第七話 【予兆】




「ごめんなさい、治療してもらって」

「大丈夫ですよ、レジーナ様。このくらいの傷なら、私でも完全に治癒できますから」


 第一区へと向かう私用の馬車の中で、レジーナが取り巻きの一人――明るいオレンジ色の髪を持つポリーナの治癒魔術によって、つい先ほど手に負った傷を治してもらっていた。

 傷自体はポリーナの言葉通り掠り傷にも満たない軽いもので、自然治癒でも明日には治っているだろう軽傷だ。

 尤も、そんな軽傷をレジーナは残しておく気はない。

 なぜならそれが、レジーナが最も気に入らない人物から付けられたものなのだから。


「それにしても、あの時どうやってレジーナ様に攻撃を加えたのでしょうか?」

「知らないわよ。大方、王女様の名を騙るあの女らしい卑怯な手でも使ったのでしょう。ブルーさんが来なければ、その場でキッチリと落とし前つけさせたわ」


 レジーナはもう一人の取り巻き――栗色の髪を持つアレーナの質問に、苦々しい顔をしながら吐き捨てるように言った。

 アレーナはそれに同調し、治癒を終えたポリーナも静かに頷いた。


「それでレジーナ様。どういたしますか?」

「言わなくてもわかるでしょう?」


 ポリーナの嫌味な笑みに、嫌悪感すら抱く嫌な笑みを浮かべて、そう答えた。


「このままじゃ終わらせないわ。私が身分を隠しているからって調子に乗って……キッチリとあの女には落とし前を付けさせてあげるわ」


 その言葉に、ポリーナとアレーナは同じ笑みを浮かべて頷いた。






 * * * * * * * * * *






 ソフィアと一緒にいるときに、初めて無言の時を過ごしてから、二週間が経過した。

 あれ以来、ソフィアとの関係が悪化した、なんてことはなかったが、葵が勝手に壁を作ってしまっているためか、妙な隔たりができている。

 実際、授業であった時に、ライラに何かあったのかと訊ねられたので、外から見てもわかるくらいには確固たる隔たりができてしまっている。

 出会っても挨拶をせず、会話も一つもない、ということはない。

 王城や教室で会えば普通に挨拶はするし、必要な会話なら全く問題なく行っている。

 それでも、その隔たりは確実に二人の間には存在した。

 鬼人族の元での鍛錬や、開発途中の魔術陣を使った新しい技術の改良などにかまけ、ソフィアとの対話を避けていたのがその隔たりを大きくした最たる理由だろう。


「――乱れが見える」

「ッ……すみません」


 考え事をしながら座禅をしていたら、正式名称を警覚策励けいかくさくれいと呼ぶ棒で肩をバシッと叩かれた。

 その部分が鈍く痛むのを感じつつ、目の前の鍛錬に集中できていない現状を理解して、鬼闘法の前提となる気を感じる鍛錬に励む。


 地球にいたころに、師範から“気”を感じるという特殊な訓練を受けたことがあるが、葵は才能の欠片もなかった。

 結愛は早々に習得できたらしいが、その領域に行けなかった葵には微塵もわからない感覚で、疎外感を感じたのを今でも覚えている。

 そして現在、その時と似た鍛錬法で“気”の習得に励んでいるが、一向に成果が見られない。

 この鍛錬を始める前までやっていたツノ――魔紋の使い方はかなり上手く、一緒に鍛錬を受けている鬼人族の若人と比較してもトップクラスだったのだが、こちらは最低クラスだ。


