第五話 【日常】




 戦わない召喚者たちの心を無理やり入れ替えさせ、召喚者という単語が統一されてから一週間が経過した。

 王城に残った召喚者たちは騎士団員や魔術師団員とともに訓練に参加し、あるいはミキトの元で刻印魔術やらパッシブマジックやらの援護系の魔術を習ったりと、自分に見合った才能を活かすやり方で来る大戦への備えをしている。

 流石は召喚者というべきか、たった一週間で凄まじい成長速度を見せている。

 数値に換算すれば倍は成長しているだろう。


 それを片手間で見守りつつ、戦わない召喚者たちが戦うことを決めた――戦わざるを得なくなったことをラティーフたち共和国組へと伝達もした。

 その際に、用いた手段は如何なものかと少し小言を言われたが、ソフィアの許可も貰っていると説明して、ようやく納得してもらった。

 その代わりにというか、召喚者を焚きつけた張本人として、彼らの成長を一週間に一度ラティーフに報告するという約束をした。

 召喚者たちを見守っているのはそのためだ。

 尤も、召喚者の成長を四六時中見守らなければならないわけではないし、成長度を測るくらいなら学院へ通いながらでもできる。

 それに、報告の為に共和国に行くなら、鬼人族の元へ行くまでに共和国を経由してもらえればいいだけなのだ。

 ナディアの負担が増えるというデメリットがあるが、そこは当然、了承済みだ。


 そんなこんなでこの一週間、葵もそれなりに成長はしている。

 授業として習っている魔術陣を、自身の戦闘服に魔力の通りやすい糸を使って織り込んだり、靴裏に刻まれていた刻印魔術に改良を加えたりと、学院での学びを活かせている。

 カナの教え方がとても分かりやすく、また一緒に魔術陣の授業を習っているライラやソフィアの成長に触発されているというのが、この成長の裏にあるだろう。

 それに、魔術陣を使った新しい戦術を、ライラやソフィア、間接的にカナの協力も得つつ、開発している。

 尤も、実在する魔術の解釈を変えたようなものでしかないためパクリと言えばそうだし、そもそも一定以上の“魔力操作”を持っていないと扱えない代物なので、まだまだ改善点はたくさんある。


 鬼闘法の鍛錬もちゃんと成長があり、今はまだ基礎の部分しか習ってはいないが、あと数日もあれば基礎が終わるだろうと、鬼闘法を教えている鬼人に言われた。

 葵と一緒に鬼闘法を習っている鬼人族の若者と競うように鍛錬している、というのも大きいだろう。

 やはり、何かの成長には競い合える仲間やライバルと言える存在がいると、より早く、より高く成長できるのだろう。


「おはようございます、葵様」


 そんな日の朝。

 制服姿で廊下を歩いていた葵の背後から、ここ最近で聞き慣れた優しい声での挨拶が葵に投げられた。

 王城にいるときに挨拶をしてくれる人など限られているし、その優しい声音はここ最近で一番聞いている声でもあるので、振り向かずとも誰だかわかる。


「おはようございます、ソフィアさん」


 その人物は、一週間前、召喚者たちを焚きたてるときに惜しまず協力をしてくれた人物の一人である、この国の第二王女のソフィアだ。

 今日も透明感のある金色の長い髪を揺らし、翡翠色の綺麗な瞳で葵を見据える。

 そんな翡翠色の瞳が葵の格好を捉え、同時に可愛らしい顔に疑問が宿る。


「……今日は魔術陣の授業はありませんよ?」


 その視線は葵の全身に向けられている。

 葵が魔術陣の授業のない日に制服を着ることなどないので、そう言った疑問を抱いたのだろう。

 葵が魔導学院へと入学したのは、葵が適性の面で使えない魔術を文字と紋様を利用して発動させることのできる魔術陣を習うためだ。

 授業は毎日あるわけではなく、だからこそ葵は平日の昼間でも鬼人のところへ修行に行ける。


 そして今日は、葵の目的である魔術陣の授業がない日だ。

 つまり、学院へ赴く理由がなく、制服を着ているはずがないのだ。

 尤も、今日ばかりは葵が授業美を間違えた、なんてミスではない。


「知ってますよ。今日は少し、学院の図書館の方へ行こうかと思いまして」

「そうでしたか。何も知らず、差し出がましいことを言いました」


 そう言って頭を下げるソフィアに、葵は苦笑いする。


「そんな畏まらないでくださいって、何度も言っているじゃないですか。俺たちはクラスメイトで同じ授業を受ける仲間なんですから、むしろそんな風にされてたら、俺が“ブルー”でいるときも敬語になりかねませんよ」


