第十五話 【ソイツの果て】




 最後まで粘り強く意識を保っていたが、ついに意識を落とし、ぐったりと項垂れたことを確認して、カスバードは葵の胴体を挟んでいるほうとは別の鋏を振り上げた。

 人は頭蓋を壊せば即時に死ぬ。

 相手に敬意を示すからこそ、相手を苦しませずに殺す。

 それが、カスバードの示す最大の敬意だから。


 躊躇なく振り下ろされたそれは、寸分違わず葵の頭へと吸い込まれ、そしてガキィンと、およそ人の頭蓋を叩いた音とは思えない音が聞こえた。

 その異変が何かを知る前に、葵から膨大な魔力が吹き荒れ、葵を挟んでいた鋏がベギャンと嫌な音を立て、拘束力を失った。

 初めて感じる痛みに声を上げる間もなく、今度は胴体に捩じられるような痛みを覚え、空気の破裂音とともに結界に衝突した。

 その痛みで“魔力操作”にブレが生じ、結界が消えていく。


 痛みを押してすぐに立ち上がり、吐血しながら現状の理解に努める。

 まず、綾乃葵を拘束していた鋏はひしゃげており、先ほどの吐血はおそらく、内臓が傷ついたために起きた反応だろう。

 隣ではカスバードと同じように吹き飛ばされたのか、ライアンがぐったりと項垂れている。

 アルバードに外傷はないが、その小さな体は震え、ある一点を見て怯えた表情をしている。


 生き物を使役することに長けたアルバードが恐怖に怯える場合、起きていることは二つ。

 一つは生物では抗いようのない自然災害レベルの異常が訪れるとき。

 そしてもう一つは、今の戦力ではどうにもならないほどの生き物に出会ったときだ。

 そして今の場合、アルバードの視線の先を見れば、それがどちらなのかを理解できる。


「なんだ……見せてくれるんじゃねえか」


 自らを治癒魔術で癒し、アルバードにライアンを治療することを命じながら、この惨状をもたらした人物へと興奮と獰猛さを兼ね備えた笑みを浮かべる。

 視線の先、自らの右手を眺め、何かを確かめるように握っては開いてを繰り返す、綾乃葵を――正確には、綾乃葵の魂の奥に潜む、全生命を脅かしうる魂を持った存在に向けた笑みだ。

