第九話 【無力感という名の後悔】




「始めます」


 その場にいる全員に開始の合図を出し、脳裏に記憶した魔術陣を、ソウファの体内にある銀狼の加護の魔術陣の上から、塗りつぶすように構築する。

 同時、体の外から魔力が勢いよく流れ込んでくるのを感じる。

 その不思議な感覚すらも置き去りにするように、葵は集中力を高める。

 五感に刺激をもたらす必要のない全てへの意識がスーッと遮断された。

 初めて行う作業だとか、初代勇者並みの“魔力操作”の技術を持っているというのが本当なのかだとかいう、くだらない思考はなくなり、ソウファの心臓の鼓動と音、体内を流れる血の感覚と音、魔力の流れ、そして銀狼の加護の魔術陣と、構築中の魔術陣だけが、葵の中に残った。


 真っ暗な闇の中、ソウファと葵だけしかいない世界で、葵は魔術陣で魔術陣を塗りつぶす。

 どのくらいの時間が経ったかわからないが、問題なく魔術陣の構築を終え、瞬く間もなく葵の望む効果が発揮された。


「――ぐっァ!」


 瞬間、全身を巨大な何かが押しつぶしたかのような、あるいは、体の内から何かが飛び出るんじゃないかというような感覚が、葵を襲った。

 そして同じタイミングで、葵の頭の中に映像が流れ込む。

 それは銀狼の加護に蓄積された、これまでの銀狼たちの記憶。

 葵が見たものだけではなく、五千年もの間、絶えることなく継承されてきた銀狼たちの記憶。

 そのどれもが、辛く苦しいものだった。

 圧倒的なまでの能力に押しつぶされ、体が思うように動かなくなり、全身を倦怠感が襲う。

 次第にそれは体を蝕み、真綿で首を締めるかのように、じわじわと、継承者の生命力を奪っていった。

 何もできず、ただ死を待つだけの生きる屍となった銀狼は、誰しもがその苦しさの中で息絶えた。


 ある銀狼は、加護を受け継いだものが絶えず実力不足で死ぬことを理解した、己を鍛えることで加護に順応して見せようとした。

 だが、前継承者が死ぬまでの間に、銀狼の加護に耐えうる器を成すことができず、中途半端に鍛えてしまったがゆえに、それまでの銀狼よりも長い間の苦しみを味わい死んでいった。


 ある銀狼は、加護を受け継がないために知識を集結させて対抗しうる魔術を構築した。

 長年をかけて、多数の銀狼の協力の元作り上げられたその魔術は、火にかけた鍋が氷を解かすかのように、容易く加護に打ち破られた。


 どの銀狼も、何もできない無力感と、絶望と、苦しみの中で死んでいった。

 歴代最強と言われた銀狼も、集落に馴染めずに一人で放浪していた銀狼も、生まれたばかりの銀狼でさえも、誰もが、例外なく、死んだ。

 その記憶が、感情が、苦しみが、継承してきた銀狼の全てが、葵の中に情景として流れ込む。

 そして――






 その銀狼は、末っ子だった。

 母親と父親と、集落のみんなに囲まれて、たくさんの兄弟姉妹と一緒に生まれてきた。

 末っ子だが、銀狼の中に上下なんてものはなく、生まれた順番で兄だとか弟だとか、姉だとか妹だとか、そういう仕組みはなかった。

 みんな平等に接し、最低限必要なことを教えたら、成長してきた段階でそれぞれの意思と能力から、様々な生き方を教わる。

 その銀狼は、センスだけはあるが戦いを好まなかった。

 銀狼は戦闘種族の末裔で、戦闘センスの有無にかかわらず、ある程度は戦える。

 故に、戦える才能があるから戦わなければならない、という掟はなく、全員の支援のようなことをさせてもらうことになった。


 そうして暮らし始め、代り映えのしない生活を送っていた頃、その銀狼は同じ色の体毛を持つ梟を拾った。

 集落の近くの水場へ水を飲みに行っていた途中で見つけたのだ。

 その梟は異端だということで梟の集落から追いやられ、自分では食べるものも見つけられずに倒れていたのだという。

 それを聞いた銀狼は、すぐに長の元へと行き、その梟を匿う許可を貰いに行った。

 長は梟と狼では生体が少なからず違うことに対して懸念したが、最終的には許可を出した。

 その日から、銀狼の生活は変わった。


 狩りのできない梟に狩りの仕方を教え、狼と梟で違う部分を利用して狩りができるように色々と試行錯誤した。

 戦いはあまり好きじゃないが、人に物を教えることが面白く、また梟が自分の教えたことをスイスイと取り込んでいったため、それも面白く感じ、狩りを教えることにのめり込んだ。