 俺は外見が違うわけじゃないんですから、と苦言を呈する葵に、上品に微笑みながら答える。


「ご心配ありがとうございます。ですが、問題はありませんよ。公私の混同は致しませんから」

「確かに。ソフィアさんなら心配無用かもしれません」


 葵が学院へと入学し、仮に召喚者という立場にいるとわかってしまえば、魔術の知識を蓄えるどころではなくなるだろう。

 故に、葵が葵だとわからないように、可能な限りの偽装をしようとした。

 目立たなかったとはいえパレードで一度だけ顔は晒しているから、ソフィアのように顔の認識を変えられる便利な魔道具を使えばよりはっきりと偽装できた。

 だがソフィアの持っている魔道具がもう一対なかったため、せめてもの抵抗として偽名を使っている。

 そもそも最初から名前だけを変えて学院へと入学する予定だったので、実はそこまで問題はなかったりする。

 結果として、図らずも名前をそのままに外見だけを変えているソフィアとは対極になった。


 偽名の由来は言わずもがな、名前の“葵”を色の“青い”に変換し、更にそれを英語に変換しただけのシンプルなものだ。

 だが元の“葵”という名前を知らなければわかりようがないし、この国では珍しい黒目黒髪という外見は、共和国の先祖の血を多く受け継いだという説明で乗り切れる。


 ただ、名前が葵というこの世界では共和国でも珍しい部類に入るであろう名前を晒されれば、ばれてしまう危険も当然ながら増えるだろう。

 だからこその発言だったのだが、ソフィアはそんな葵の危惧を諸ともせずに、涼しい顔でそう告げた。

 事実として、ソフィアは有言実行をしてくれる人だ。

 それは学院で同じ授業を受ける間柄になってから一週間しか経っていない葵でもわかる。

 故に、それ以上は何も言わなかった。


「図書館ということは、何か探し物があるのですか?」

「ええ、まぁそれもありますが、ナディアさんが疲労からか少し体調不良気味っぽいので、ゆっくり休んでもらおうと思いまして」


 ソフィアがいつも乗っている馬車に乗り込みつつ、葵が図書館へと顔を出すことになった経緯を説明する。

 いつもはナディアの“転移”に頼り一瞬で国を渡っているため、その移動手段が失われると必然的に葵は何もできなくなる。

 共和国のように海を渡る必要はないが、直線距離で言えば公国は共和国よりも遠く、鬼人の暮らす集落はさらに奥地にあるため、今の葵がどれだけ全力で移動したとしても、ひと月以上はかかってしまう。

 だから、近場でできる最善の為に、より高度で最新の専門書を取り揃える学院の図書館へ行くことにした。


 葵が口にしたその理由を聞いて、腰を下ろしたナディアは不安そうな表情で訊ねる。


「ナディア様の具合は大丈夫なのですか?」

「今のところは意識もはっきりしていますし、応答も問題はありませんでしたので、おそらく急死するようなものではないかな、と。念のために次女長に説明をして、部屋の前で常に一人は待機はしてもらっていますし、症状から色々と対処法を探してはいますので、すぐにどうこうなると言うわけではないと思います」