 満足したのか、綾乃葵の姿を借りて顕現している存在ソイツは、ゆっくりとカスバードへ視線を向ける。


を置いて退くなら追わない。を連れていくというのなら、お前たちはここで消えろ」

「随分な物言いだな? お前に俺たちを倒せると?」

「そうか。じゃあ消えろ」


 それだけ言って、ソイツは消えた。

 次の瞬間には、ソイツは確保していたラディナたちを脇に抱え、王城の入り口にそっと横たえた。

 目で追うことすら許されなかった速度の移動に、カスバードは警戒を強め、同時にソイツが真に危ないものだと悟った。

 魂を視る限り、ソイツの実力は、魂を視る限り、良くて魔王以上。

 最悪の場合、魔人という種族が保有する全戦力を投じても勝てるか否かというレベルの存在だと、理解しているからだ。


「でも、そんな存在と会えるなんて今後一生ない可能性だってあるしな」


 ソイツはラディナの髪を優しく撫で、立ち上がり振り向くと右手をカスバードに向ける。

 何かの魔術が放たれる、とその射線から即時退避し、反撃の余地を探る。

 が、何も起こらない。

 もしや認識できないレベルの攻撃か! とより警戒を強めたカスバードを他所に、ソイツは再び手のひらを開閉した。


「……そうか。か」


 何の感慨もなくそう呟くと、ソイツは右手をある方向へと向けた。

 すると、先ほど取り零した刀が右手まで飛来し、その手に吸い込まれた。

 手に収まったそれを馴染ませるように一振りすると、その風圧で庭園の石畳が斬り裂かれた。


「……ハッ。見えない振りに当たっていないのに斬り裂かれる石畳……いいね、こう来なくっちゃ!」


 ソイツはカスバードの言葉に反応を示さず、無言で構えた。

 先ほど、綾乃葵が見せた突貫と突きの抜刀に次ぐ速さを誇る攻撃だ。

 しかしその速度が先ほどの物とは比べ物にならないのは今の振りで十分に理解している。

 だからこそ、油断も隙も無く、カスバードはこの庭園の戦いで始めて、型を取った。


 一時の静寂が訪れ、次の瞬間には破裂音とともにガァンッと重量のある金属が落ちる音が響いた。

 同時にバシュッと大量の血液が溢れる。


「速い……反応は愚か目で追うことすら出来ないとは」


 切断された右の鋏の切断部を抑えながら、苦々しい表情でソイツを睨むカスバードに、ソイツは無言で刃を振り下ろす。


「殺っちゃえみんな!」


 その時、背後から声が聞こえた。

 それは今まで傍観を貫いていたアルバードと呼ばれた少年の声だ。

 その声とともに、起き上がったライアンによって展開された十個のゲートから数多の魔物が姿を見せる。

 獣型から人型、あるいは異形まで様々な魔物が、ゲートを潜って溢れ出てくる様は、誰もが恐れ慄く光景だ。

 魔物たちが溢れている間に、カスバードが膝をついている地面にゲートが展開された。

 ソイツは、魔物たちが溢れるゲートを見て、左手を掲げ、ゲートの方へ向ける。

 その動作だけで、展開されていたゲートは全てが閉じた。

 ライアンの背後に展開されていた十個のゲートも、カスバードの足元に合ったゲートも、全て一瞬で。

 ゲートを潜っていた最中の魔物は、一瞬で閉じたゲートによって強制的に切断され、大量の血と重量とともに庭園に重たい音を響かせて倒れた。


「どうしてッ!?」


 ゲートが自身の制御を離れて消えたことに驚きの声を上げるライアンの背後に、ソイツがいた。

 移動した瞬間も、移動時に発生する流れも何もなく、“転移”を使ったのではないかと錯覚すらさせるほどの速さでの移動だ。

 その移動方法に驚きを隠せず、未だに背後にソイツがいることに気が付かないライアンを他所に、ソイツは刀を振り上げる。

 バキィンッと金属が衝突する音を立て、火花を散らしながらソイツの持つ刀がカスバードの持つ切断されていない鋏によって防がれた。


「どうだッ? 魔力による強化はッ!」


 全力で魔力を込めて、鋏を強化したというのに、少しでも制御を乱せば両断されると理解させられる。

 それも、相手は片腕で、こちらは鋏に両手を添えているのに、押し負けそうにすらなっている。

 本当に、先ほどまでと同じ使い手の、同じ武装なのかと疑いたくなる。

 そこで、一つのことに気が付いた。


「武器の形が、違う……?」


 そう呟いた瞬間、ヒュッと刀身がブレ、抑えていた右腕が宙を舞った。

 鮮血を撒き散らし、ボトリと石畳に落ちた腕を認識しつつ、その痛みに顔を顰めながら、その痛みを掻き消すように大きく息を吸い、声を張り上げる。