 元々センスがあり、それが発揮できる場所に出向いたことによって、わずか数年でその銀狼の戦闘能力は上位へと食い込み始めた。


 しかし、そうなればまた別の問題が発生する。

 それは、言わずと知れた“銀狼の加護”だ。

 継承している銀狼が死んだ際に、最も適性のある銀狼の血族へと無条件で継承させられる加護。

 強くなれば、その加護を受け継いでしまう可能性が増える。

 幸い、梟も自分で狩りをできるようになったし、もうそろそろ元の生活に戻ってもいいかな、と思い始めた頃。


 真っ白な体毛を持つサル型の魔物が、銀狼の集落を襲った。

 その銀狼は狩りで集落の外に出ていたため無事で、それに追従していた梟も無事だった。

 しかし、集落は壊滅し、視認した範囲で生き残っていた銀狼はいなかった。

 狩りに出かけていた他の銀狼三匹とその銀狼、そして梟は、壊滅した集落を見て即座に逃げる、という判断を取った。

 集落にいた銀狼を相手取り、ほぼ無傷で立っている魔物に対し、少数で勝てるはずがない、と誰もが理解していたからだ。

 しかし、それでは遅かった。


 サルに追いつかれ、他の銀狼は倒され、その銀狼も倒された。

 しかし、持ち前のセンスで致命傷は避けた銀狼は、しばらくの間は逃げることができた。

 だがそこで、銀狼という種族の生存している個体が一匹になったことにより、銀狼の加護がその銀狼に継承された。

 瞬間、その銀狼は倒れた。

 幸い、機動力だけで言えばサルを凌げる梟は、持ち前の体格の大きさを利用して、その銀狼を背中に乗せてサルから逃げた。

 背負われている中、その銀狼は戦っていた。


 加護に蓄積された、五千年分の記憶と。

 加護の内包する、膨大なまでの銀狼の能力と。

 

 その心にあったのは、たった一匹の梟への想いだった。

 その梟のことを好きだったわけではない。

 自分が死にそうなところを見つけ、介抱し、一緒に暮らしているうちに、兄弟のような存在になっていった梟。

 物知りで、知らないことをいろいろと教えてくれた梟。


 その梟に、まだ別れの言葉を言えていなかった。

 加護を継承してしまった以上、自分の死は免れないことは悟っていた。

 今までの加護の中の記憶が、銀狼の中の本能が、無理だとわかっていた。

 それでも、せめて一言だけ、別れの言葉を言いたい。

 ただそのためだけに、銀狼は短い命を懸けて戦った。






 その銀狼の記憶だけで数年。

 その前の継承者たちの記憶を合わせれば、五千年。

 それだけの記憶を直接流し込まれ、葵は自分がなくなる感覚を味わった。


 綾乃葵という、高々十数年しか生きていない、まして記憶の中のような凄惨な経験も、脳裏に焼き付くような経験もほとんどしてこなかった葵の自我は、容易く五千年の中に埋もれた。

 その時にようやく理解した。

 銀狼が加護に耐えれず死んでいく理由。

 それは銀狼の加護に内包された、銀狼の能力が強すぎるからだけではない。

 それまでに蓄積されてきた記憶によって、自我が飲み込まれそうになるからだ。

 数十年程度の自我など容易く塗りつぶすほどの、圧倒的なまでの“無力”と“死”に抗うことで精いっぱいになるからだ。


 自我を失えば、それはその個体の死を意味する。

 自我はなくとも生きていくことは可能だ。

 しかしそれは、言ってしまえば脳死と同じこと。

 そしてそれは、その状態から復帰できない限り“死”に変わりないのだ。


 葵も例外なく、記憶に自我を飲まれた。

 綾乃葵という個体は、死を体感した。

 瞬間、葵の頭に十数年の記憶がフラッシュバックする。

 死の間際に見る記憶――すなわち走馬灯は、五千年の記憶からすれば取るに足らない短いものだった。

 その走馬灯の中に、一つだけ、忘れかけていた記憶が目に入った。




 それは、雪の降りしきる寒い冬だった。

 長い不登校期間を終え、学校に復帰してから一年が経過しようとしていた、朝の登校時。


 珍しく寝坊をし、待学校へと走っていた時、ふと小さな鳴き声を捉えた。

 普段なら聞こえない程度の微かな声は、雪の影響で住宅街を走る自転車も車もなかったためか、耳に届いた。

 学校への時間も押していたが、気になってしまったのでその声の方へと向かった。

 向かった先には小さめの公園があり、鳴き声はその公園のベンチの下から聞えていた。

 その下には段ボールがあり、その中に薄いタオルに包まれた、小刻みに震え、体のあちこちが凍り始めている生まれて数週間程度しか経っていないような、小さな小さな子犬を見つけた。

