エスによろしく
水白 建人
第1話
ほだされる。それは「
そのためだろう。
「起きて」「もう朝よ」と言われてもじっと目をつぶる。目覚ましだって自分からは止めない。
そんなわたしを、ルビアはひそかにそそらせた。
「学校、遅れてしまうわよ?」
柔らかな重みが下腹に沈む。またがっているのだ。
「行きたくないの? ふたりで、一緒に」
小さなぬくもりが胸もとへと
「ねえ、お願い……ひとりにしないで……?」
甘やかな猫なで声が耳を濡らす。ささやいているのだ。
湧き上がる興奮は、カフェインよりも刺激的な
「あら、ふふ。おはようモミ」
――いけないルビア。
女の子だって切なくなるのに。
ルビアと知り合ったのはちょうど半年前。小学校生活最後の冬休みに入ろうかという頃になる。
いたずらに、何の気なしにSNSを眺めていたわたしの視界に、ピンクのうさぎが飛び込んだ。サイズの異なるボタンの両目に、糸がゆるく縫いつけられた大口を開けるそれは、ハロウィンの小物かと見まごう異様なぬいぐるみだった。
下手の横好きでこそあれ、手芸をもてあそぶ身として多少は見る目がある。だからわたしはそのぬいぐるみの上手さというか、特別な魅力に感心してしまい、それをアップした人物――タイムラインが英語であふれていた彼女に一言『ナイス』とだけ送った。
驚いたのはそのあとだ。しばらくしてから送られた返事には日本語がずらりと並び、しかもわたしの
小さな妹がなだめすかされるように。
言うまでもなく、わたしはルビアとのやりとりに酔いしれていった。
会いたい。顔が見たい。声が聞きたい。でも、そんなメッセージを送ったせいで拒絶されたらどうしよう――そんな劇中劇にもならない妄想に身を焦がす毎日。
言いたくて、けれど言えなくて。雪解けを見届けてなお、わたしの心に新たな春が訪れる
いっそ、このままの関係を楽しもう。
そう考えるようになったある日を境に、抱いた季節はとこしえとなり、一輪の花だけを愛でる陽気に満たされた。
『ホームステイがしたいのだけれど、構わないかしら?』
運命の女神様に感謝を。
両親の説得には半日もかからなかった。
――いや、どうやらその
「ルビアちゃんって好きな食べ物ある?」
「あら、突然なあに?」
「来週の火曜に調理実習あるでしょ」
「だから、その、ルビアちゃんはなに食べたいのかなって……」
「作ってくれるの? なら――」
そうしてルビアはひとつずつ、イギリスらしい料理に解説を添えて語り始める。
わたしにはそう、いうなれば五十音図の暗唱と同じだ。その程度のことを聞いて仲良くなろうとする彼女たちが、
あんなものがルビアに求められるわけない。
「――ではごきげんよう」
クラスメイトを軽くあしらったルビアが、かばんに背をあてがう。合わせてわたしも椅子を引く。
「お疲れルビア。帰ろっか」
「モミはどうかしら?」
「なにが?」
「作ってほしいもの。モミにだってあるのでしょう?」
意外な問いかけだった。
「えっと……どうして急にそんなことを?」
高鳴りが胸を燃やす。
「モミにも喜んでほしいから。彼女たちの話からふと、そう思っただけよ」
「珍しいね。ルビアがそういうこと聞くなんて」
「きっと浮かれているのね」
そう言うとルビアは流し目を送り、
「ワタシ、期待しているわ。彼女たちにも、あなたにも」
しなやかな足取りでひとり教室を出て行ってしまった。
「…………期待、してるんだ」
「期待」だなんて
――だとしても、わたしは期待に応えたい。彼女の気まぐれであっても、絶対に。
黒い三つ編みを留める深紅のリボン。ルビアがくれたこれさえあれば、ほかに作ってほしいものはない。赤い糸を
ゆえに思う。
ほかの誰にも振り向かせず、ほださせもしないと。
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