金波銀波(きんぱぎんぱ)①‐ⅰ
〈1〉
手漉きらしい封筒は金銀の
ドアポストを開けた途端、郵便物やチラシが零れ落ちて散乱した。
シャワーを浴びて着替える。問題は旅費だった。所持金をあらかた使い果たし、足も気力も萎えていながら無意味に歩き続けたい気分をようやく抑えて戻ったのだ。レターケースに封筒をしまいながら、クレジットカー ドを取り出した。不如意に備えて母が作ってくれた一枚。とうとう出番が来てしまった。
チャイムが鳴った。インターホンで応じる。
「はい?」
「貝塚と申します」
ドアスコープの向こうに男が立っていた。秀真はためらいがちに扉を開けた。五つ六つ年上、二十代半ばといったところか。彫りの深い顔を縁取る髪は鴉の濡れ羽色。切れ長の
「朝早く、すみません。五十嵐さんですね。母の手紙は、読んでいただけましたか」
「ちょうど、今」
「それなら、飛行機の予定がありますから、すぐにでも」
「まだ、荷物の用意も、全然……」
「何も要りませんよ。書いてあったでしょう。手ぶらでどうぞって」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
警戒しつつも時間がないと言われて腹を据えた。行かないわけにはいかない。待っているのは祖父の弔いなのだ。カードと僅かな小銭が入っただけの財布を、鍵と一緒にジーンズのポケットに捻じ込んで、後に従った。 待機していたのはタクシーではなかった。ミラーサングラスで顔を隠した男が、真っ赤なカブリオレの運転席に座っていた。
「これが社用車っていうんだから、笑えるでしょう。彼も仲間」
ドライバーが頷いた。
「お仕事って?」
「広く浅く。友達が会社を興したんで、手伝ってるんです」
業種を訊ねたつもりだったが、はぐらかされてしまった。
「忙しいんじゃないですか?」
「ちゃんと休みをもらいましたから。帰省がてら、ね」
「随分、間がいいな。ずっとほっつき歩いてたのに、今朝戻ってくるって、どうしてわかったんです?」
「絶妙のタイミングで。離島行きの飛行機は便数も座席も少ないから、押さえるのに苦労するんですけどね」
貝塚
「意外と冷静なんで、ホッとしました。取り乱されたら、どうしようかと」
「……前から、いつか、こんな知らせが来るんじゃないかって考えてたんで」
祖父の
「やっぱり海だったかって思いましたよ。好きでしたから」
「島の――これからお連れする離島の話は?」
「特に、何も。さっきの手紙にしたって、貝塚さんの名前や住所を見てもピンと来なかったぐらいだし」
「びっくりしますよ、きっと。文字どおりの孤島だから」
響彦は複雑な笑みを零した。照れ隠しと共に茶目っ気を含んだ、あるいは耳かき一杯ばかりの毒を忍ばせたような笑顔だった。
ターミナルビルが近づいてきた。ジェット機が飛び立っていく。きらめく翼を眺めていると、迷いが吹っ切れた。もう走り出してしまった。両親に伝えるのは、遺骨を受け取ってからでも遅くないだろう。どのみち、祖父の死を確かめるまでは引き返せないのだ。
恋人を見送ったときは、自分もすぐ飛行機で出かける羽目になるとは予想もしていなかった。
車が停まった。
「ありがとう。社長によろしくね」
響彦がスーツケースを下ろしてドライバーに声をかけた。相手は
「よかった。間に合った。これなら日が暮れる前に着けますよ」
着席すると、いくらか肩の力が抜けた。シートベルトを締め、俯いて瞼を閉じた。南へ向かって空を飛びながら、浅い眠りの中で瑠璃子の夢を見た。気まぐれで、
選ぶ相手を間違えている。何故、一方的に消耗するばかりの関係を続けてきたのだろう。それは周囲に劣等感を覚えているせいだ。コンプレックスを
「そろそろですよ」
軽く肩を叩かれて目が覚めた。
「悪夢かな。眉間に皺が寄ってた」
「起こしてくれればよかったのに」
「疲労困憊って感じだったから。寝言が出ない限り、そっとしておこうと思って」
響彦は下向きに窓を指差した。覗き込むと、紺碧の海に緑なす島々が浮かんでいた。急に遠くへ来たという実感が湧いた。両手を突いて顔を寄せ、眼下の景色に見とれていると、機体はぐんぐん高度を下げて着陸の態勢に入った。
「ここからが長いんですよ。取りあえず腹ごしらえでもして、覚悟しといてください」
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