 それを見た途端、葵は身に着けていた手袋を子犬に当てて、マフラーできつくないように巻き付けた。

 マフラーに包まれた子犬を抱き上げ、着ていた上着でさらに包む。

 抱き上げた子犬の鼓動はとても弱々しく、今にも消え去りそうだった。

 十歳でもわかる緊急事態に、寒くならないように、と胸の前でギュッと抱きしめて、全力で家まで走った。


 出ていったはずの息子が物の数分で帰ってきたことに驚いていた葵の両親は、葵が抱えている子犬を見てすぐに動物病院へと連絡をしてくれた。

 学校があったため、両親からは学校に送っていく、と言ってもらえたが、子犬の発見者として一緒に病院についていく、と言ったら、許してもらえた。

 獣医さんの指示に従い応急処置をしながら、雪で滑り事故を起こさないように注意しつつすぐに病院へと車を走らせた。

 十数分ほどして辿り着いた動物病院で子犬を引き渡し、その処置が終わるまで待合室で待った。

 どのくらいの時間をそこで過ごしたのかはわからない。

 ただ、待っている時間が妙に長く感じた。

 両親が背中を擦ってくれていたが、それでも不安は消えなかった。


 そして数十分後。

 獣医さんは一言、申し訳なさそうに「間に合いませんでした」と言った。

 葵は、小さな命を助けられなかった。


 獣医さん曰く、葵が見つける時間が数十分早かったところで、結末は変わらなかった、それくらいに子犬は衰弱しきっていた、と葵に言葉をかけてくれた。

 それは、事実よりも慰めの意味合いが大きかっただろう。

 葵が見つけた時、子犬はまだ鳴くだけの気力があったのだ。

 葵が寝坊せず、数十分早くこの子犬を見つけてあげていれば、きっと助けられただろう。


 目の前で横たわる小さな子犬を見て、葵は涙した。

 葵が普段通りにしていれば、救えたかもしれない命。

 それを失わせてしまった自分の愚かさに、苛立ちもした。

 すべてが終わった後で言ったところで、何も変わらない。

 過去は変えられないし、葵が寝坊し、子犬を助けられなかったという事実は変わらない。

 そんなことはわかっている。

 それでも、辛いものは辛く、悲しいものは悲しい。


 結局その日、葵は学校へ行かなかった。

 とても、学校へ行ける心境ではなかった。

 自室へ籠り、今日の出来事をずっと後悔した。

 病院でたくさん泣いたから、涙は出なかった。

 悲しさをすべて吐き出し残ったのは、子犬の命を救えなかった自分に対する無力感と苛立ち。

 毛布に頭から包まり、己の無力さに歯を噛み締めた。


 どのくらいの時間が経ったのかわからないが、結愛が部屋を訪れた。

 部屋に来て結愛は、葵が起きているのかも確かめずに色々な話を始めてくれた。

 今日は学校で何があったとか、昨日見た動画が面白かっただとか、他愛ない話を。

 しばらくは楽しそうに、弾んだ声で話してくれていたのだが、ふと声のトーンが落ちた。

 次に聞こえてきたのは、嗚咽だった。

 グスッ、と泣いているかのような嗚咽が、無音だった葵の部屋に響いた。


 慌てて毛布から抜けてみれば、そこでは結愛が、ペタンと足をハの字にして座り込み、怯えるような表情で泣いていた。

 大切な人を泣かせてしまったことに、葵は慌て、何があったのかを聞いた。

 結愛は葵の言葉に泣きながらポツポツと答えた。


 曰く、今日葵が昼を過ぎても学校に来てなかったので、心配になった。

 家に帰ってみれば、葵は部屋に籠っているという。

 そこで葵の両親から今日の朝の出来事を聞き、葵を元気づけるために部屋に来た。

 しばらくは心を平穏で保てていたが、次第に葵の心境と、葵がまた部屋に籠りっきりになってしまうんじゃないか、という不安が襲い、思わず涙してしまったらしい。


 そこで、葵は悟った。

 葵の大切にする人たちは、葵が悲しむことを良しとしない。

 大切な人たちには、笑顔でいてもらいたい。

 だから、葵が弱いままではいけないのだ。


 完全に子犬の死を吹っ切れたわけではない。

 それでも、大切な人たちに笑っていてもらいたいなら、こんなところでへこたれてなんていられない。

 なら、葵がこれ以降、凹まなければいい。

 そのために葵が出した結論は、関わりを減らすこと。

 今回の一件も、子犬に関わったから起こったことだ。

 ならば、その関わりがなければ、そもそも葵が悲しむことはなかった。

