第14話 【真珠(伊佐子)】追憶と葛藤 1


 葛城かつらぎ貴志たかし――何故こんな所にいるのだろうか。


 そして何故、よりにもよって「今日」のわたしの前に現れるのだろうか。


(どうしよう、どうしよう、どうしよう……)

 

 気持ちがザワリと波立つ。


 今日だけは、会いたくなかった。

 今日だけは……。


 逃げたい――

 こわい――


 気づきたく……ない――


 けれど、彼は――葛城貴志は、全てを見透かすような目で、わたしを見ていた。



 ああ、彼の眼差しは、誰に似ていたのだっけ?



 わたしの心の奥を暴こうとする。

 わたしの心の深淵をのぞこうとする――誰の眼差しに?


          …


 彼――葛城貴志は、最年長の攻略者だ。ゲームが始まる10年後、確か30歳前後だったと思う。


 スマートで、包容力があって――大人の恋愛パートを担当する攻略対象だ。


 頼れる人だが、反面、人をくったところもあり、時に「主人公」を困らせ、意地悪をし、年の離れた「主人公」を翻弄しては、手を離し、また引き寄せる。


 彼は、自分のテリトリーに他人が入ってくることを嫌うが、自分が大切に思う人間には、とことん寄り添っていく、そんなキャラクターだった。


 子供時代には、彼の行動原理がわからなかった。

 大人の恋の駆け引きなど知らなかった。

 わからなくて途中で挫折した。


 大学生になって、そういえば攻略していなかったな、と思い出し再挑戦したところ、彼の魅力が伝わり夢中になった。


          …

 

 タカシ叔父さんのことを聞いた時に、この葛城貴志を連想した。よくある名前だ。でも、彼を思い出し懐かしくなったのだが、それと同時に何故か不安にもなった。


 彼は、今、目の前にいる。


 交わされた視線を外すことなく、わたしは葛城貴志の目を見つめる。


 そう、この目だ。


 今まで、見ないように蓋をしていたものすべてを暴かれるような、気にしないようにと隠し続けてきたものをさらけ出されるような――自分自身が丸裸にされる、そんな恐怖にも似た感情が、ザワリと再び訪れる。




 今の、特に、今日の精神状態のわたしは絶対に関わっちゃいけない人だった。



 

 昼間、博物館で穂高に多大な迷惑をかけた、あの訳の分からない――正体不明の悲しさと感情の暴走。



 あれは、伊佐子の心の奥を感じ取った、幼い真珠の心の悲鳴だ。



 フタバスズキリュウを見るまで、どうしても泣き止むことができなかった。あのレプリカを見て、不思議と穏やかな気持ちになり、やっとの事でおさめることができたのだ。



 あの感情の嵐は真珠の体験する科博での出来事と、小学生の「伊佐子」が家族と共に訪れた当時の記憶がオーバーラップし、誰が体験している感情なのか分からなくなった心の混乱から生まれたように感じる。


 引き金は、おそらく――国立科学博物館と恐竜展だ。




 あの場所には――伊佐子と家族の暖かな思い出がありすぎた。




 真珠わたしが実体験し、「私」《伊佐子》の子供時代の記憶が混ざり、それを大人の伊佐子が手を出せないガラス越しに見ているような、そんな奇妙な時間だった。



 カラ元気を発揮して、なんとか乗り切ったが、次に訪れた場所も悪かった。



 浅草も――駄目なのだ。



 伊佐子が家族で科博を訪れた後、立ち寄ったのも浅草寺。



 普段なら、こんな迷子になるような無謀な行動などしない。真っ先に交番で保護してもらい、両親の迎えを待っていたことだろう。



 今日、ピー助とまわった仲見世商店街は、伊佐子が家族旅行で歩いたコースだ。


 日本語があやしかった小学生時代、世間話の仕方を調べ、必死に言葉をつかいお店の人と会話をした。


 母からは、それは大人のオバちゃんがする世間話の仕方だよ、と笑われた。


 懐かしい記憶を思い出し、追体験する一日でもあった。




 家族で食べた人形焼き。

 弟と分け合ったソフトクリーム。

 母からもらった冷やし抹茶。

 父といっしょに買った芋羊羹。



 会いたい――家族に。


 謝りたい――突然倒れたことを。


 伝えたい――とても、とても愛していると……。


 おそらく、もう二度と、その願いは叶わないけれど……。




 本当は、分かっていた。


 伊佐子は、あの舞台で一度「生」を終えたのだと。



 でも、信じたくなかった。



 これは長い夢で、いつか戻れるかもしれない――そんな希望も持っていた。



 でも、いま、初めて、あの人生が、自分の「前世」なのだと、現実として、受け止めることができた。



 多分、それは、葛城貴志に会ったから。


 この目に見つめられたから。





 伊佐子は、思う。


 穂高は、真珠を留めるための要。ストッパーだ――


 穂高の目を初めて舞台の上で見た時に、真珠の記憶が流れ込み、二つの記憶が存在することに気づいた。


 穂高の前では、真珠らしくいられる。


 では、貴志は?


 彼の目が――今迄、考えないようにしていた「死」を理解させると共に、不安定に暴れる伊佐子の心を呼び戻した。


 荒れ狂っていた精神を宥め、取り戻すことができた。

 何故、こんなにも感情が揺れたのだろう。




 ――誰かに、助けてほしかった。




 「私」は納得していなかったのだ、自分の生きてきた道が突然潰えたことに――



 でも、もう――




「お……おい?」 


 貴志が急に驚いたように、気づかわしげな声を出した――そんな狼狽えた声は、この人には似合わないな、と思った。



 見ず知らずの子供を助けようとする、そんな殊勝なキャラではなかった筈だ。



「お前、大丈夫……か?」



 そっと彼が私の頭に触れた。


 おそるおそる、確かめるように頭を撫でてくれる。




 そして気づいた――涙をハラハラと流している自分に。



 次々と溢れ出す透明な雫が地面に静かに降り注ぎ、小さな水玉模様をつくる。



「怖かったか? ごめんな」



 貴志がぎこちない動きで頭を撫でながら、慰めようとしてくれる。



「お前、名前は?」




 名前は――



    「伊佐子」



 わたしは気づくと、そう答えていた。







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