第六話 【二度あることは】




 食堂でぼっち飯を食べ、再び集中できる図書館の読書スペースへと戻ってきた葵は、先ほど貸し出しをした本を読みふけった。

 貸し出しの件でお世話になった司書がもう締めますよ、と声をかけてくれなければ、深夜になってもこの本を読み終えるまで一人でここに残る羽目になっただろう。

 窓の外の空は赤く染まっており、王城に着く頃には暗くなっているな、なんて思いつつ、まだ途中までしか読めていない“初代勇者の日記帳”を閉じた。


 午前中に呼んだ“初代勇者の魔術帳”よりもページ数があったから読み切れなかったというのもあるが、こちらはそれ以上に、隠されたメッセージがないか、何か意図のある文の構成になっていないかなど、内容以外にも色々と注目していたために、かなり時間がかかってしまっている。

 尤も、内容自体は普通の日記帳らしく、さして変わっているとは思わなかった。

 強いて言えば、所々で地球こちらの人間なんだなと思わせる文があったが、地球のことを知らなければ面白い言い回しだなとか、独特な感性だなで終わってしまう話なので、深い意味はないだろう。


 変わったことと言えば、日記の内容が随分と途中からだったということくらいだ。

 これがもし召喚された直後から書いたものだとすれば、些か不自然さが残るくらいには、空白の部分が多い。

 もちろん、召喚され、共和国を作り、文化を発展させ、日記というものの生産を始めてから書き始めたのであれば、この内容も納得できなくはない。


 ともあれ、今のところはそれ以外、この日記に不思議な点は感じられなかった。

 読み進めればこの不信感も拭えるかもしれないが、今はここで切り上げ、あとは返却日に注意しつつ、空いた時間に読もうと決めて、司書に礼を言ってから図書館を出る。

 校門のあたりでソフィアが待っているだろうから、待たせてしまった形になるな、と少しだけ急ぎつつ、葵は長い廊下を歩く。


 すると、どこからか声が聞こえてきた。

 女性の声で、喧嘩でもしているのか、やたら高圧的な声が耳に入ってくる。

 一方で反論する声がないことから、もしかしたら何かやらかして怒られているのかもしれない。

 わざわざやぶをつつく必要はないんだよな、なんて思いつつ、結愛なら確実に何が起こっているかだけでも確認するだろうなと、様子だけでも確認しようとチラッと覗くことにした。

 横に伸びる廊下から出っ張る形で階段に差し掛かり、どうやらその階下との間に設けられた踊り場で言い争いは怒っているらしい。


 なるべく視界に入らないように、と頭だけ出して覗いた先にいたのは、葵が初日以来、魔術陣の授業がある日はほぼ確実にHR前に声をかけてくれるレジーナとその取り巻きの二名、そして、校門で待たせているだろうと思っていたソフィアだった。

