【策謀】
太陽や月の光が届かない洞穴の奥深くで、光る宝石を片手に持つ一人の少年が白目に妖しく光る円環を瞳に携えながら、広間とでも言うべき広めの空間で地面を調べている。
空いている手で地面を擦り、あるいは触り、難しい顔をしながら頭を捻りながら立ち上がる。
そして胸のポケットから手帳のようなもの取り出し、開いた手帳の上へ光る宝石を乗せると、そこへと何やら書き込んでいる。
書き終えたかと思えば、手帳を胸ポケットへと仕舞い、光る宝石を片手に地面を調べる作業へと戻った。
一見、何をしているのかさっぱりわからない行動だが、この少年にとっては自分の命と同等の価値のある作業だ。
故に、その表情は未だ悩ましいものではあるが、作業態度は真剣そのものだ。
しばらく作業を続けていたが、満足したのか少年は立ち上がり、今度は内ポケットから少年の小さな掌より少し大きい円盤を取り出し、近くにあった通路へと歩き出した。
まだあどけなさの残る十歳前後の少年は、右手に持っている光る宝石で暗い道を照らしつつ、左手に持つ円盤に向けて、マイクテストでもするみたいにあーあーと何度も発声する。
「あー、聞こえますかー?」
「こちらに連絡が来たことは伝わるから何度もあーあー言わなくていいわ。声は聞こえるからバレることも考えて」
「ご、ごめんなさい。早く伝えたいことがあり焦っていました」
「そう。その割には随分と連絡が遅かったのね」
何度か円盤に声をかけていると、そこから女性の声が聞こえてきた。
その声はわずかに怒気を孕んでおり、その原因は言わずもがな少年にある。
「ほんとうにごめんなさい。想定外のことが起きて確実に安全になるのを待っていたので……」
「そう。では報告を」
少年の言い訳など聞く耳も持たない円盤の女性は、責務を果たせと言外に圧をかける。
それを断る理由もないので、少年は素直に従う。
「まずは良い報告から。人間への魔王因子投入ですが、問題なく動作しました。その個体の適合値が高かったのか、あるいは素の能力が高かったからかは不明ですが、戦闘能力において自分では手も足も出せないような領域にまで、ものの数秒で到達しました」
「それは宰相様も喜ぶでしょうね。よくやったわ」
「はい!」
少年の報告に、円盤の女性はその仕事ぶりを素直に褒める。
それが嬉しいのか、少年は見た目通りの反応を見せる。
「それで、他に良い報告はあるかしら?」
「……いえ、次の報告は悪い報告です」
褒められ、今の瞬間まで喜びに満ちていた少年は、現実に引き戻されて意気消沈を体現する。
それを目視してはいないものの、円盤の向こうからでも察せた女性は怒りなど一ミリも込めずに淡々と連絡という業務をこなす。
「そう。聞かせて」
「……はい。ぼくが進めていた作戦ですが、失敗に終わりました」
「前回の報告では順調と聞いていたけれど?」
「組織の頭の思想を理解し切れていませんでした。ぼくが欲をかきすぎて王国に目を付けられたため、止む無く撤退しました」
「そう。……あなたの悪癖が出たわけじゃないのね?」
「…………すみません。少し」
「……そう」
女性に図星を突かれ、少年は長い迷いの末に自身の失態を素直に明かした。
その反応は火を見るより明らかで、怒るよりも呆れの面が強く前面に押し出された返事だった。
「まぁいいわ。あなたのその部分を含めてその仕事を任せたのは私だものね。……もう恩寵は解けているかしら?」
「はい。あと少しタイミングがずれていれば、正体をバラしてしまうところでした」
「そう。それは危なかったわね。次はもう少し長い間持つように調整するわ。……それで、想定外のこと、というのは何かしら?」
「その前に一つ、お訊ねしたいことがあるのですが」
「いいわよ」
少年の提案に円盤の女性が応じ、見えていないはずなのに少年は頭を下げる。
「ひと月ほど前、第三位様と六位様が最強の召喚者を殺したと仰っていましたよね?」
「ええ。六位はともかく、三位様は信用できるわ。それが何か?」
「その連絡にあった最強の召喚者の外見と、今回ぼくの作戦を台無しにした人間の外見が、とても似ていたのです」
