第44話 【幕間・真珠】熟女おそるべし & 穂高について
翌朝、完全に寝坊して、九時近くに目覚めた。
「あれ……? 貴志は?」
寝惚け眼で貴志の姿を探したが、彼は部屋にいなかった。
既に起床して、業務の打ち合わせでもしているのだろうか。
けれど、隣に敷かれていた布団には、人の寝た形跡がない。
あいつはいったいどこで寝たのだ?
もしや、どこかのお姉さんと一緒に
一夜のアバンチュールとは、なかなかやるな。
貴志が部屋に戻ってきた時に「旅先でもお盛んですね」と物凄く感心して伝えたら、かなり機嫌を損ね「今度は本当に口を塞ぐぞ」と脅された。
まあ、確かに誰かに聞かれたい内容でもないかと申し訳なく思い、彼を気遣って「よい良い、お姉さんは全て分かってますよ」と物分りの良い大人の対応を続けていたら、更にはデコピンまでくらった。
しかも治りかけのタンコブの上からだ。
なんという非道な真似ができるのだろうか、この男は!
それはさておき、わたしの体調も全快だ。
朝食も美味しくて、ご飯のお代わりまでした。
「おはようございます。真珠さん」
ロビーの中にある土産物コーナーで、めぼしいものを物色していると佐藤マネージャーが声をかけてくれた。
ちなみに貴志はすぐ近くのチェックインカウンターにて、スタッフのお兄さんと歓談中だ。
「おはようございます。佐藤さん」
「お加減も良くなられたようですね。昨日とは見違えるほど顔色が良いですよ。これで安心ですね」
そう言って嬉しそうに笑ってくれた。
「あら? ここ、虫に刺されたのかしら? 痒くないですか? お薬が必要ですね」
佐藤さんはそう言って、夕べ貴志にチクッとされた首筋を指さした。
どうなっているのだ? 見えん。
わたしはハッと息を呑んだ――まさか、まさかとは思うが、大人の階段のひとつ、チュウ・マークなのではないか⁉
あ、あああ、あのチクッは、そういうことだったのか⁉
わたしは慌てて首に手を当てる。
このまま白目を剥いて倒れそうだ。
伊佐子22年の人生で一度も経験したことのないキ、キ、キッスマークなどというものを、わたしは齢わずか5歳にして経験してしまったのか。
なんたることだ!!!
「はは……お気になさらず。悪い
虚ろな目になって、乾いた笑いで答える。
「あらあら、それは大変。あとで『絆創膏』をお届けしますね」
「はい、お願いします……」
貴志め。乙女の柔肌をなんと心得るのだ⁉
どう責任をとってもらおうかと算段していると、カウンターで話をしていた貴志がこちらに戻ってきた。
「おはようございます。葛城オーナー」
佐藤さんが仕事モードで、貴志に腰を折って挨拶をする。
公私の切り替えはさすがだ。
星川リゾート『紅葉』のフロントマネージャーという肩書を持つだけはある。
「おはようございます。佐藤マネージャー、どうかしましたか?」
「ええ、真珠さんが首を『悪い虫』に吸われたようなので、そのお話を……。オーナー? 少しおいたが過ぎますよ。彼女が普通のお嬢さんでないことは心得ておりますが、私からオーナーにお説教などさせないでくださいね。自制はなさってくださいませ。
後ほどスタッフに絆創膏を届けさせます。あまり
そう言うと、フフフフと笑いながら去って行った。
少し怖い笑い方だった。
悪い虫とは言ったが、その裏の意味まで瞬時に理解したということか――おそるべし佐藤マネージャー。
人間の本質を見抜く熟女。
どこまで何を知られているのか、ちょっと怖くなった。
「真珠、もう少ししたら出発するから、土産を選ぶなら早くしろ」
そう言うと貴志は土産物コーナーに入っていく。
彼はお土産物色中のわたしの元へ、水色のスカーフを持ってきてくれた。
シルク織りが美しく、今日着用している紺色のサンドレスにピッタリだ。
どうするのだろう?
