅子のような、艶やかな美女なのかもしれない。



 そういえば、時々男装をしてはご婦人方とパーティーに参加されている、とも言っていたな。


 頭の中には、フランス革命を扱った某有名コミックの主人公――金髪をたなびかせる男装の麗人が現れる。


 そう、フランス革命について頭を悩ませていたソフモア(高校二年目)時代、伊佐子母から渡された某バラのコミックだ。

 あの主人公のように、さぞかし美しい女性なのだろう。



「姉上が可愛い? 美人? 何故そうなるのだ?」


「へ?」



 女性を表現する褒め言葉は、他にどんな言い回しがあるのだろうか?


 適切な形容詞が浮かばず、己の語彙力を恨めしく思っていたところ、ラシードが口を開く。


「姉とは、男よりも男らしい。強い存在以外にないだろう?」


 はい?

 どういうことなのだ。


 わたしの想像の斜め上いく回答に、思考が追いつかない。



 そういえば、わたしがエルの聖典を足に落とし、涙を滲ませ痛みを堪えていた時に、女性は強い存在だと思っていた、とラシードが言っていたことを思い出す。



「今度、アルサラームに遊びに来い。その時にフィーネ姉上を紹介しよう。姉上はきっと真珠のことを、とても気に入ると思う」



 満面の笑みでそう伝えたラシードが「いつ遊びに来られるのだ?」とソワソワし始めた。


 せっかちくんだな、と微笑ましく思っていたところ――



「駄目だ! 真珠をフィーネに会わせるのは勧めない」



 エルの声が、突然頭上から降ってきた。



 貴志も何故か納得の表情で頷いている。

 幼い頃のトラウマがあるからだろうか?



「兄上? ですが、姉上は絶対に真珠のことを……」


「だから駄目だと言っているんだ。男に免疫のない『残念娘』のコイツが、あいつの毒牙にかかってみろ。ひとたまりもないぞ。真珠をフィーネに奪われたくなければ、余計なことは考えるな。わかったな」


 エルの言葉にラシードが顔色がんしょくを失う。



 残念娘とは、散々な言われようだが、貶められるのは貴志によって免疫付けられている。


 いちいち気にする繊細さは、とうの昔にポイ捨てだ。



「へ? さすがに女性に心奪われたりはしないよ? いや、確かにね、綺麗な人には惹かれることはあるけど……でも、わたしにも節操はあるつもりだよ?」


 紅子とか理香とか、あれはなかなか反則なほどに美しい生き物だと思うし、中身を知っていても惹かれるものはある。



 でも、それは同性としての憧れであり、恋愛感情ではない。



 いや……恋愛感情を知らなかった頃ならば、わたしは百合に目覚めたのかと勘違いしていたやもしれんが。



 それに、わたしには貴志がいるのだから、他に目を奪われることなど絶対にありえない。



「甘いぞ、真珠。フィーネはな、男よりも男気があり、女であるが故に女心を熟知している。しかも我が兄弟姉妹の中で、ずば抜けて見目も良い。更にお前は、貴志の血縁者ときた――あいつが気に入らない要素が皆無だ。近づくのは危険だ」



 そ……それは、一体全体どんなお姫さま……いや、王女殿下なのだろう。



 貴志がハッと息を呑み、エルに目を向ける。


「どうした? 貴志」


「ラフィーネの婚約祝いにショコラをということだったが……相手は……いや、勿論、性別を超えた愛情があるのは理解している。それをどうこう言うつもりもないが……」


 貴志の不安を汲み取ったエルが、即答する。


「そこは安心しろ――男だ。近衛の中将位にある武官だ。フィーネが気に入った唯一の男……彼も物好ものず……いや、寛容な心で姉のことを可愛がってくれている……おそらく」


 貴志は「そうか。それは、おめでとう」と、静かに告げた。




「ねえ、それって、失礼な言い方かもしれないんだけど……本当に『お姫さま』という存在であっているの?」




 わたしが素朴な疑問を投げかけたところ、貴志とエルとラシードが同時に答える。


「不敬になるので俺の口からは……、察しろ」

「フィーネが、姫? 何を寝惚けたことを!」

「姉上こそが真の姫君だ」


 

 三者三様の答えが返された瞬間、車内アナウンスが池袋駅到着を告げた。



「兎に角、真珠。いつ遊びに来ても良いが、フィーネにだけは気を許すな」

「ラフィーネと会うことは勧めない。あれは色々な意味で危険人物だ」

「姉上は、姫君の中の姫君……の筈なのだ……」



 話を聞けば聞くほどに、いくら王女殿下とは言え、『姫』と呼んではいけない香りがプンプンした。






【後書き】

次話は、明朝7:45に更新予定です。

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