35 青き瞳に映る過去③

 胸元で思いを吐き出し嘆くクラウン。だが残念なことにカイルはクラウンにかけるべき言葉を持ち合わせていない。ただその言葉と拳を受け止めることしかできない。


 生まれてすぐに足を奪われたクラウン。第四王子が産まれると王妃にその命を狙われるようになり、生きながらえるためにと国王の意思で養護院へ入れられる。その生い立ちが故に彼は自らを呪った。

 生まれつき足があれば命を狙われることはなかった。命を狙われなければ養護院に来ることもなかった。足があればもっと自由に動けた。跳ねたり走ったり歩いたり出来た。けれども足が奪われたとなるとその根底が覆る。

 生まれたばかりの、ディスガイア国第一王子となる赤子の足を切り落とす。そんなことをしてもディスガイアには何の利もない。王妃は生まれたばかりのクラウンを何らかの理由で拒絶した。王妃は最初からクラウンの誕生を望んでいなかったことになる。


「部屋に籠もって後悔や夢物語を反芻はんすうする。お前のすべき事はそんなことか?」


 クラウンは王妃が為した事を知った日を境に部屋に籠もるようになっていた。おかしくなったのはクラウンだけではない。アンヤは覇気を無くし、声さえも出なくなった。ツキヤは場を明るくしようとするも空回りしてばかり。

 カイルだって、聞いた話を思い出すだけではらわたが煮えくり返りそうだ。クラウンにとっての足は決して手の届くことのない、けれども何を捨ててでも欲しいもの。だからこそ、こんな形で真相を知ってはいけなかった。


「……なぁ、クラウン。もういっそ、このままやめちまおうか」


 頭上から聞こえる骨太の低い声。声の主はクラウンの頭を撫でながら、けれども確かにそう告げた。悪魔の囁きとも思えるその言葉を、確かに紡いだ。夜な夜な雷に怯える幼子のような青い瞳がカイルを見上げ、再びその胸元に顔を埋める。


「城に戻ることを諦めてしまえば苦しむことはない。残された王位は無かったことにして、ただのクラウンとして生きる。俺達には軍人として生きるには十分な力もある」


 戦地で命を落とすのは実力のない者達。すでに中尉に昇格したクラウンとカイルは軍の中でも実力者の部類に入る。立ち振る舞いを誤らなければ死ぬことはそうそうないだろう。


「本名はとっくに捨ててるんだ。紋章は今みたいに塗り物で隠せばなんとかなる。城に戻らなきゃ、第四王子のことを墓まで持っていけば、生きることだけならできるぜ。刺客はこれまで通り俺がどうにかしてやる」

「ディスガイアは?」

「知らん。少なくとも、王が第四王子を選ばなければ王妃が何かやらかすだろうな。第四王子が国の上に立ち、フェルメールに取り込まれるかもしれない。……けど、城に戻ることを諦めたお前には関係ねぇし、誰もお前を責めやしない。お前が第一王子だって気付くことすらねぇだろうな」


 クラウンは地位こそ残されたものの、訳あって身分を偽って暮らしている。国のいざこざから逃げることは容易い。城に戻ることをやめれば、王妃から逃げてただのクラウンとして暮せば、デュオとしての義務こそあるが平穏な日常になるだろう。


「安心しろ。俺はお前がどんな結論を出し手も隣にいる。もちろん任務が優先にはなるが、デュオである以上お前の傍を離れることはない」

「……だ」

「ん?」

「それは、嫌だ。あの場所に戻るのを、諦めるのは、嫌だ」

「なら、立ち上がれ。奪われた足が戻ることはない。足があったらという夢物語は存在しない。お前は何のために今日まで生きてきた?」


 諦めることに対するはっきりとした拒絶を示すクラウン。カイルの胸元から視線を上げた。濃い青色の瞳がカイルの赤い左目を睨みつける。


「最初はデュオとして城に戻るためだった。王の護衛を担当できれば城に戻れるから、それを目指していた。その上であの人の企みを阻止できればいい、と。あの人に認めてもらいたい、僕を捨てた事を後悔させたい、と。でも今は違う」

「ほう」

「王位継承権を持つ者として、国を狙うあの人を僕は許さない。僕が持つ証拠を持ってあの人の企みを阻止し、このディスガイアを守る。そして叶うならば、次期国王として城に戻りたい」

「こんな狭い部屋に閉じ籠もっていてそれが為せると?」


 頬を伝う涙を拭う。伸びた前髪を指で整え、カイルから体を離す。その青い瞳がジャガイモのように小さな足を見て、再びカイルの左目を見つめる。その目にもう迷いはない。

 クラウンとして過ごしてきた十数年。月日の流れと共にその青い瞳に浮かぶ憎悪の色は和らいでいった。正式な地位とその継承権が残されていると知り、自身にされた所業を知り、その瞳に再びかつての深い憎悪の色が蘇る。けれどもその憎悪はもう、不特定多数の人間に向けられることはない。


「この際だ。第四王子の秘密だけでなく僕が生まれた理由も明らかにしてやろう」

「閉じ籠もっていたお前にできるのか?」

「次に王冠クラウンを授かるのはこの僕だ。ディスガイアをフェルメールに乗っ取られてなるものか。王位継承権を持つ者として、ディスガイアの危機に全力で対応させてもらう。そして、この僕を敵に回したことを、あの人に後悔させてやる。これは僕の復讐だ」


 再び光を宿した瞳に過去への後悔はない。「足を奪われなければ」というあり得ない未来を夢見るのはやめた。奪われたなら、奪われたなりに頑張って足掻くしかない。過去を悔いていても何も変わらない。悔やんで立ち止まるのではなく、過去を振り返りながらも前へ進まなければならない。


「そうだよな。どんなに悔やんでも、奪われた足は戻ってこない。あの人が僕を必要としない現実も変わらない」

「少なくとも国王は必要としてるぞ?」

「そうだったな。あの人は見てくれなくても、国王陛下は僕を見ていてくれる。だから、お前を寄越したんだ。あのメッセージと共に」

「なんて書いてあったんだ?」

「『幼子の戯言が真実であると証明せよ。時が来るまで生き延びよ。さすれば道は拓かれる』。そうだ。証明することが道を、王冠クラウンを手にすることに繫がるんだ。今わかった」


 過去を反芻するのをやめて前を向いた。憎悪の色を残してはいるが、その対象は王妃ただ一人。奪われたはずの足が痛むことはもうない。クラウンの左手がカイルの右手を掴む。その右手が頬の横でピースサインを作る。


「僕についてくるか?」

「なんだよ、今更」

「もうこれは僕個人の問題ではない。この国の問題だ。国を守るために、僕はあの人と戦わなければならない。そうと知った上で覚悟」

「当たり前だ。俺は、クラウンの剣だ。俺の意志で決めた。お前のデュオとして戦う。そしてフェルメールの実験を止めたい。被害車をこれ以上増やしたくない」

「決まりだな」


 二人の手が固く握られた。濃く鮮やかなサファイア色の瞳に映すはディスガイアの未来。濃く鮮やかなルビー色の瞳に映すは相棒の姿とフェルメールの未来。今、運命の歯車が再び音を立てて回り出す。

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