「そうなのですね。それはひとまずよかったです。その体調不良はいつ頃から?」


 馬車に揺られながら、ソフィアは質問する。

 その質問に、とても印象的な最初だったがゆえに、葵はパッと答えを出せた。


「一週間前の、他の召喚者を改心させた日ですね。あの後、ナディアさんと部屋で少し話をしたんですが、そのあとすぐに」

「そんな前から……」

「一応、無理はしていないかと聞いてはいたんですが……もし何かあったらソフィアさんの人脈を頼ることになるかもしれません」


 葵は人の心が読めるわけではない。

 だから、声音の変化やいつもの雰囲気、あるいは口調やら言動などから異変を察せなければならないのだが、それをできなかった。

 結愛のように観察力がもっとあれば見抜けたかもしれないナディアの体調不良を、大丈夫だと高をくくって無理をさせてしまった葵にも大きく責任はある。

 それをソフィアにも背負わせるのはお門違いもいいところだとは思うが、ナディアの命には代えられない。


「わかりました。その時が来ないことを祈っておりますが、何かあればすぐにお声がけください」


 不甲斐ない自分を心の中で叱責しつつ、頼もしいソフィアの言葉に感謝する。

 ソフィアにはお世話になってばかりなので、今度きちんとお礼をしなければならないな、と思案する。

 その後は今までの暗めな話を吹き飛ばすかのように、ここ最近あった出来事や二人の共通の話題でもある新しい魔術陣の改良で会話に花を咲かせ、一時間ほどで学院へと到着した。


「それではブルーさん。私はこちらですので」

「はい。ではまた、帰りに」


 そう言って、学院の構内に入ったところで分かれた。

 ソフィアが向かう教室と、葵が向かう図書館は別の棟にあるからだ。


 まだ早朝ということで、人気の少ない構内をいつもより少しだけ観察しながら、道中、誰ともすれ違わないという人数が多い学院にしては珍しい体験をしつつ、図書館へと到着した。

