第十六話 【それぞれの決意】




 真っ暗な空間だった。

 暗いとわかるくらいの光こそあるが、月明かりのない山奥の暗さと比較しても遜色ないくらいの暗さだ。

 そんな暗いだけの空間に、葵と葵によく似た風貌を持つ青年が立っていた。

 身長も、骨格も、顔立ちも、肌の色や髪の色、瞳の色など、見た目の部分は何も変わりない、鏡に映った自分を見ているようだ。

 しかし、似ていると言うだけで、纏う雰囲気が全く違う。

 葵に似ている風貌の青年は、視線だけで人を射殺すような殺伐とした雰囲気を感じる。


「あんた、誰だ?」


 葵は真っ先に抱いた疑問を口にする。

 胡乱げに目の前に立っている青年を見て、何かあるなら交戦も辞さないと態度で表す。

 警戒をありありと表現する葵に対し、目の前の青年は顔色も表情も何一つ変えず、ゆっくりと腕を上げた。

 唐突な行動により警戒心を高める葵を他所に、青年は顔と同じ高さまで腕を持っていき、指を一本だけ立てた。


「お前は必ず後悔する」


 その不可解な行動に葵が問いを投げる前に、青年は口を開いた。

 会話を始めるタイミングも、会話の内容も、葵にとっては意味が分からず、頭上に疑問符を浮かべる。


「お前が今のままでは、将来、結愛を失い、この世界を滅ぼすことになる」

「結愛を……失う?」


 聞き捨てならないセリフがあったので、反射的に食いついた。


「しかし、オレのようになっても、お前は後悔するだろう」


 葵の言葉に、青年は肯定も否定もせず、無表情のまま淡々と続けた。

 やはり内容が要領を得ない、と葵は訝しげな表情になる。


「お前は自分の手で、自分を助けてくれた人たちを殺し尽くし、最後にラディナの犠牲を以て正気に戻るだろう」

「ラディナの犠牲……? 結愛だけじゃなくてラディナも死ぬのか!?」


 葵の驚きの声に反応せず、青年はやはり、無表情で続ける。


「もう既に、過程は変わり始めている。このままいけば、もっと変わるだろう。ただし、どこが運命の収束点かはわからない。その収束点に至るまで、何度も試行し、何度も挫折を味わうことになるだろう」


 そこでようやく、青年は表情を変えた。

 悲しげな表情だ。

 だがどこか、嬉しそうにも見える。


「だから、お前はオレになるな。オレにならず、オレを超えろ。そして、お前の望むものを全て手中に収め、大団円で終わらせろ」

「何を……言ってるんだ?」


 最後の最後まで、葵は青年が言っていることが理解できなかった。

 葵の言葉の後に、青年は寂しそうな表情になる。

 それが何を意味するのかは分からない。

 だが青年は、寂しげな表情のまま、慈しむように、愛する人に触れるように、その殺伐とした雰囲気からかけ離れた、優しい微笑みで呟いた。


「結愛の為に、人は殺すなよ」


 その言葉を最後に、真っ暗な空間は消えていった。






 * * * * * * * * * *






 意識が浮上していく。

 瞼の上から、明るい光が取り込まれるのが理解できた。

 風が寝起きの葵の肌を撫で、夏という季節にしては涼しい寝覚めと言えるだろう。

 体を起こすと、ポトリと額から何かが落ちた。

 拾い上げると、それは少し湿ったタオルだとわかった。

 なんでそんなものが額に置かれていたのか、ということも含め現状の把握に努める。


「……夢じゃない、か」


 部屋を見回した葵は、普段なら近くにいるはずのラディナの姿がないことを確認して、そう呟いた。

 その代わりと言うべきか、あるいは偶然か、いつもならラディナがいるであろう位置には、制服姿のソフィアがいた。

 椅子に上品に座りながら、上体を少し前方に傾けて、うとうとと微睡と戦っていた。

 一度カクンッと前に倒れこんで、ハッとした表情で目を覚ます。


「おはようございます、ソフィアさん」

「あ、おはようございます……葵様! 目が覚めたんですね!」


 最初は寝ぼけていたのか、のほほんとした様子で微笑み挨拶をしたが、葵が起きているという事実に気が付き椅子から飛びあがった。

 そのまま、葵が寝ていたベッドに手をついて、素早い動きでペタペタと葵の体を触り始める。

 額を触り、熱の有無を確認して、胸の辺りを触り鍛えられた胸筋を確認して、ホッと安心したように一呼吸した。


「えーっと……何をされてたんで?」

「あっ……すっ、すみません! いきなり殿方の体を触ってしまって」

「ああいえ、それは全然大丈夫です。美少女にボディタッチをされるなんてありがたいことですからむしろご褒美です。それにしてもいきなりだったので、驚いてしまっただけです」