 構図的に、ソフィアが踊り場の角へと押しやられるようになっており、それをレジーナと取り巻きで囲んでいる。

 その様は学園モノのドラマでヒロインないし女子主人公がいじめられている図にそっくりだ。

 というか、まんま一致すると言っても過言ではない。


「調子に乗らないで!」


 レジーナが声を荒げた。

 その矛先は、葵もよく知るクラスメイトにして同じ授業を受ける仲間でこの国の王城でもあるソフィアだ。

 尤も、それを向けられているソフィアに動じた様子はない。

 いつも通り、楚々とした態度でレジーナに応対する。


「調子に乗っているつもりなんてありません」

「それが調子に乗っていると言っているの!」


 今にも殴り掛からんばかりの勢いでレジーナはソフィアに詰め寄る。

 壁ドンをして、物理的に顔の距離を縮める。


「あなた、ヴィクからの告白を断ったようね」


 葵には背を向けているため、その表情はわからないが、その言葉は威圧を多分に孕んでいた。

 ヴィクというのは、確かクラスメイトの一人であるヴィクトル・スペクターの愛称だったはずだ。

 ヴィクトルという男子生徒はいわば翔のようなカリスマを備えた生徒で、男女問わず人気が高かった。

 そのヴィクトルからの告白を断ったことに、どうやらレジーナは腹を立てているらしい。

 学園モノのドラマでよく見かける展開だ。

 ということはレジーナはヴィクトルのことが好きだったのだろうか。


「あなたに振られて、ヴィクはとても悲しんでいたわ」

「私は学院へ魔術を学びに来たのであって、恋愛をしに来たわけではありませんので」


 ソフィアは全く以って正しいことを言った。

 そもそもヴィクトルとやらが振られたからレジーナが文句を言いに来る、という構図は今更だがおかしい。

 好きな人が振られたのならその傷心に付け込んで付き合いでもすればいいと考えるのだが、人の心はそう簡単なものではないと葵は知っている。

 尤も、ヴィクトルがソフィアに交際を申し込んでソフィアがそれを断ったという一連の流れに、レジーナが関与すると言うのがおかしいという意見は変わらないが。


「……魔術の実力が底辺の癖に、よくもそんな口が利けるものね」

「実力がないからこそ、恋愛にうつつを抜かしているわけにはいきません」


 ソフィアは毅然と、至近距離にあるレジーナの瞳をしっかりと見据えて言い返す。

 それは確かに正しいことで、学生としての本分を全うしていると先生が聞いていれば称賛する言葉だろう。

 だけどこの場合、その発言じじつは悪手だ。


 ソフィアの言葉を聞いて、レジーナは顔を離す。

 そして、取り巻き二名に目配せをすると、それを受けた二人はササッと手慣れた動きでソフィアの腕を掴む。


「……どうやら、人を傷つけると言うことの意味がわかっていないだから、私が教えてあげるわ」


 そう言って、レジーナは拳を握る。

 精神的なダメージを、物理的なダメージを介して教えようと言う考えだろうか。

 展開の速さに葵は驚嘆し、ひとまずは止めないと不味いなとその場への介入をしようとして――


 ソフィアと視線が交錯した。

 その視線が、大丈夫だから来ないで、と雄弁に物語っていた。

 強がりではなく、本当に問題がないのだと示すその力強い瞳に、葵は傍観を決め込む。


 そのアイコンタクトに気が付かず、レジーナは型もなく引き絞った腕をソフィアへと放った。

 拳はソフィアの細いお腹辺りを捉え、ガチィンッと人体と人体が衝突したとは思えない音を立てた。


「痛――ッ」


 その鈍い音でダメージを受けたのは、攻撃を受けたソフィアではなく攻撃を仕掛けたレジーナだ。

 放った右の拳を抑え、少しだけ後退してうずくまる。

 その様子を見て、取り巻き二名がソフィアの拘束を解き、レジーナの元へと駆け寄る。


「――あなた……!」

「何度でも言います。私は王女様と同じ名前だからと調子に乗っているわけではありません。どうかそのことを、忘れないでください」


 お願いします、とソフィアは頭を下げた。

 その様子をおそらく恨めしげな目で見据えているであろうレジーナが肩を震わせる。


「――あ、ソフィアさんいた……ってごめん。取り込み中?」


 何か言いかけたレジーナの前に、先制してその踊場へと声を投げかけた。

 いきなり声を掛けられ、その場にいた誰もが葵へと視線を向けた。

 一拍ほどの沈黙が訪れ、レジーナがスッと立ち上がり、葵へといつも教室で見せる笑みを浮かべて答えた。


「いえ、もう大丈夫ですよ。ではブルーさん、またHRで」

「はい。レジーナさんもお気をつけて」


 そう挨拶を交わし、レジーナは階段を下りて行った。

 取り巻きも一緒についていき、確実にいなくなったのを“魔力感知”で確認してから、ソフィアの元へと歩み寄る。


「ありがとうございます。助かりました」

「このくらいなら気にしないでください」


 葵が近づくなり、ソフィアは頭を下げた。

 ソフィアが葵に対して低姿勢なのはいつも通りで、葵の方が毎回気にしていても仕方がないと割り切って、素直にその言葉を受け取る。


「それじゃあ帰りましょうか」

「はい」


 二人は階段を下り、夕焼けの差し込む廊下を歩く。

 その間には、珍しく雑談も何もなかったが、葵は会話がなくても気にならない質なので問題はない。


「……ブルーさんは先ほどの私とレジーナさんの言い合いを見て、どう思われましたか?」

「……素直に言っても?」


 ソフィアの言葉を聞いて、葵は少しだけ考える素振りを見せた後に、質問に質問で返した。

 そのことを追求せず、ソフィアは頷いて葵の申し出を容認した。


「正直に言えば意味が分からない、と思いました。俺は今までの人生で恋愛には縁がないですし、そもそもそう言った感情を抱いてられるほどの余裕がないので、その感情を百パーセント理解できるわけではないですが、少なくとも話し合っていたことに関しては、ソフィアさんと告白した二人だけの問題だと思います」