 もしやまだ図書館が開いていないのではないか、という途中で抱いた杞憂はドアが横にスライドしたことで霧散した。

 ただ司書さんはいないようで、無人の受付を横目に見ながらさて何を調べようか、と本棚に陳列された背表紙を見ながら適当にぶらつく。


「あ、葵さん」



 図書館に入って少し言ったところにある読書スペースに座っていた人影から、葵に声がかけられた。

 そちらを見れば、そこにはもう見慣れた大人びた顔立ちにとても八歳とは思えない身長を持っているライラが年相応の無邪気な笑みを浮かべて手を振っていた。

 座っている机には二冊の本とノートがあり、手にはペンが握られていることから、何かを書き込んでいたのだろうと推察できる。


「おはよう、ライラちゃん。朝早いんだね」

「おはようございます。でもそれは葵さんも同じでしょ?」


 ブーメランを投げてしまい、それが自分に直撃するのを感じながら、この人気のない図書館で一人本を読んでいるライラに疑問を覚える。


「受付に司書さんもいなかったけど、ここのセキュリティって大丈夫なの?」

「えっとね……私はこう見えて飛び級しているわけなんですが」

「うん、ムラトさんたちから聞いてる。まだ八歳なのにほんと凄いよね」


 自身の膨らみかけの胸に手を当てて誇らしげに語るライラに、その事実を知っていた葵は素直な賞賛を送る。

 葵が八歳の時は確か部屋で引きこもり、甘やかしてくれる両親と結愛をいいことに自堕落な一日を過ごしていた。

 今考えれば、とても勿体のない時間の使い方をしているが、今はそんなことはどうでもいい。

 辛い過去は、敢えて思い出す必要もないだろう。


「そ、そう? 私、凄い?」

「うん。十分凄いよ。こうやって小さな努力を積み重ねてるから、その歳でも賢いんだろうね」


 ライラとの仲がもう少し進展していれば頭でも撫でていただろうが、生憎と今の関係で女子の頭を触れるほどの勇気も男気も葵にはない。

 だがライラはその言葉だけでもよかったようで、少しだけ恥ずかしそうに、でも誇らしげに、顔を赤らめつつニマニマとだらしのない笑みを浮かべた。

 褒められることに慣れていないような初心うぶな反応だ。


「あ、えっと、それで、司書さんが居なくても大丈夫な理由だっけ?」

「そう。こんな朝っぱらから無人で図書館開いてたら危ないんじゃないかなって」


 我に返り、冷静に事の発端を辿るライラに、葵は再度、同じ質問をした。

 それを聞いて、ライラはコホンとわざとらしい咳払いをして、改めてと説明を始めた。


「えっとね、私は家のお手伝いをしないでいい日は、毎日職員室に鍵を借りに行って、図書館で自分の受けてる授業の予習だったり復習だったりをしてるんだ」

「おー! 予習復習をしっかりやってるなんて凄いね」

「えへへへ……あ、じゃなかった。それでこうやって何日か置きに図書館の鍵を借りに行ってたら、いつからか司書さんがあとは任せるわね、って鍵だけ渡すようになって」

「……ってことはライラちゃんが朝早くに予習復習しに図書館に来るときは、司書さんが来るまで一人ってこと?」

「うん」


 ライラの説明を聞いて、なるほどねと納得する。

 毎日のようにライラが図書室に来て、一人で勉学に励んでいたから、それを見た司書さんが私要らなくね? とライラに任せるようになった。

 つまるところ、ライラの根気が司書さんからの信頼を勝ち取ったということになる。


「凄いねライラちゃん。元々の才能だけじゃなくて、やっぱり努力の天才でもあったんだね」

「――えへへへへへへ」


 葵の素直な賞賛に、ライラは堪えきれなくなったと言わんばかりに笑みを零した。

 歳相応の反応に、こちらの頬までにやけそうになる。


「あ、それで葵さんはこんな朝早くにどうしたの? 今日は魔術陣の授業はないけど、新しい授業でも取ったの?」

「あーえっとね、色々と事情があって――」


 ソフィアと同じ疑問を持たれたので、同じように説明する。

 色々と省略する部分や話せないことなどはぼかしつて話した内容に、ライラはなるほど! と元気よく納得してくれた。


「じゃあ今日は魔術陣以外で、何か葵さんが使える手札を増やそうってことなんだね」

「そう。何かないかな?」

「んー……」


 葵の何気ない問いかけに、ライラは真剣に記憶を手繰たぐってその質問への回答を見つけ出そうとする。

 下唇の下に曲げた人差し指を乗せ、うーんと首を傾げるその仕草をムラトたちが見ていようもんなら、きっとあの顔からは想像できないくらいにニマァとした、通報必至の表情になっているだろう。

 しばらくしてから、心当たりを探り当てたように顔を跳ね上げ、自慢気に、そして嬉しそうな表情をして振り向いた。


「葵さんは“魔力操作”が長けてるから、“初代勇者の魔術帳”なんてどうかな?」

「随分と凄いのが候補に出てきたね……それは名前そのままの内容?」

「うーん……ちょっと違うかなあ。初代勇者が使っていたとされる、理論上実行は可能だけど要求される“魔力操作”のレベルが高すぎて誰も実用レベルで使いこなせなかった、“魔力操作”の応用で実用的に使えるものって説明が正しいかも」

「そんなに難しいの?」


 ライラの説明を聞いて、素直にヤバいなそれと思って口にした疑問に、ライラは首を振る。

 眉をハの字にして、えっとね、と理解できていない葵の為に説明の補足を行う。


「そうじゃなくてね。使えはする人は沢山いたんだけど、実用レベルで使える人がいなかったって言われているの。魔術と併用ができなければ魔術師としての存在意義は皆無でしょ?」