 慌てふためくソフィアを、葵はフォローしつつ落ち着かせる。

 それでもやはり恥ずかしかったのか、俯きがちにすみません、とソウファは呟く。


「それで、俺がどうしてここにいるのか、説明をお願いできますか?」

「……はい。まず、葵様は覚えていらっしゃいますか?」

「……全部覚えてます。魔人と会って、戦って、負けた。ラディナとソウファとアフィが連れていかれて、俺は胸に穴が――」


 そこまで言って、慌てて胸に手を当てる。

 そこでようやく、ソフィアがしていたことを理解し、同時に何ともないことに疑問を抱く。


「これはソフィアさんが?」

「いえ、葵様がご自身で結界を張られたんではないのですか?」

「結界? 何のことですか?」


 そこで、葵が倒れた後に起こったことを聞いた。

 ラディナたちは最後まで何もしなかった女の魔人の魔術によって連れていかれ、葵が致命傷を与えた魔人たちもその魔術で一緒にいなくなった。

 そこでようやく、足を動かせるようになったソフィアは、まず先に倒れた葵を治療しようと側に寄った。

 そこで、息を切らしながら庭園に到着したエルフのナディアと対面し、葵が結界に包まれていることを指摘される。

 その結界は、守る結界ではなく癒す結界で、結界内で倒れていた葵の胸に空いた穴を元通りに治療して見せた。

 不思議なことに、体の傷だけでなく服まで元通りになっていたことから、ナディアは時間を巻き戻す系統の治癒魔術ではないかと推測していたそうだ。

 傷が癒えたのち、外で寝かせていては何があるかわからない、と一先ず葵が使っていた部屋まで運んだ。


「以上が、葵様が倒れた後に起こったことです」

「そうだったんですね。取り敢えず、運んでくれてありがとうございます。おかげでぐっすりと寝れました」

「……本当ですか?」

「本当、とは?」


 葵の言葉を聞いて、ソフィアは疑問を投げかけた。

 その意図が分からず、葵はソフィアと同じように、疑問の表情で聞き返す。


「眠られている間、苦しそうとは少し違いますが、悩まされたような顔をされていらしたので……」

「だから、ぐっすり眠れたのか、と」


 ソフィアは頷く。

 その表情は、どこか申し訳なさそうなものに見える。

 余計なことを聞いたのかもしれない、と思っているのだろうか。


「ソフィアさんがそこまで心配する必要はありませんよ。……でもありがとうございます。確かに夢では少し考え事をしていましたが、今は楽になりました」

「……それならよかったです」

「それはそうと、どうしてあんな時間にソフィアさんは庭園へ? もう八の鐘は鳴った後だったのではないですか?」


 遠慮気味に笑うソフィアに、話を聞いていて疑問に思ったことを訊ねる。


「昨晩は少し寝付けなくて……気分転換に歩いて、ついでに夜風にでも当たろうと庭園へ出ようとしたところで戦闘をしている現場に鉢合わせたんです」

「それなのに、わざわざ俺が起きるまで看病していてくれたんですか」


 葵の言葉に、ソフィアは難しそうな表情をして俯きながら答えた。


「その、ラディナが連れていかれてしまいましたよね。葵様が必死になって取り戻そうとしていたのに、私は何もできず、ただ呆然とその戦いを見ているだけしかできませんでした。だから――」