 先ほどまで繰り広げられていた言い合いに対し、前言通りに思っていたことをそのまま伝えた。

 葵の飾らない意見を聞いて、ソフィアは喜ぶでも怒るでもなく、そうですかと無感情に呟いた。


「ただソフィアさんにも言いたいことがありまして」

「何でしょうか?」

「さっきの会話で、学生の本分は学業であり恋愛に現を抜かすことではない、と言っていましたよね?」


 葵の問いに、ソフィアは頷く。

 それが正しいことだと一ミリも疑っていない顔だ。


「ソフィアさんの言ったことは、自分も正しいと思います。ですが、相手がこちらと対話をする気がない場合、正論は悪手にしかなりませんので」

「……それはわかっています」


 少しだけ不貞腐れたような、あるいは怒ったような声音で、ソフィアが言った。

 初めて聞く声に、怒らせてしまったかな、と心の中を不安が過る。


「ですが、あのような言いがかりに等しい言い分に、黙って謝り続けられるほど、私は大人ではありません」

「……意外です。ソフィアさんはああいうのに耐性があるものだと思ってました」


 葵の中で、王族や貴族というものは、そう言った心を抑制する術を持っているものだと勝手に思い込んでいた。

 そんな驚きを隠せない、という反応をした葵に、ソフィアは申し訳なさそうな表情で答える。


「父の教えで他人よりも多くを許せる自負はありますが、全てを許せるほどの心の広さを持ち合わせているわけではありませんので」

「そう、ですね。すみません、自分の理想を押し付けてしまっていました」


 よくよく考えてみれば、この国は異世界モノでよくある貴族とのゴタゴタとか、王位継承権争いとか、そう言った心理戦的なものは皆無と言っても過言じゃないので、そう言った教育を受けてこなかったのかもしれない。

 ともあれ、葵が勝手に思い込みを押し付けていたのに変わりはない。


「大丈夫ですよ。ブルーさんが気にすることではありません」

「そう言ってもらえると気が楽です」


 さっきの葵の期待に応えられなくて申し訳なさそうな表情をしたのといい、今の葵を気遣った発言と言い、それを素でやってのけるソフィアは、もっと自分に自信を持つべきだと思う。

 謙遜は美徳ではあるが、自己肯定感を下げてしまう要因になりかねない。

 それに気が付いてくれればいいな、と今の少しだけ雰囲気を悪くした話題の転換も兼ねて話を振った。


「そう言えば、さっきレジーナさんに殴られたとき、魔力を集めて物理的な壁を作って防御しました?」

「流石です。“魔力感知”ですか?」


 葵の唐突な物言いにソフィアは驚きつつ、しかし感心したような顔をした。


「ええ。死角だったので確実に合ってるとは言い切れませんが」

「いえ、その通りですよ。尤も、葵様ほどの“魔力操作”の技術も、他の召喚者の皆様ほどの才覚もありませんから、自分が静止している時以外は使えません。なので、そこまで大したものではありませんよ」


 照れ笑いというには、少し語弊のある自嘲した笑みを浮かべ、ソフィアは言った。

 技術的には明らかに凄いもののはずだが、召喚者というこの世界のトップレベルと渡り合えるほどの才能を有する人間が近くにいるせいで感覚が麻痺しているのかもしれない。


「そんなことはないですよ」

「え?」


 自嘲気味の笑みを浮かべるソフィアに、葵は断言する。

 葵が断言するとは思ってもいなかったのか、ソフィアは目を丸くして、横を歩く葵の顔を見つめる。


「ソフィアさんの技術は凄いものです。きっと周りにいる人たちを基準に考えてしまうから、そう錯覚してしまうんですよ」

「……しかし、私には母や姉のような才能も有りません。先ほどだって、ブルーさんの助けがなければ――」

「――ほら、そこですよ」


 ソフィアの言葉を遮って、葵は失礼だと理解しながら足を止め、ソフィアに人差し指を向ける。

 いきなり足を止め、しかもビシッと効果音の付きそうな指差しを受け、キョトンとした顔で葵を見ているソフィアに説明する。


「ソフィアさんは俺と同じで、誰ならどうした、誰ならできたって、自分じゃない誰かと比較し続けているんですよ」

「……それはいけないことでしょうか?」

「いや、それを否定すると俺自身を否定することになるので違いますと断言させてもらって……要はさっきと同じ、場面によって違うってことです」

「場面によって……」


 葵の言葉を反芻し、しかしその言葉の意味がわからない、と不思議そうに首を傾げる。

 含みを持たせる言い方をするのは悪癖だな、と自分の悪癖それを認識しつつ、葵はソフィアに向けていた指を上に向ける。


「そうです。目標として、自分よりも実力のある人を挙げるのは何も問題はありません。むしろ、下を見ているよりもいいでしょう。しかし今のように、実力を他人と比較するのは良くありません。たとえ血が繋がっていようとも、自分と他人はどこかしら違うんですから」

