未来の僕から、過去の僕へ

白銀マーク

これが、これから先の”僕”の始まり

 時計は午前七時を指しているのに外は暗く、街灯が点いている。地面は街灯の光を乱反射し、水面はいくつもの波紋が広がっている。

「雨、か……」

 雨は嫌いだ。あの日も雨だった。だから嫌いだ。しっかりと覚えている。この手が届かなかった記憶を。




 あの日も雨だった。

 僕はただ一人守るために何時もより少し早起きして体を暖めていた。

 助けにいく子は僕の大切な人だ。どれだけ心を閉ざしても、どれだけ回りを否定しても、それでも優しく側に居てくれた。それだけで良いとさえ思えるほどに。

 けど、そんなことはなかった。僕のせいで標的になってしまった。僕が標的にさせてしまった。だから足掻く。その子にまた、隣に居てもらうために。

 僕は雨すら気にせず、傘すら持たずに廃墟となった病院に脚を向けた。

「来たよ、その子を返してよ」

 僕の光を、返してよ。

「やっとか。遅かったじゃないか」

 そう言って僕を見る。下衆びた、汚い眼差しを僕に向ける。ナイフを持った男が一人。

「てめぇにはなぁ、煮え湯を何度飲まされた事か」

 そう言って手元のナイフを器用に手のひらの上で回す。刃は妖しく電灯の光を反射する。

「来ちゃ駄目っ!」

 そんなこと言われても僕は来るよ。君に変わる人は他にはいない。

「大丈夫、僕は大丈夫だから」

「俺としてはさぁ、そのまま死んでくれると楽なんだけどよぉ。それじゃ面白味に欠けるじゃぁん?」

 左右に男が増える。

「だからさ、俺が刺して刺して刺して。苦痛に喘ぐ様を見て楽しませてくれよぉ!」

 左右の男が結束バンドを背中に回させた僕の腕に着ける。

「兄貴、付けやしたぜ」

 左右の男はその場を離れる。

「楽しませてくれよなぁ、クソガキ」

 この男が僕に持ってる感情は怨みだ。その怨みを刃に乗せて僕の体に傷を付ける。

 僕を支えてくれている子は、彼の元から救った子だ。この男が性的暴行や、体罰から解放してあげたのだ。だからこの男は自分の元から玩具を奪われたのが腹立たしくてしょうがないのだ。

「どうして……私が悪いのに……」

 あの子が泣く。それが僕の為だと、僕の為に泣いてくれて要るのだと。それだけで嬉かった。だから平気だった。だから痛い顔一つせずに切られ続けた。あの子の涙が、僕の鎮痛剤だった。

 けど、それを男は不快に思った。どうして痛くないのだと。苦痛に歪んだ顔をしないのかと。だから切った。僕ではなく、あの子を。

「キャァァァァァァアッ!」

「ヤベェ、お前切る方が気持ちいいわ」

 そう言って刃の血を舐める。

 それに僕は我慢ならなかった。結束バンドで縛られた腕を左右に引っ張る。しかし、結束バンドはより深く肉を縛り、抉っていく。

「予定変更、こいつ切るからそこでおとなしくしとけ」

「やだぁぁ!」

「うるせえなぁっ!」

 傷が増える。どうして僕を切らない。どうしてその子を切る。

 結束バンドは僕の腕に食い込み、肉を抉る。

「やめろぉぉぉぉっ!」

 僕は暴れる、結束バンドの痛みは怒りで麻痺する。動けないと知りながら、それでも暴れる。それを男は愉快に思った。だから余計傷付けた。動けないあの子を、ボロボロになるまで鳴かなくなるまで切りつけた。

「あ、あぁ……」

 僕は助けられなかった。結束バンドは壊せたが、壊れたときには遅かった。

 僕は初めて、誰かを恨むことを覚えた。

 ……その後のことは、もう、覚えていない。覚えているのは、噎せるほどの血の香りと、僕以外、動かせる者いない、僕と同じ人の形の人形たちだけだった。


 嫌なことを思い出した。

「どうかなさいました?」

 それでも側にいてくれる人がいる。こんな僕の側に。

「何でもないよ、ごめんね。心配かけた?」

「はい、皆も心配しております」

 そっか、今はあの時とは違うんだったね。

「わかった。すぐいくから」


 救われたと思った。けど、そんなことは全然なくて、むしろ、僕はさらに深い絶望を得た。

 あぁ、神様…あなたはここまでの仕打ちを、どうして僕に……?

 せっかく、こんな、なにも守れなかった僕に、たくさんの仲間ができた。会社もその仲間たちと大きくした。いろんな人を助けた。いろんな会社が手を結んでくれた。反社会勢力は警察と共につぶした。なのにどうして……。

「どうして僕の家族を、仲間を奪っていくのですか?」

 涙も枯れて、声も枯れた僕から出てきた聲は誰の身にも届かない。

 僕は知らなかった。見つけることすらできなかった。

 でも、結果は物語っていた。家族はいなくなった。誰一人として僕の周りからいなくなった。なんでなのかは僕にはわからない。でも、現実は変わらない。現実は変わるはずがない。

 さっきまで、ちょうど2分前まではいたんだ。みんなと一緒に、笑って、励まして。僕が2分、席を外しただけで、みんないなくなった。

 僕は絶望して、絶望して、絶望した。憎むものも、怒りをぶつけるものもない。僕にはどうしようもできなかった。家族を奪った奴は、異常だ。

「絶対に、コロスっ!」


 その日から僕は、道を外したのかもしれない。いっぱい殺した。そして、殺した人たちの頭と心臓を集めた。ホルマリン液と特注の瓶をたくさん買った。だんだん会社の一室だけじゃ足らなくなって、いろんな部屋に置いた。

