その悪役令嬢、音楽家をめざす!〜恋愛音痴でごめんなさい。バイオリンが恋人です!〜

青羽

攻略対象・親族編

第1話 予兆

 だめ! 倒れる―――


 突如襲われた目眩めまいに、バイオリンと弓を取り落としそうになる。


 今日はソリストとしての大舞台―――凱旋コンサートと銘打った演奏会当日だ。


 絶対に、失敗は許されない。

 ―――必ず成功させる自信もあった。


 それは、気の遠くなるような密度の濃い練習に裏打ちされた、己の信念に基づく自負だ。


 そう、数秒前までは今日のコンサートは成功間違いないという確信があった―――はずなのに……。


 椎葉伊佐子しいば いさこ 22歳。

 幼少期から大学院まで海外で暮らし、アメリカの大学院在学中に欧州で行われた国際弦楽コンクール・バイオリン部門で日本人初の1位入賞という快挙を成し遂げた若きバイオリニストだ。


 今日はコンクール優勝後、日本への一時帰国に合わせた凱旋コンサート当日。

 恩師から打診されたプロオーケストラとの共演で、それを為し遂げる輝かしい晴れ舞台となるはずだった。


 実は、数日続いていた頭痛が気になってはいた。が、時差ボケから来る些細な不調と物ともせず、コンサートの成功の為に集中していたのが裏目に出てしまったようだ。


 身体が資本―――そんな分かりきった事を失念するほどに、このコンサートに―――自分の未来へ続く舞台に賭けていたのだ。


 その頭痛が引き金となった酷い目眩に襲われたのは、本当に突然のこと。


 割れんばかりの拍手の中―――愛器を携え、舞台の左手前のスポットライトに立った直後だった。


 グラリと舞台に吸い込まれるように倒れる身体。

 グニャリと歪む視界。


 自分の意思ではどうすることもできない―――身体を支える何かがプツリと途絶えるような感覚。


 観客席から、息を飲む悲鳴に似た音が伊佐子の耳に届く。


(ああ、これは不味いな。楽器……守らなくちゃ)


 命よりも大切に思う愛器を抱き締め、衝撃に耐えるべく備える。それは半ば無意識の行動だった。


 視界が暗転し、後ろに倒れていく感覚を感じながらこれから訪れるであろう痛みに身構える。



         …



 床に打ち付けられるのを覚悟したのたが、その瞬間はいつまでたっても訪れることはなかった。


 不思議に思い、いつの間にか閉じていた目をうっすらと開ける。


 ステージのまぶしさに視界がチカチカとまたたいた。


 眼下にはこちらの様子を気遣わしげに見上げる観客の席が並んでいる。


(あれ? 倒れたと……思った……の……に……?)


 伊佐子は不思議に思ったが、我に返り楽器と弓にそっと視線を移す。


 抱きしめたと思ったバイオリンは、何故か左脇に抱えていた。


 奇妙な記憶の齟齬を不思議に思いながらも、気を取り直す。


(緊張のあまり、白昼夢でも見てたの……かな?)




 どんな舞台でも、こんな経験をしたことは無かった。


 とりあえず、自分の身に何事も起きていなかったことに安堵し、客席へ笑顔を向ける。


 その様子にホッとしたのか、観客席からは微笑ましげな拍手がわき起こる。


 まだ微かな頭の痛みは残るものの、体調は大丈夫そうだ。

 むしろ、先程よりも身体が軽いくらいだ。



 なんだか自分が自分でないような、妙に小さな存在になったような、不可思議な感覚を覚えたが、緊張故ゆえの出来事だと結論づける。



 そして、心配をかけたことを詫びるよう、これから紡ぎ出す音色を楽しんでもらえるよう、微笑みを絶やさず深く深くお辞儀をする。


 舞台に上がる直前に調弦したバイオリンは準備万端だ。


 楽器を構えて瞼を閉じる。


 今日の一曲目は、バイオリン独奏曲。


 協奏曲ではない無伴奏の演目のため、オーケストラは続く2曲目に向けて伊佐子の背面にて待機中だ。


 この独奏曲は、特別な曲だった。


 恩師と友人と弟が、伊佐子の為にと、この凱旋コンサートに向けて贈ってくれた思い入れのある一曲。


 彼女のバイオリンの良さを存分に引き出すために作られ、そのテクニックを余すことなく伝える技巧溢れる至高の曲だ。


 鼻から息を短く、けれど勢いよく吸い込み、初音重音をフォルテシモでかき鳴らす。



 ―――違和感を覚えたのは初音から。



 いつもの愛器の音と何かが違う。


 自分の身体もいつものような流れるような動きがとれない。


 筋力が足りないような、指がもつれるような違和感に妙な焦りを感じ、うっすらと目を開けて手元を見る。


(えっ?!)


 先程は目眩の影響で気づかなかった。


 その有り得ない状況に気づき、自分の目を疑う。



 手が、指先が、小さいのだ。

 まるで幼い子供のそれだ。



 頭の中は混乱を極めるが、どんな時も動じずに演奏をする事が身体に染み付いていたため、そのまま曲は続いている。


 幼い手指から紡ぎ出されるにしては些か出来過ぎた、緩急とテクニックに彩られた音色がはじき出されていく。


 その独奏が広がるにつれ、会場は一種異様な空気に満たされていった。


 その空気感を言葉で例えるなら――――困惑。


 不安になりながらも表情を変えることなく、背面に待機中のオーケストラを確かめようと、リズムに身体を乗せるそぶりで目線を動かす。


 ―――が、そこに楽団の姿は無く、黒く輝くグランドピアノが1台鎮座するのみ。


 そして、そのピアノの前には唖然とした表情の少年がひとり―――こちらを凝視しながら座っていたのだ。






【後書き】

拙作を読んでいただきありがとうございます!

とても嬉しいです。



今後登場するキャラクターのイラストはこちらから!


https://31720.mitemin.net/i451461/



■真珠のファンアート(翠古羊さまより)■


子供の身体だと気づかずに渾身の演奏で会場を驚かせた冒頭シーンのイラストをプレゼントしていただきました。

ホール内部まで描いてくださり、本当にありがとうございます!

https://31720.mitemin.net/i507298

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