「――その贖罪に、ってことですか」


 葵の確認に、ソフィアはついに頭を下げるまでに俯いてしまった。

 きっと、ソフィアの中で、魔人を前にして立ち竦んで何もできなかったことは、相当に心残りだったのだろう。

 自分の心の弱さが、その時に必要だった選択を取れない原因だった。

 それを自覚しているからこそ、今は少しでも自分にできることをして、その罪を意識を減らしたい。

 葵には、その気持ちがよく理解できた。

 だから――


「――ソフィアさん」

「……何でしょうか」


 葵の言葉に肩を震わせ、しかししっかりと葵と目を合わせる。

 きっと、自分が戦闘に参加しなかったことに対して何か言われるのではないか、と不安なのだろう。

 それほど不安になるのなら、初めから言わなければ葵が知ることもなかったのに、それを言ってしまうあたり、ソフィアの人のさが出ている。

 尤も、葵にそれを指摘する権利はない。

 葵も同罪なのだから。


「俺は、魔人との戦いで、魔人を殺せませんでした。二度か三度、殺せるタイミングがあったのに、俺はそれをできなかった。ラディナたちが連れていかれた原因を問うのなら、それはソフィアさんではなく俺だ」

「いえ違います! 葵様は――」

「違わない。あの場で魔人を殺せていたら、ラディナたちは連れていかれなかった。俺が人を殺したくないという、単なる我が儘によってラディナたちが連れていかれた。だから、ソフィアさんが自分を責める必要はありません」

「でも……」


 葵の暴論に近い言葉を聞いても、ソフィアの自分が悪いんだという意識は消えなかった。

 でもそれは当然だ。

 葵の言葉程度で消える罪の意識ならば、今のソフィアのように心を悩ませる必要なんてない。

 自分の中で消化しきれる問題だ。

 でもそうじゃない。

 ソフィアの中には明確に、という罪の意識が存在する。

 故に葵にできるのは、ありきたりな先を示すしかない。


「俺は魔人からラディナたちを取り戻します。今度は、魔人を殺せるだけの力と心を身に着けて、必ず。だからソフィアさん。俺がラディナたちを取り戻す手伝いをしてください」

「……」

「それでソフィアさんが抱いている罪の意識が消えるかどうかはわかりません。俺には、あなたの罪の意識がどれほどのものか、数値化してみるなんてことはできませんから。でも、その意識に潰されて、何もできなくなるのは、それこそ、ラディナたちを見捨てるということです。昨日は何もできなかった。だけど、未来はわからない。だからどうか、俺に力を貸してください」

「葵様!?」


 ベッドから降りて、床に膝をついてお願いする。

 土下座の体勢になった葵に、慌てて膝をついてそれをやめさせようとするソフィアを無視して、葵は続ける。


「俺だけの力じゃどうにもならない。きっと、俺に使える全てを使って、それでも足りるかどうかはわからない。だからお願いします。ラディナたちを取り戻すために、俺に力を貸してください」

「葵様! 私は葵様のお願いなら何でも聞きます! ましてそれが、私の為に言ってくださっていることなら尚更です!」


 ソフィアの言葉を聞いて、葵はようやく顔を上げる。

 顔を上げた葵の目を見て、ソフィアは口を開く。


「一つ、許しを請う立場で図々しいかもしれませんが、お願いを聞いてくださいませんか?」

「できるかどうかはわかりませんが、聞くだけなら」


 そんな難しいことではないですよ、と前置きして、ソフィアは葵を立たせる。

 葵の視点が上にあることを確認して、今は穿いていないスカートの端を摘まむ。

 カーテシーと呼ばれるお辞儀をして、ソフィアは葵の目を見て真剣な表情で問いかける。


「どうか、私に葵様のお手伝いをさせてくださいませんか?」


 ソフィアの言葉を聞いて、葵は納得する。

 本来、手伝いを要請するのは、葵ではなくソフィアなのだ。

 それなのに、葵のエゴによってソフィアを助けようなんて考え、お願いをした。

 でもそれでは、ソフィアの罪の意識は消えない。

 言われるがままにやったことで、その意識が減るはずなどないのだから。

 自身の浅はかさを再確認しつつ、ソフィアの目を見て真っ直ぐ答える。


「……はい。よろしくお願いします、ソフィアさん」


 そう言って、ソフィアと握手をした。






 * * * * * * * * * *






 その一部始終を、ナディアは扉の外で聞いていた。

 葵の起床から、ソフィアと約束を結ぶところまで、全て。

 それを聞いて、ナディアは悲しそうな表情で天を仰ぐ。

 どんな考えがあって、そんな表情で天を仰いだのかはわからない。


 仰いでいた視線を元に戻したラディナの瞳には、決意の炎が宿っていた。



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