「……つまりあなたは三位様を疑っている、と?」
「恐れながら」
少年の臆さない言葉に、円盤の女性はふむ、と一つ頷く。
円盤の向こうにいるのに、女性が真剣に悩んでいる姿が想像できる。
「直接対峙したわけではありませんが、一度不意を突かれ攻撃を受けた際、いくら見た目よりも軽いとはいえ、想像を遥かに上回る威力の拳を受けました。少なくとも警戒リストにあった人間の強者ではなかったので……」
「なるほど、わかったわ。私の方から伝えておくから、リチャード。あなたはその情報の精査を行い、改めて私に伝えて」
「わかりました。では失礼します」
「あ、ちょっと待って。一つ伝えておかなきゃいけないことがあるわ」
伝えたいことはちゃんと伝えられたので、もう言い残すことはないな、と円盤を内ポケットへと戻そうとしたとき、円盤の女性から引き留められた。
仕舞う前でよかったと安堵しつつ、少年は女性の言葉を聞き逃さないよう耳を傾ける。
「宰相様より、時期は早いが召喚者への対応も考えすぐに動く。そちらの業務が終わり次第、大陸へ着いた魔王様たちと合流せよ、とのことです」
「承知しました。合流場所はどこですか?」
「それはまだ聞いていないからあとで必ず連絡するわ」
「わかりました」
少年の答えを最後に、円盤の頂点に嵌められた宝石が光を失う。
つまりそれは、向こうとの連絡が切れたことの証明だ。
それを確認し、円盤を内ポケットへと戻す。
「あれ、道間違えちゃった」
少年は気が付けば洞穴の入り口の近くまで来ていることに気が付いた。
いつもなら作業優先とすぐに洞穴へと戻るのだが、長いこと洞穴で気配を消して過ごしていたため、久しぶりに外の空気を吸いたくなり、そのまま外へと足を運んだ。
何日ぶりかの外の空気はとても澄んでいて、ちょうど昇ってきたと思われる朝日も相まって、生きていることの素晴らしさを実感できてしまうくらいには美味しく、清々しかった。
「――んっし。周りに気配はないっと」
そう言って、小麦色の肌に肌よりも明るい髪を持ち、髪と似た色を瞳に持つ少年は、魔眼を閉じた。
懐へ円盤をしまい、そこから掌に乗る程度の小さな宝石を取り出す。
それに魔力を込めると、それは少年の周囲一メートルほどを照らす淡い光を放つ。
「じゃあ、エレノアさんみたいに、ちゃあんとお仕事しますかね」
少年はその呟きを最後に、再び洞穴へと戻っていった。
* * * * * * * * * *
「――ふぅ」
つい先ほどまで、円盤を用いて連絡のやり取りをしていた女性は、なんとなしに溜息をついた。
円盤の先で仕事をしている少年は、年の割にはかなり優秀で、武の観点から言えば女性よりも強い位置にいる。
立場的にも少年の方が位が上だが、こと
故に、序列が一つ上であるリチャードを、エレノアの指示で動かせている。
尤も、戦闘能力が何よりも優先される序列内に置いて、戦闘能力度外視で例外的に席を置いているエレノアをリチャードが尊敬している、というのもリチャードがあそこまで素直に従ってくれている理由の一つだろう。
「さて、そろそろ戻りましょうか」
気合を入れなおすようにそう言って、エレノアは自身の恩寵を発揮する。
その効果を自分自身に指定して、仮初の容姿をその身に纏う。
自信を偽れているかを備え付けの鏡で、身に纏った仮初の容姿や、その上に着ている着慣れたメイド服等に違和感がないことを確認する。
「よし」
満足そうに頷いて、エレノアはスッと表情を変える。
顔が変わっているのもあるが、今の今まで鏡の前にいた女性とは似ても似つかない、冷めた雰囲気を感じさせる女性へと変貌する。
骨格や体格、身長や体重、服装などは微塵も変わっていないのに、気配だけでそれほどまでの差異を出している。
そんな女優も顔負けの切り替えを見せた女性は、すぐ近くにある丁寧な装飾のされたドアの取っ手を握り、静かに部屋へと戻っていった。
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