「ああ、そういう……だから俺におすすめなのか」

「そう!」


 そう言って、ライラは顔を綻ばせた。

 それはうっかり、ムラトたちが惚れて求婚しかねないレベルの可愛さを持っている。

 大人びた顔立ちをしていて、受け答えも八歳とは思えないくらいにしっかりしているが、まだまだ心は年相応なんだな、と感じる。


「ありがとう。じゃあそれ読んでみるよ。どこにあるかわかる?」

「ええっと……確か雑学の分類に入ってたはず……」

「ありがと。探してみるね」


 ライラに礼を言ってから、葵はライラが指さした方向の本棚へと向かった。






「――んーっ、とぁ」


 ライラから有用そうな本を教えて貰ってから、かなりの時間が経過した。

 見つけた本を閉じ、凝り固まった体を伸びほぐし、誰もいない図書館の読書スペースに小さく声が漏れる。

 受付に司書がいるが、読書スペースでの小さな呻き声程度の声ならば、たとえ静かな図書館でも聞こえることはないだろう。

 まだ腹の虫は鳴っていないので時間的にはお昼前だと推測できるが、腹の虫が鳴っていないだけで小腹はいたように感じる。

 葵の体内時計があっていれば、今頃は食堂も開いているはずなので、丁度本を読み切ったところだし、区切りがいいといつもなら食堂へと直行する。

 が、今の葵は少しだけそれを躊躇った。


「さてと……こっちの本はどうするかな」


 その理由は、読み終えた本の隣に表紙を上向きにして置いてある本の存在だ。

 先ほどまで読んでいたのはライラのおススメ通り“初代勇者の魔術帳”で、こちらは葵なら実用で使えるかもしれないような技術が載っていた。

 一部の技術は、対魔人戦において、葵の中のアイツが使っていた技術でもあったので、おそらく実用は可能だろう。


 そしてもう一冊。

 葵が食堂へ向かうかどうかを悩ませているのは“初代勇者の日記帳”だ。

 先ほどの本と同様の形式の本で、似たようなタイトルであることから、おそらくはタイトル通りの内容が記されているのだろう。

 尤も、魔術帳とは違って実用的なことが書いているとは思えない。

 だが葵には、読んでおくだけの価値があるだろうと踏み、こうして読もうと持ってきた。


 数週間前まで、葵は共和国にいた。

 その時に、過去に初代勇者が残した初代勇者の意識と対面し、そして会話をした。

 衝撃の事実や多くの謎を残していったそれが葵の脳裏にこびり付いていたからこそ、何の変哲もない日記帳に気を引かされた。

 だが同時に、矛盾する考えではあるが価値のあるものではないだろうと言う確信もあった。


 先の魔術帳は、扱えはするものの実用できるかと言われれば難しい言うような内容のもので、価値で言えば非常に高いがそもそも効果を期待できないと言う、いわば“猫に小判”のようなものだった。

 故に、この図書館に置かれていた。

 ならば、こちらの日記帳も似たようなものだと推察できる。

 何せ、これが実用的であったり、あるいは何か価値のあるものであるならば、こんなところには置いていない。

 あるいは複製し、王城の図書館に置かれていてもいいはずだ。

 王城でお世話になったシナン司書が、葵の興味を引きそうなこの本これの話題を出さないとは思えないので、多分価値はないものだと判断され、ここに置かれている。


 だけど、もしこの本が、初代勇者が残した何かのメッセージだったら。

 共和国という国にあれだけのことをして過去の出来事を伝えようとした初代勇者が、誰にでもわからないように小細工をして、誰かは気づけるような暗号のようなものを残していたら。

 そう考えると、価値はない可能性が高いと言う意識があるにも拘らず、やはりどうしても興味を持たされる。

 これが初代勇者と対面した葵だけが抱く感情なのかどうかはわからないが、読んでみたいという気持ちは膨れるばかりだ。


「いやでも小腹も空いたしなぁ……だけどこの本を置いて行ってその間に誰かが読んでたら時間のロスだしなぁ」

「――あのー」


 腕を組み、どうしようかと脳内で葛藤する葵の背後から、恐る恐ると言った様子で声がかけられた。

 そちらを振り向けば、ライラが教室に向かうのと入れ替わるようにして図書館に来て、受付で静かに本を読んでいた司書が、葵の背後で不安そうな顔で立っていた。


「何か?」

「あ、いえ。何か悩まれているご様子でしたので、僭越せんえつながらお手伝いできればな、と思いまして」


 私は司書ですから、と静かに笑う司書さんは、机の上に置かれた二冊の本へと視線を移す。


「もしかして、貸し出し希望ですか?」

「貸し出し……あっ、そう言えば!」


 どうしてそんな簡単なことを忘れていたんだ! と自分の浅慮さに驚き声を上げ、ここが図書館だと言うことを思い出して慌てて口を塞ぐ。


「すみません。声上げちゃいました」

「人がいるときは気を付けてくださいね。それで、どうしますか?」

「えっと、貸し出しのルールみたいなものはありますか?」

「ありますよ。貸し出しはどの本も問わず一冊まで。貸し出しから一週間後が期限で、受付にて延長か返却の選択ができます」

「なるほど。じゃあこっちの貸し出しをお願いします」


 司書から説明を聞いて、葵はまだ読んでいない“初代勇者の日記帳”を差し出した。

 本を受け取った司書は、では手続きをしてきますね、と受付の方へ向かった。

 その手続きの間に、葵は今まで読んでいた“初代勇者の魔術帳”を元あった場所へと戻し、受付で手続きの済んだその本を受け取ってから、ようやく食堂へと向かった。



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