「ライアンッ! 撤退するッ! アルッ! 魔物を対魔王戦術で編成し、物量で押し潰せッ!」

「「ハッ!!」」


 次の指示が聞こえているなんて関係ない。

 そもそも、指示をしようがしまいがソイツ相手には意味を為さない。

 ならばいっそ、隠す必要すらないと開き直った結果の行動だ。


 その命令に、ライアンとアルバードはすぐさま動く。

 ライアンはゲートの構築を、アルバードは魔物たちの統率を迅速に行う。

 だが――


「――兄さん! 魔物たちが言うことを聞かない!」


 自身の腕を治療しながら、アルバードの言葉を聞いて魔物たちに視線を向ける。

 そこには、棒立ちで、微塵も動かない魔物たちの姿があった。

 その原因を探るべく、魂を視て魔物たちの魂が薄れていることを理解する。


「いつ……殺したんだ」


 魔物たちは死んでいた。

 一時的に展開されていたゲートから現れた、五十近くいた魔物たち全てが、カスバード達が気が付く間もなく殺されていた。

 見えないなんてレベルじゃなかった。

 理解が及ばない、文字通り常識の外にいる存在。


 魔物に意識を取られ、ライアンはゲートの展開をできなかった。

 そもそも、ゲートを展開している間にソイツが背後に回り、ライアンを殺そうとするので、魔物の妨害がなければゲートを展開することすら不可能なのだ。


 どうしようもできない、自らの死しか見えないという現実を前にして、その場にいた全員が恐怖した。

 自身が子供の頃から一緒に育ってきた魔物たちを殺されたアルバードも。

 自身の唯一の取り柄でもあったゲートを封じられたライアンも。

 ソイツとの戦いを楽しもうとしていたカスバードも。

 誰もが、ソイツの存在に恐怖した。


 それを理解しているのか、ソイツはゆっくりとカスバードの元に歩み寄る。

 自身の首が飛ぶまで、まだわずかな時間があるとわかっていた。

 だが、今のカスバードではどうにもならない。

 せめて、をしなければ、逃げ出すこともできない。


 もう無理だ、と心の内で呟いたとき、ふと温かいものを胸に感じた。

 それが何かを悟り、カスバードはゆっくりと立ち上がる。


「まだ戦えるな?」


 その問いに、ライアンとアルバードは頷いた。

 とても、先ほどまで絶望していたやつらとは思えない、強気な表情だ。


「おうやってるかぁ、三位様」


 雰囲気が変わったと思えば、次は空から重力を無視するようにして一人の男が下りてきた。

 ラティーフと同じくらいの背格好で、腰に刀を差した、黒髪黒目の浅黒い肌を持つ軽装の男だ。


「なるほど。魔王様か宰相様が視ていらしたのか」

「ご明察。宰相様が視ていたよ。梟と、その娘二人は連れて来いってさ。ただし、その場は自分たちで切り抜けろ、と」

「……そうか」


 男の言葉を聞いて、カスバードは苦い表情を見せる。

 それを見た男は、ああ忘れてた、と付け加える。


「宰相様が、俺と三位様たちのしてくれたそうだ。だから負けるなよ、と」


 その言葉に、カスバードはフッと嬉しいような呆れたような笑みを浮かべる。


「見抜かれているか……承知した。では援護頼む! ライアン、頼むぞ!」

「はいッ!」


 カスバードの言葉に、男は無言で抜刀し、その刃をソイツに向けた。

 ライアンは目を瞑り、ゲートの構築にかかる。


 真っ先に飛び出したのは、先ほど下りてきた軽装の男だ。

 音を追い抜く速度でソイツに迫り、それ以上の速さで細身の刀を振るう。

 目にも止まらぬ速さで振るわれたそれを、ソイツはいとも容易く躱す。

 しかし、ソイツの実力が人間の、それも召喚者ということを差し引いても異常であることは知っている。

 返す刀で再度攻撃を仕掛け、同時にソイツの背後に岩弾ストーンバレットを十個展開する。

 あまりにも自然な“魔力操作”によって齎された岩弾は、ソイツの感知でも気が付くのが遅れるほどの代物だった。

 迫る刀を躱し、男へ蹴りを入れ、背後から音速で投射された岩弾を一つ残らず切断する。

 そして切断し終えたと思えば、再び男の刀がソイツに迫る。

 息つく暇のない戦闘。


「刀と魔術を同時に使われる戦闘なんて初めてだろうッ!?」


 数度の打ち合いの最中、男は興奮気味な笑みを浮かべてソイツに言い放つ。

 ソイツは言葉で答えず、ただ刀を振るう速度を上げることで答えとした。