不思議に思っていたところ、そのスカーフをわたしの首に巻き、可愛いお花の形のワンポイントを作ってくれた。
「すまなかった。まさかこんなことになっていたとは……、昨夜は、その……自分の中で色々と不都合が生じて……記憶が……少し、飛んでいる。
それに、夕食後から、
貴志からは意味不明な謝罪を受けると共に、彼は訝しげな表情を見せ、首を傾げながら黙ってしまったのだ。
何故か
非常に申し訳ないと思っているようで、大変悔やむ様子はいつもの彼とは違い、わたしは頭を捻った。
なんだ? どうしたんだ?
まあ、いいか。
それよりも、このスカーフのアレンジはどうやるのだろう。
ねじって捩じってシニヨンを薔薇の花みたいにして、首元の『虫刺され』は上手に隠されていた。
手先まで器用とは、やはり攻略対象者は侮れない。
わたしは貴志の手先の器用さの方に意識をとられ、彼のおかしな様子は完全に頭の隅に追いやってしまった。
興味は完全にスカーフアレンジに移っていたところ、大学生三人娘がチェックアウトのためロビーにやってきた。
「あ! 真珠ちゃーん、おはよう」
「ノゎ……葛城さんもおはようございます」
「おはようございます」
「お姉さま方、おはようございます」
「皆さんお揃いで。おはようございます」
三人娘は、今日これから都内に戻るらしい。
『滞在中、本当に楽しかった』と何度も何度もお礼を言われた。
最後にカナちゃんが、わたしに連絡先を渡してくれた。
カナちゃんは、酒田加奈子ちゃん。
ルリちゃんは、西尾瑠璃ちゃん。
ミチルちゃんは、佐竹未知留ちゃん。
――という氏名だと分かった。
三人で今回の旅行のお礼をしたいから、もし気が向いたら連絡してね、ということだった。
「真珠ちゃんは、『葛城真珠』ちゃんでいいのかな?」
カナちゃん改め、加奈ちゃんから聞かれた。
貴志に目配せで確認をとると軽く頷いている。
本名を伝えても良いということだ。
「わたしは、月ヶ瀬真珠と申します。貴志兄さまとは親類で、本当は兄妹ではないんです」
「そうなんだ! 月ヶ瀬……、どこかで聞いたような? ん? 気のせいかな~?」
月ヶ瀬――知らない人はいないだろう、日本の財閥系グループのひとつだ。
三人は頭をひねっていた。
すぐにはわたしと月ヶ瀬グループには繋がらないようだ。
でも、この三人だったらそれを知られても悪用されることはないだろう。
彼女たちは信用できる人間だ。
また会えたら嬉しいなと思う。
「お姉さま方、お気をつけてお帰りになってくださいね」
わたしは笑顔で手を振り、三人に別れを告げた。
「さて、俺たちもそろそろ行くか?」
「はい! 貴志兄さま!」
わたしは元気よく、妹演技で返事をした。
…
長野から奥日光へ向かう道すがら、貴志は穂高兄さまについての話をする。
「穂高は、あいつは、プログラミングとか詳しいのか?」
「え? どうだろう。分からないな。そういう分野の習い事はしていないけど」
「そうか……」
貴志は何かを考えているようだ。
「ファミリーセーフティ機能は、義兄さんがつけているって言っていたんだけどな」
そんなことをブツブツ独りごちている。
「どういうこと?」
わたしは疑問に思って質問する。
「いや、昨日、実は何度か穂高と電話で話したんだが、年齢にそぐわない単語が続々と出てきてな。子供向けのフィルターはつけているってお前の親は言っているんだけど、どうも……セキュリティをいじっているようなんだ。あれはプログラマーというよりはハッカーに近いか……?」
なんと⁉
「話をしていたら、自宅のネットワークを使ってパスワード解除したり、メインコンピューター内のデータを書き換えたりしているようなんだが……。そんなことを子供ができるものなんだろうか?」
貴志は心底不思議そうにしている。
「ああ、なるほど。貴志の疑問はそういうことか」
わたしは得心して、答えた。
「穂高兄さまは、
「ギフテッド?」
貴志はわたしの言葉を反芻する。
そう、お兄さまはおそらくギフテッドを超越したギフテッドだ。
【後書き】
『紅葉』の一夜。
貴志が失態だとする行いの原因と、彼の不可解な行動の理由は、ファンディスク編にて判明となります(*´ェ`*)
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