 食べるものも変わった。だんだん、普通の食べ物じゃ満たされなくなって、いろんなモノを食べて、食べて、食べた。最後には殺した人を食べた。

 食べるモノだけじゃない、見た目も変えた。人が殺しやすいように、足腰を鍛えて、変装しやすいように顔の皮を剥いだ。そしたら今までより殺しやすくなった。 そんなことをしていたら、だんだん、僕の体も変わっていった。醜くなった。手は刃物のように、足は速く走れるように変わった。顔も人とはかけ離れた。周りからは怪訝な目をされるようになった。だから殺していった。

 そうなるとだんだん、殺す対象も変わっていった。人を人と見なくなったころに人じゃないものが見えるようなった。人じゃないものも殺すようになった。

 そこで僕は気づいた。人を捨てれば、運命すらも変えれるんじゃないかと。運命を握っているやつを、殺せるんじゃないかと。だから僕は人を捨てるために、人じゃないものを食った。その身に人ならざるものを取り込んだ。

「がァゥ、グぁあ?」

 何年かそれを繰り返して、ついに人間の言葉を失った。僕はうれしかった。やっと、やっと人じゃなくなった、と。でも、まだ足りない。まだまだ……。

 自分でもわかるぐらい、僕は壊れてしまった。僕が身に着けたものはすべて殺しのために使った。どれだけ残虐な方法でも、殺せるのなら殺した。もう何年、殺してきたかわからない。殺すことが当たり前になって、悲鳴が当たり前になって。  そして、人ならざるものを殺しているうちに、僕に刺客を送ってくるものがいた。そいつは人の形をしていた。でも人でも、いつも殺している奴らとも違う生き物だということがわかった。それしかわからなかった。けど、それだけで僕には十分だった。

 僕は刺客すら、殺して食した。刺客もだんだん強くなる。けど、そのたびに殺して食った。そのうち、僕の体に変化が起きた。

「話…せる……」

 言葉が返ってきた。腕も、足も、顔も。全部が昔の僕になった。だから僕はがっかりした。目標から遠のいてしまったと。でも、刺客を殺して食い続けた。でないと、もう生きていけない体になっていた。

 やがて、刺客を送ってきたものが直々に殺しに来た。だから、ぐちゃぐちゃに引き裂いて、形のなくなるぐらい、ぐちゃぐちゃにした。そして、食べた。

(あれ? ……なんで人になったのに、今までと変わらずに殺せるんだ?)

 疑問が生じる。今まで通り殺せるのはおかしい。腕を見ると、あの時の刃のような腕に戻っていた。足も速く走れる形をしていた。

(何も、人に戻ったわけじゃないのか)

 それがわかってから、うれしかった。さらに一つ、壁を越えていたのだと。

「でも、だめなんだ。まだ、まだ足りないっ!」

 いつからか、殺しが快感になった。殺すときに聞こえる悲鳴が、気持ちいいと、心底心を震わせた。でも、僕がこの気持ちを知ったのは、運命を握っていたものを殺し、この世界を統べる神も、精霊も、悪魔も、人も殺し、この世界にいるのが、唯一、僕だけになったときだけだった。


 僕が一人きりになってから、数年が経った。神々の世界にはいろいろな書物があり、世界を見通す水晶があった。だから、一人になっても退屈はしなかった。

「パラレル…ワールド……」

 書物の中にその言葉が載っているものがあった。そこには、同じ時間に別の世界線があって、そこで同じ人達が同じように生きているという内容だった。

「僕が、たくさん、ほかの時間にいる……」

(なにも守れなかった。誰一人守れない、殺すことしかできないこんな奴が、今の僕以外にもいるのか?)

 僕は、思い切って水晶を覗いた。もしかしたら、同じ僕が僕のこの心を救ってくれるかもしれない。もしかしたら、僕と同じ境遇の僕と一緒にいられるかもしれない。そんな一縷の望みをかけて。しかし、その望みは違った。

「なんで? なんでこいつは奪われてないんだ?」

 別時間の僕は、生きていた。周りには、守りたかったもの、すべてを置いて。平和そうに、両親に微笑まれながら妹と、ずっとついてきてくれた秘書と、かけがえのない仲間とともに、生きていた。そもそも、パラレルワールドが記されている文献が違った。同じ道を辿ったまったく同じ人間なんていなかったんだ。

「許さない、僕は守れなかったのに、貴様が守れているなどっ!」

(こいつも、僕と同じようになればいい。僕の二の舞になればいいっ!)

 そこから僕は、並行世界にいる僕を、すべて食い殺すことに決めた……。


 さらに決意してからも、多くの世界線を生きる僕を観察した。ある僕は同じようにすべてを失っていた。またある僕はいろんなものを失っているが、それでも懸命に生きていた。ある僕は失うものなく生きていた。

(世界ごとにいろいろな僕がいるものだ)

 我ながら不謹慎だとは思うが、どれも滑稽な話に見えてしまう。馬鹿らしいと一蹴してしまう。

(だが、どれもまだ生ぬるい)

 今までたどってきた道が壊れていたからこそ、自分の域に達している自分が自分以外にいないからこそ、生ぬるいと、そう言ってしまえる。

(そうだ、どうせなら、みんな、僕の元までくればいい)

 狂ってしまっていたから、止めることのできるものは誰もいないから、短絡的に考える。同じ域に来てくれる僕がいれば、楽ができるかもしれないと。もしかしたら、一緒に語らうことのできる僕がそばにいるかもしれないと。

(君に、僕からのプレゼントだ)

 狙いは今まで見てきた中で、一番不幸な運命をたどった僕。僕は僕に素敵なプレゼントを贈った。

(僕と並びたてる人間になってくれ)

 神々の世界の技術で、一番不幸な僕に、転生という名の、プレゼントを……。

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