 およそ常人には視認すらできないほどの剣戟が行われ、打ち合いの度に金属の衝突音が鳴り響き、風が起こる。

 しかし、速度を上げたにもかかわらず、男はソイツの剣戟についてくる。

 顔には興奮の笑みを張り付けたまま、楽しそうに笑い、ついてくる。


 拮抗している剣戟を援護するように、今度はカスバードが魔術を展開する。

 展開された魔術の数は先ほどの比ではない。

 王城と同じレベルの大きさに展開された円球状の魔術は、火、水、風、地と全ての属性で構成された上級魔術だった。

 一つでも当たれば即死する威力を持つ魔術が、三百以上展開されている。


 人間であれば維持は愚か、展開すらできる人間のいないであろう魔術は、カスバードの意思で、しかも男に被害の行かないよう精密な狙いを定めた状態で一斉に投射される。

 音速を超え射出された魔術は、寸分違わずソイツに迫り、ソイツの意識を男の剣戟以外に向けさせた。


 しかしソイツは、迫りくるウン百の魔術と、男の剣戟を並行して捌き続ける。

 刀を躱し、魔術を切断し、あるいは魔術で相殺し、細かな足取りで男を盾にして。

 あるがままの状況を最大限利用して、ソイツは危機ともいえる場面に対処している。

 その技術力、戦闘センスに驚嘆しつつ、しかしカスバードは手を止めない。

 射出した魔術を片っ端から再生成し、三秒とかからずに再度同じだけの魔術を起動し終える。


 それを見たソイツの表情が、少し嫌そうに歪んだのを認識して、カスバードはまだいける、と今まで展開していた魔術を全投射するとともに、新たに魔術を百ほど展開する。

 カスバードの意図を悟り、ソイツと拮抗した剣戟を重ねていた男も、自身で魔術を展開する。

 その個数こそカスバードの十分の一ほどだが、足場を取り、あるいは行動を制限させたりと、いやらしい使い方でソイツを妨害する。


 すると、ソイツがいきなり後方へと跳んだ。

 男の刀と魔術による妨害と、カスバードの魔術による援護射撃によって、退かせることに成功した。

 ソイツが現れてから、防戦一方だった現状を打開できたことに若干の嬉しさと安堵を覚えつつ、しかし戦いがまだ終わっていないことは理解している。

 動きがあれば即座に魔術を射出できるように構え、男も笑みは携えたまま油断せずにソイツを凝視する。


「……仕方ない、か」


 戦闘中には一切言葉を発しなかったソイツが、一言だけそう言った。

 その意味はわからないが、おそらくよくないことが起こることだけは理解し、より警戒度を高める。


 しかし、ソイツはカスバード達の警戒など気にしないように、ゆっくりと刀を上段に持っていく。

 ゆっくりと、ゆっくりと、スローモーションでも見せられているのではないかと錯覚するほどにゆっくりと。

 そして一番上で静止した瞬間、異変に気が付いた。


「刀の形状が、変わってる……!?」


 男の言葉を聞いた瞬間、カスバードは自身が発する危険信号を理解して、すぐさま展開していた魔術を全投射した。

 最高速で放たれたそれは、ソイツへと真っ直ぐ飛来し、そしてその威力を損なわせた。

 射出した五百近い魔術の全てが、ソイツに到達する前に威力を失い、大気中へと消えていった。


「馬鹿なッ!」


 驚愕に目を見開き、しかしそこで思考を停止しないカスバードは、百ほどの魔術を展開して再度ソイツへ射出する。

 しかし、ソイツに到達する前に魔術は全て霧散した。

 まるで魔術が吸い取られるかのような現象を前にして、一つの可能性に辿り着く。


「まさか、あの刀が魔術を吸収しているのか……?」

「起動しろ、魔刀」


 カスバードの疑問に答えるように、ソイツが口を開く。

 瞬間、庭園が凍てつくような空気に呑まれた。

 実際に気温が下がっているわけではない。

 魔刀と呼ばれたそれが発する異様な雰囲気によって、そう錯覚させられているのだ。

 そして、その異様な雰囲気は、異様な光景としてカスバード達の前に現れた。


「なんだ……あの数は……ッ!」


 ソイツの背後に、後光や光背と呼ばれるような形の魔術が、五百なんてレベルではない。

 千に迫ろうかという数で、展開されていた。

 それも、カスバードの放ったものと同レベルの威力を秘めた上級魔術だ。

 カスバードですら、五百ほどが精いっぱいなのに対し、ソイツは表情を歪めることなく、変わらない無表情でそれを展開し維持していた。