「自分と他人は違う……」

「そうです。例を挙げた方がわかりやすいですかね。例えば……俺は大事な人の為なら世界なんてどうでもいいと思うたちですし、周囲の人間よりも家族や親密な人を守りたいと思います」


 それはなんとなくわかります、とソフィアは葵の言葉に頷いた。


「ですが、結愛はそうではありません。結愛は結愛と関わった全ての人が大事で、結愛を一番に思う俺からすると少し悲しい気もしますが、そこにおそらく優劣はない」


 結愛の言動を思い出しながら、葵には理解できない人の心をわかったように言う。


「だけど俺は結愛を目標にしていますし、結愛に近づくために行動方針も決めたりします」


 葵が行動を決めるとき、考える余地がある場合ならまず先に結愛ならどうするかを考えることが多い。

 それは、葵が結愛という人物を目標にし、そこに近づきたいからこその行動、思考パターンだ。


「ですが、俺は結愛と比較したことは――多分、おそらく、きっと、ないです」

「自信を無くさないでください……」

「言ってるうちに、本当にそうだったか疑わしくなりまして……それはそうと、そこでの比較はあまり意味がありません。自分の実力を他人と比較して得られるものなんて、見下すことで得られる空虚な自信か、ソフィアさんのように、才能と努力によって明確になった悲しい現実しかありません」


 少し締まらない形になってしまったが、自分に素直でいることも結愛を目標としている葵の定めだ。

 いまいち格好の付かない葵の言葉に、ソフィアはそれでも真剣に耳を傾けてくれる。


「長ったらしく例を挙げましたが、言いたかったのは“自分の実力を比較するなら、過去の自分とするべきだ”ということです。それが一番の指標ですし、何よりも自己肯定感を健全に保つ最たる方法と言えるでしょう」

「自己肯定感、ですか?」

「そうです」


 葵はゆっくりと歩みを戻し、相変わらず人差し指を真っ直ぐ天に向けながら、説明口調で語る。


「何も、自分に溺れ、ナルシストになれって言っているわけではないですよ? 自分の心を保っていられるだけの自信は誰にでも必要で、それは他人に依存するよりも自分の中に確立しておいた方が確実というだけの話です」

「そのための自己肯定だと?」

「です。だから、さっきも言ったように、過去の自分と比較しましょうってことです」

「……」


 葵の言葉を聞いて、ソフィアは感心したように口を開いて驚きを体現している。

 口をポカンと開けているにも拘らず、美少女であることが崩れないのだから驚かされる。


「ソフィアさんの上を見続ける姿勢は凄いと思います。俺でも俯き立ち止まってしまうようなことに対して進み続ける姿には本当に感服します」

「ブルーさんは私よりも――」

「ほらまた」


 その一言で、葵が何を言いたいのかを察し、ソフィアは恥ずかしそうに口を両手で抑え、言わざるの形になった。

 それを素でやってしまうソフィアの幼さを微笑ましく思いつつ、話題を戻して続ける。


「ソフィアさんの姿には感服します。でもそれの所為で自分を正しく認識できなくなってしまっては本末転倒になってしまう。だからどうか、自分を見失わないでください。今現状ではなく、未来の為にも」