「まずは風を使っていい。自然を感じろ」

「はい」


 肩に警覚策励を置かれ、白い髭を蓄えた厳つい鬼人からアドバイスを受ける。

 それに背を向け、座禅を組んだまま答える。

 幸い、風なら感じられる。

 魔術適正が風だと言うこともあり、風に関することなら他の人よりも多少はできるはずだ。


 大自然の中、さわさわと優しい風が吹くのを肌で感じながら、葵は“気”の習得に勤しんだ。






 * * * * * * * * * *






「ナディアさん、大丈夫ですか?」

「大丈夫。今日はマシ」


 あの日以来、原因不明の頭痛に頭を悩ませるナディアは、今日も少し辛そうに顔をしかめていた。

 ナディアの体調は悪い日は転移に頼らず、王城でゆっくりと療養してもらっているため、その確認も込みで確認を取った。


「そうですか……言わなくてもわかっていると思いますが、無理だけはしないでくださいね」

「うん。じゃあ跳ぶよ」


 ナディアは頷いて、葵の手を取り学院へ転移する。






 今日の魔術陣の授業は、葵が発案した例の新しい形態の魔術の改良、開発に変更となった。

 葵が無理に変更してもらったわけではなく、それの改良・開発を進めていけば授業内容も学べるため、じゃあついでにやってしまおう、という形だ。


「ここが上手く繋がらないな……」

「こうしてみるのは如何でしょう?」

「……ああ、なるほどね」


 葵が開発途中の魔術陣の紙面に目を落としながら悩みを呟くと、傍でそれを見ていたソフィアが助言をくれた。

 それを組み込み、新たに魔術陣を描いて確認をする。


「それだとこちらが繋がらなくなりませんか?」

「……あ、本当だ。気づかなかった」


 描き直した魔術陣を見たカナが指で差し示した場所を確認すると、その言葉通り繋がらなくなっていた。

 これでは葵の想定していた通りの効果が発揮できない。


「すみません。間違ったことを言ってしまって」

「ソフィアさんが気にすることじゃないです。俺も同じですから」


 ソフィアが自分のせいで、と呟いたが、それは違うと訂正する。

 それにこれはまだ実践の場ではない、ただの落書きに等しいものだ。

 魔術陣の描かれたその紙面に魔力を通しても魔術は発動しないため、いくら間違えても問題はない。

 強いて言えばインクが勿体ないくらいだが、それこそ資源がある限りいくらでも作れるものなので、やはり問題はないだろう。

 今問題として挙げることがあるのなら、それは――


「――やっぱり重ねるのは難しいのかな……」

「そうですね……魔術陣は基本的に一枚で完結させるものですから、重ねるのは画期的ではありますがやはりそう簡単にはいかないでしょう」


 葵の呟きを、今度はカナが拾った。

 カナはこの学院で魔術陣を専攻している唯一の講師で、実践ではあまり使えないと言われている魔術陣においてそれなりの実績を持っている。

 そんなカナが簡単ではない、と言ったのだから、相当に難しいことをしようとしているのだろう。

 だが逆に、これを完成させられればその難しいことを成し遂げた人として名が残るだろう。

 何せ、開発しようとしているのは新しい魔術ではなく新しい形態の魔術なのだから。


「んー……やっぱり試行錯誤するしかないのかな」

「ええ。それが一番確実な方法ですね」


 私も新しい魔術陣を考えるときはそうしていました、と実体験を交えながら説明してくれた。

 そんなカナに、ふと疑問を抱いた。


「先生、今めちゃくちゃ近いですけど大丈夫ですか?」


 カナは男性恐怖症を持っている。

 故に、男である葵とは、初対面時は会話するのにすら怯えていた。

 出会ってから二週間ほどが経っている現在、会話くらいなら問題なく行えているが、まだ近づくと言うのは難しいらしく、この前なんて卒倒しそうになったくらいだ。

 だからこそ、卒倒する前に全力で退避できるように腰を浮かせ、恐る恐る訊ねた。


「……だ、大丈夫ですよ? 親からも、治しておいた方が、楽になると言われて、いますし」

「そ、そうですか……? 無理はしないでくださいね?」

「は、はい。もちろん、ですよ」


 改善の意思が見られるのはとても素晴らしいことだとは思う。

 だが肝心の言葉が途切れ途切れで、必死に我慢して辛そうにすら感じるので、それだけ伝えておく。

 カナはライラやソフィアと同じで、この開発に必要な人材なのだ。

 こんなところで倒れられては困るし、何より自分の所為で人が倒れると言うのは見ていて辛い。

 そんな我が儘を心の内に秘めつつ、横長の机に紙を広げて、様々なパターンの魔術陣を描いていった。






 その日の魔術陣の授業が終わり、ライラとソフィアは午後の授業に備えて食堂へと昼食を取りに行った。

 葵は魔術陣以外に授業を取っていないので午後も学院にいる必要はないのだが、ナディアが本調子ではないのと、葵とソフィアで転移を一回分多く使用させるのも気が引けるので、ソフィアの授業が終わるまで図書館で本でも読んでいることにした。