 だから、関わりを減らせば、自然と葵が悲しむ確率も減り、葵の大切な人たちを悲しませることも少なくなる。

 もしこれを、声に出していれば、誰かが悲しい生き方だと言ったかもしれない。

 確かに、これを実行すれば、葵は今日の子犬のことを、見て見ぬふりをしたかもしれない。

 自分が悲しまないため、というエゴに満ちた考えの基に。


 しかし、それでは別の意味で大切な人を悲しませるだろう。

 それも、なんとなくわかっていた。

 だからこそ、葵はその冷たいともとれる結論に、一言だけ加えた。

 それでも関わってしまった場合は、自分のできる限りを以って対応する、と。

 そしてそれを盤石のものとするために、葵は学んだのだ。

 助ける術や生き残る術。

 学校では学べない色々なことを、時に両親に聞き、時にネットで調べ、時に体感してみて学んだ。

 すべては、葵の大切な人たちを悲しませないという、たった一つのわがままの為に。






 六年前の思い出を、思い出した。

 忘れた日は一度もない。

 学校へ行く前や朝食を食べた後、必ず、子犬の墓の前で手を合わせた。

 そこに子犬がいるわけではない。

 それでも、子犬の為に何かしなければ、自分が前に薦めないと判断して建てた墓。

 エゴに満ちた、自己満足の為だけの行為。

 その覚悟を、翌年に起きた事件で塗りつぶされかけていた、昔の記憶。


 なぜ、そんな記憶をいまさらに思い出したのか?


 答えは単純。

 今この現状が、昔の子の状況と変わらないからだ。

 放置すれば死んでしまう子犬を見つけ、助けようとしたように。

 放置すれば死んでしまうソウファを助けたかった。


 誰にでもあるような、一つの後悔。


 また助けられず、後悔するのか? と自分が自分に問いかける。

 また後悔して、大切な人たちを心配させたいのか? と声を上げて訴える。

 また、結愛を泣かせたいのか、と問い立てる。


 そのすべてに、葵は否、と返答する。

 助けられず、後悔なんてもうしたくない。

 後悔して、大切な人たちを悲しませたいわけがない。

 結愛を泣かせるなんて、あれっきりで十分だ。

 俺は、この子ソウファを救いたい。


 たった一つの、後悔から始まった感情は、異様なまでに葵の中で膨らんでいった。

 そんな些細な出来事が主張したところで、五千年の記憶に勝るわけがなかった。

 勝るはずがないのだ。

 なのに。

 その後悔は、無力からくるものだった。

 自分の力が足りず、何もできなかった、虚無すら覚える無力感。

 それは、五千年の記憶の中で、最も大きな感情と一致した。


 加護を受け継いだものが成す術なく死んでいく。

 葵の応急処置が適切であれば、助けられたかもしれない命。


 方向性も、無力を感じた場所も違う。

 けれど、無力であったことに変わりはない。


 五千年の記憶の無力は、ソウファを助けることで消えるわけじゃない。

 葵のように、助けられなかった命の贖罪として、ソウファを見れるわけじゃない。

 それでも、五千年の記憶には関係なかった。

 そこにあったのは、もう無力に、成す術なく終わるは嫌だ、という消え去りかけていただけの些細な抵抗だった。

 その一致が、葵の自我を押し上げた。




 今にも消えそうだった自我が戻ってきたことを感じた。

 多くの銀狼に、背中を押されるのを感じた。

 お前がこの呪縛を終わらせろ、とそう言われているようだった。

 無論、そんなことを言われてはいない。

 記憶は葵の中にあるが、その言葉は葵の気のせいだろう。

 それでも、不思議と力は湧いた。


 葵はそれを感じ、魔術陣の継続し続けた。

 次第に魔術陣を介して、葵とソウファの中に繋がりができるのを感じる。

 銀狼の加護という、共通の項目を通じた繋がりだ。

 僅かな、糸一本ほどの繋がりは、次第にその太さを増していく。

 時間をかけ、寄り集まってできた繋がりは、固くそう易々とは解けないくらいに強固なものへとなった。


 このまま行けば、葵もソウファも無事のままで終えられる。

 油断すれば簡単に足元を掬われることは知っていた。

 だから、安堵こそすれ、油断はしなかった。

 それなのに――





 ――葵の意識が飛んだ。



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