おとぎ話と竜の国
伊藤影踏
第1話 竜と法王
「陛下は、ご自身で物語をおつくりになりたいのではないですか?」
どこまでも甘やかな微笑みをたたえて、その男は私の胸を跳ね上がらせる言葉をそっとささやいた。
「……聞いたことがないわ。竜に捧げる物語は最上のものでなければならないのに、その……私が、つくるだなんて……」
思わず目が泳いでしまう。つい先頃私が受け継いだばかりの執務室はそこらじゅうぴかぴかに磨き上げられていて、どこに目をやってもまぶしくて居心地が悪い。ひとしきりおろおろと視線をさまよわせてから、私は結局差し向かいの華やかな美貌にしかたなく視線を定めた。その男は竜に物語を奏するために集められた吟遊詩人のひとり。確か名はルルカといった。
「しきたりでは、国いちばんの吟遊詩人が竜に物語を捧げ、聖都市とその民への加護を願うことになっている。ルルカ、あなたは、我こそはと名乗り出てきたのではないの?」
ルルカは大仰にうなずいてみせる。
「ええ、もちろん私はこの国いちばんの吟遊詩人です。だからこそ、陛下のお望みにも察しがつきます」
「私は……そんなこと……、望んでいたとして許されるはずがない」
唇をかんで小さく首を振ると、ルルカは部屋の隅に置かれていた椅子に勝手に腰かけ、立てかけられていた四弦を勝手にとってつま弾きはじめた。
「そうでしょうか? 竜の加護を願うのであれば、竜が喜ぶ物語を捧げるのがいちばんのはず。聖都市と竜の間を取り持つのに、主人たる陛下お手製の物語以上にふさわしいものがあるとは思えません」
哀愁を帯びた音色が部屋に満ちる。私はしばらく黙り込んでしまった。
古くからこの地には竜が棲んでいたという。異民族に追われてこの地にたどり着いた私たちの先祖は、竜と契約しその懐に都市を築くことを許された。その契約とは、竜の食べ物である物語を紡ぎ、捧げること。
そうして物語を紡ぎ続けるにつれ、しだいにこの都市は吟遊詩人の目指す聖地になる。年に一度、竜に物語を捧げる式典にはたくさんの吟遊詩人が集められ、竜に捧げる物語をうたう誉れを得ようと賑やかに楽器をかき鳴らすのだ。
私の祖父は長くこの聖都市を治めた法王だった。父は早くに亡くなり、祖父と私は法王という肩書きには不似合いなほど慎ましく穏やかに毎日を過ごしていた。でもそれは私がこの法王宮で大切に守られていたからこそなのだ、と法王位を継いでやっとわかった。
まずは、即位して初めての儀式をつつがなく終えなければいけない。そのためには竜を満足させる最上の物語が絶対に必要なのだ。……それが、私のつくった物語なんかであるはずがない。
「……もういい、ルルカ。竜に捧げる物語はしきたり通り歌合わせで決める。あなたも参加するでしょう?」
たまらなく甘美に響くルルカの音色を打ち切るように私は手を振った。演奏を聞く限り、ルルカはとても優秀な吟遊詩人だ。言葉や声もひとを惹きつける魅力に満ちている。竜に捧げる物語をうたう吟遊詩人としては有力候補に思えた。
ルルカは目を丸くして演奏をやめ、ため息をついて四弦をもう一度壁に立てかけた。
「いいえ、陛下。陛下を差し置いて私などが竜に物語を捧げるわけにはまいりません」
「……馬鹿を言わないで。私の物語があなたより優れているわけがない」
「違います。……どんなに巧みな物語であっても、ただひとつの魂を想って紡がれた物語にはかなわない。陛下もそれをご存知のはずですよ」
長身をかがめて机越しに顔を覗き込まれ、思わず椅子の背に背中を押しつける。綺麗な顔を不用意に近づけないでほしい。
(……でも、おじいちゃんのおとぎ話は確かに忘れられない)
祖父は法王という立場だったから、もちろん吟遊詩人の真似事なんかしたことがない、と思う。ただ私を寝かしつけてくれることがたまにあって、そのときは必ず今まで聞いたことのないお話を聞かせてくれた。わくわくするのに、不思議といつのまにか寝入ってしまって、たまに一緒に眠れるときは続きを急かしたものだ。
ルルカは身を起こし、楽しげにぽんと手を打った。
「では、儀式の前に陛下が個人的に竜へ物語を差し上げればよろしいのでは? 儀式でないのなら、誰のどんな物語だとて責める者はないはず。竜もきっと喜ぶでしょう」
どうあっても私の物語を竜に食べさせたい様子のルルカに、私は頭痛を覚えて頭を抱えた。けれど、確かに儀式でないのなら、竜に自分の物語を捧げるというのはなかなか魅惑的な体験に思えた。私もこの物語に満ちた聖都市に生まれたからには、物語を紡ぐということにいくらかの親しみはある。それに、法王宮よりさらに山を登ったところにある奥宮に棲まうという竜にも会ってみたかった。竜は民の前に姿をあらわすことはないが、代々の法王は自由に会うことができる、ということになっている。
「……わかった。そこまで言うのなら、物語を用意して竜に会いましょう」
私がうなずくと、ルルカは急に表情を引き締めて一段低い声を出した。
「いいですか、陛下。ご決断なされたのなら、最初に竜に会う日をお決めください。そしてその日までに出来上がった物語に納得がいこうがいくまいが、必ず竜に捧げるのです」
「え、ええっ?」
うろたえて変な声が出る。
「そんなことをして、竜の怒りに触れたらどうするの! せめて私が納得いく物語じゃなきゃ、死んでも死にきれないわ!」
「怒りませんから、ご安心なさいませ。ようくお考えください、かつて毎日のように捧げられていた物語が、いまや年に一度の儀式のときだけなのです。竜は飢えているのですよ。どんな出来であれ、確実に捧げることが重要です」
したり顔で語るルルカを半信半疑で見つめつつ、私は暦をたぐった。儀式の日はひと月後に迫っている。
「……なら、十日後に竜に会いましょう。やっぱり駄目だとなったら、それから歌合わせで吟遊詩人を選んでも遅くないから」
正直、初めての物語をつくりあげるのに十日ではちょっと心もとない。法王位を継いだばかりで雑務にもてんてこ舞いなのだ。やっぱり無謀なことは考えずに吟遊詩人に任せては、という考えがよぎるが、自分の物語を竜に捧げるということになんだかわくわくしてしまって、どうも諦めてしまえそうになかった。
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