 最近、開発にばかり勤しんでいたため、読み進められていなかった“初代勇者の日記帳”を読むことにした。

 ともあれ、まずは腹ごしらえをしておく必要がある。

 そう考えて、散乱させた紙を拾い集め、指輪を偽装するための鞄へとしまってから席を立つ。


「ブルーさん」

「はい。なんでしょう、先生」


 教室を出る前にカナに呼び止められた。

 ちょいちょいと手招きしているので、何か用事があるのだろう、と男性恐怖症を刺激しない位置まで近づく。


「……もうちょっと近づいても、大丈夫ですよ?」

「そうですか?」


 その言葉を聞いて、恐る恐る近寄る。

 なんだかカナの精神年齢が下がっている気がするが、それはおそらく、恐怖症を抑えることにリソースを割いているからこその変化だろう。

 そこには触れないで置くのが吉だと判断し、本題に入る。


「魔術陣のことで何か?」

「いえ、そうではなくて……あ、でも、そうと言えばそうかも……」


 うーんと悩むカナは、すぐにそこが本題じゃない、と気を取り直す。


「私がブルーさんに話しておこうと思ったのは、ソフィアさんとの仲の話です」

「あー……」


 先生に気を遣わせるほどにぎこちなかったかな? と先ほどの会話や、ここ二週間の会話を思い出す。


「二人の間に何があったかはわかりません。話したくないことかもしれませんので聞きません。ですが、私個人として、教え子の二人が不仲というのは、少しだけ悲しいです」

「……それは、すみません」

「ああっ、決してあなたたちが悪いって言っているわけじゃないですよ? ただその、私がそうというだけで……」

「……はい」


 カナの気持ちはとても理解できる。

 その気持ちは、結愛が葵と弟の柊に対して抱いていた感情と同じだからだ。

 自分と仲のいい、あるいは関係の浅くない間柄の人がそれぞれ不仲だと言うのは、精神衛生上あまりよろしくないのだと相談を受けた。

 葵としては柊と仲良くなりたかったのだが、如何せん柊は葵と仲良しになるつもりがなく、一向に改善しなかったため、結愛の願いは叶わなかった。


 しかし、今回の場合はどうだろうか。

 ソフィアは葵と仲直りをしたいと思ってくれているだろうか。


「とにかく、私は仲直りをしてほしいと思っているので、一つ、私が母から聞いた仲直りの秘術を教えます」

「秘術、ですか?」

「そうです、秘術です。と言っても、そんな珍しいものではないですが」


 そう言って、カナは教卓の引き出しからペンと紙を取り出す。

 それを葵に差し出して、葵の目を見据えて口を開く。


「言葉で言い辛いことなら、文字にしてみればいいんです。そうすれば伝えられることもあるかもしれません……というのが、母の受け売りです」

「なるほど……盲点でした。ちなみに何ですが、先生はこれで仲直りをした経験が?」

「……いえ。当時彼氏だった人と仲違いをして、その解決法として母から提示された手紙という手段を用いたのですが、その手紙をバラバラに破かれまして……。結果はまあ――」

「――十分理解しました。すみません」


 その先は言わずともわかる、というか、もうそれが答えなので、それ以上を言わせないようにカナの言葉を遮って謝罪する。

 それに苦笑いを浮かべ、コホンと一つ咳払いを挟み、カナは再度、その紙とペンを差し出す。


「私の場合はダメでしたが、ソフィアさんならおそらく、女性恐怖症になるようなにはならないと思います」

「……」


 カナの言葉に葵は何とも言えない表情で笑う。

 心情的には笑えないのだが、それを表情に出してもカナを困惑させるだけなので意味はない。


「それに、もしブルーさんが手紙で仲直りをできたら、私の恐怖症の改善に繋がるかもしれません」

「……なるほど、一理あるかもしれませんね」


 誰かの体験で自らの体験を払拭する、ということ自体は、さして珍しいことではない。

 カナの提案は、葵とソフィアの仲を戻し、ついでにカナの障害にもなっている男性恐怖症を取り除くことができるかもしれない名案だった。

 後者はともかく、前者はカナの言う通り、ほぼ確実に改善するだろう。

 悪いことが一切ないので、これに乗らないメリットはない。


「ありがとうございます。使わせてもらいます」

「はい。では、よろしく、おねが、いしま、す」


 カナは葵と手が触れる距離まで近づいたことで、倒れてしまった。

 男性恐怖症を刺激しないようにと思っていたのに、それを全うできなかったことを悔やみつつ、気絶したカナを保健室へと連れて行って、予定通り図書館で日記帳に目を通しながらソフィアの授業終わりを待った。






 * * * * * * * * * *






 翌日。

 今日の授業は午後からだったので、午前中に鬼人の元で鬼闘法の鍛錬をしてから、学院へと足を運んだ。

 今日の目的は、開発途中の魔術陣の改良もそうだがもう一つ、重要な用事がある。

 それは、昨日カナに託された手紙による仲直りだ。

 今日の朝のうちに手紙を渡しているため、この授業前かあるいは授業後か、もしくは明日、手紙で返事を返してくれるかもしれない。

 ともあれ、そんな期待と不安を抱きながら、魔術陣の教室でソフィアを待った。




 結論から言うと、ソフィアはその日、人生で初めて無断で授業を休んだ。






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