 その圧倒的な技術力を前に、カスバードは純粋に恐怖した。


 そんなことなど露知らないソイツは、展開していた千近い多種多様な魔術を、逃げの要であるライアンに向け一斉に投射した。

 人を易々と殺す上級魔術が千近い数放たれた、という事実に、カスバードは恐怖し、だが諦めなかった。


「第六位! ライアンを結界で守れッ!」


 そう叫び、自身が展開できる最大威力で最大数の魔術を展開し、迫りくる魔術の相殺へと充てる。

 どう足掻いても数が足りない。

 故に、カスバードは自らを“身体強化”し、全身の硬度を最高まで高め、残りの数百の魔術をその身で受けた。

 絶対にライアンへは到達させないという、ただ一つの遺志で、迫る魔術へと身一つで立ち向かった。


 ソイツによって放たれた魔術は着弾と同時に爆発し、アルメディナトを衝撃で揺らし、岩の破片を纏った爆風となって全方位へと放たれた。

 それを一身に受けたカスバードは、辛うじて生きてはいるものの、全身が火傷でただれ、至る所に切り傷と人体にはあり得ない貫通した穴があり、もう数分もすれば死ぬであろう傷を負い倒れている。

 ライアンを結界で守るよう指示された男も、カスバードと比較しても同じくらいの致命傷を負い、石畳が破壊され露になった土へと倒れている。

 しかし、命令自体は守り切ったようで、ライアンには傷一つ追わせていなかった。

 ライアンの傍にいたアルと呼ばれた少年も、傷一つない状態だ。

 しかし、ソイツを見る表情は明らかに怯えている。


 そして、その惨状を作り出したソイツは、倒れている主要な二人を確認し、ライアンの元へ移動した。

 一瞬の移動に目を見開く少年を無視し、ライアンへと刀を振り下ろす。


 ガキィンッ! という金属音とともに、ソイツの刀は防がれた。

 それはカスバードの鋏だった。

 正確には、切り落としたままになっていた鋏。

 それの持ち主は、ほんの一瞬のソイツの隙を見逃さず、そっと撫でるようにしてソイツの胸に触れ――


「――“抹殺”」


 そう呟くと同時に、ソイツは瞬間で十メートルは跳び退いた。


「……ハッ! 速すぎるだろ、おま、え……」


 悪態とも、強がりともとれる捨て台詞を言って、鋏を持っていた男は倒れた。

 先ほど見た時より、幾分か傷は軽く見える。

 どうして致命傷を負い、倒れていたはずの男が立ち上がったのか。

 そこまで考えて、ソイツはその思考を放棄する。

 後でも考えられるとよりも、今最優先すべきことがあるだろう、とこの戦闘の最中、一瞬たりとも集中を解かなかったライアンの元へ向かう。


 一歩踏み出した瞬間、胸の内から込み上げてくるものを感じた。

 言い知れぬ違和感を感じつつ、ソイツはそれに逆らわずに、口から吐いた。

 吐き出されたものは、真っ赤で、少しドロッとした血液と言う液体だった。


「――ぁ?」


 口から大量に吐き出されていいはずのないものが口から吐かれたことに、驚きの声を上げる。

 嫌な予感がする、とソイツは心を落ち着けるために胸に手を置き、ピチャ、という音と触れた感触によって初めて、異常に気が付いた。

 触覚での違和感に、視覚での確認を行う。


「――ぇ」


 胸の辺りに直径数十センチほどの穴が開いていた。

 そのぽっかりと空いた穴に触れた掌には、血がべったりとついている。

 それだけではない。

 息をしようとしても、一向に空気を吸えている気がせず、段々と胸が苦しくなっていくのを感じた。

 次第に眩暈がし、真面に立っていることすらままならなくなり、その場に倒れる。

 カランカランと音を立てて倒れる刀の音がどこか遠くでなっているような気がした。

 全身はどんどんと寒くなるのに、地面に接着している腹部だけは異様に温かいという謎の現象を体感しつつ、呼吸もできないから思考すら難しくなってくるのを実感する。

 すぐ先に“死”があることを理解し、辛うじて見えている視界と動く手を、王城の前に置いたラディナへと伸ばす。

 薄れていく視界の中で、ラディナたちの体が発行し、光の粒子に呑まれていくのを認識する。


「ァ……ェァ」


 意図が込められたはずの言葉は、空気が漏れる音として口からでる。

 もう九割ほど見えなくなっている視界が、光に呑まれていくラディナたちを捉える。





 それが、最後に視界に映った光景だった。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る