 今はまだソフィアの心は保たれているだろう。

 出会ったときから壊れているならばもうそれは葵の手に負える問題ではないが、正常なら対策をすればいいだけの話だ。


「……一つ、根本的な質問をよろしいですか?」


 校舎を出て、正門近くで待っている馬車に向かいながら、ソフィアは夕焼けに照らされながら訊ねた。

 それに頷き、言葉の続きを促す。


「ブルーさんは、どうして私にそこまでの忠言をしてくださるのですか? 私はそこまでしてくれるほど、ブルーさんに何かをできた覚えがありません」

「簡単ですよ。ソフィアさんは、ラディナにとっての大事な人なんですから」


 その質問に、葵は悩むことなく即答する。

 葵は人に優先順位をつけて考える。

 と言っても、個人個人に対して、ではなく大まかなグループ分けをして、その中で優先順位を付ける。

 例えば、葵にとっては家族が第一優先で、次点で家族が大事にしている人、その次に関わりのある人、そして無関係の人、といった具合だ。

 それに則れば、葵にとってこの世界で一番大事なのは結愛であり、この世界で葵を支えてくれたラディナ、ソウファ、アフィも第一に入るだろう。

 ならば必然的に、ラディナの大事だと思っているソフィアは次点のグループに入る。

 だから単純に、ソフィアの手助けをするのだ。


「―ラディナを連れ戻した時に、もしソフィアさんが廃人にでもなっていたら、俺が何を言われるかわかりませんよ」

「……ラディナの名を出すのは意地が悪いですよ」

「知ってます。でも、一番効くでしょう?」


 意地が悪いなんてことは、昔から知っている。

 何せ、あのからかい体質の結愛を目標にし、その成長の様を隣で見続けてきたのだから、それが多かれ少なかれ移っていても何らおかしくない。

 だから敢えて、意地の悪い笑みを浮かべてそう告げた。

 そんな葵を見て、そんな返しをされるとは思っていなかった、と驚きの表情を見せたと思えば、今度はクスリと笑う。


「ブルーさんは私をたぶらかすのが上手ですね」

「えっ? いつ俺がそんなことを?」

「今ですよ。前にも言った通り、私はブルーさんの顔がとても好みですから、そんな新しい一面を見せられると、ね」

「……そう言えばそうでしたね」


 少し砕けた態度で笑うソフィアの言葉に、美少女から好意を伝えられることの嬉しさと、真正面から好意をぶつけられた恥ずかしさ二つを綯交ぜにした表情とともに納得する。

 確かに、結愛が新しい一面を見せると、嬉しいと言うか、楽しいと言うか、とにかくそう言った感情が溢れる。

 ただどこか、今のソフィアには寂しさも含まれているように感じた。


 それを隠すように、ソフィアはフイッと顔を逸らし、用意されていた馬車へ乗り込む。

 気が付けばもうここまで歩いていたようだ。


「ですが私の場合、それは叶わないことだとわかっています。なので、それ以上踏み込むつもりはありません。その代わりと言っては何ですが、一つお願い事があります」

「願い事、ですか?」

「はい」


 そう言って、ソフィアは振り向いた。

 馬車に乗っているから、一段高い位置から葵を見下ろすような形になっている。

 尤も、見下されているような雰囲気は微塵も感じない。


「私を、見ていてはくれませんか?」

「……見る、というのは、見守るという意味で合ってますか?」

「はい。そう受け取ってくださると嬉しいです。私が壊れないように、私が私で居られるように、が見守っていてください」


 ソフィアは手を差し出す。

 その申し出を受けるならこの手を取り、そうでないなら自分で馬車へ、ということだろう。

 しかしながら、葵にそれができるとは思えない。

 葵は今、結愛を探すこと、ラディナを連れ戻すこと、その為の実力を身に着けることを並行して行っている。

 その中には、召喚者の成長の観察やその報告などの細々とした雑用だってある。

 故に、これ以上何かにリソースを割くのは、いい判断だとは思えない。

 だから、すぐに答えられなかった。


「……やはり、難しいお願いでしたか」

「いやっ、そんなことはっ! ただ今は、その、時期が悪いと言いますか……」


 頼ってくれたことは嬉しいし、出来ることなら手伝いたい。

 ソフィアはラディナの大事な人で、ならば手伝うのは葵のポリシーとしては当然のことだ。

 だが葵は、もう既に誓いを破っている。

 一回ならまだしも、二回も破っているという紛れもない事実が、“誓う”という行為に至るための足を重くしていた。

 だからこそ、言葉を選びたどたどしく、説明になっていない説明をする。


「……出過ぎたお願いをしました。こうして助言を頂けただけでも嬉しいことです。ありがとうございます」

「……ぁ」

「葵様が気に病む必要はありません。私の我が儘を聞いてくれようとしたこと自体が嬉しいのですから」


 少しだけ寂しそうな面影を表情に宿し、ソフィアは手を引っ込めた。

 そのまま背を向け、馬車の中へと乗り込んだ。




 帰りの馬車は終始、一言の会話もなかった。






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